Sunday, December 27, 2009

他者のことば

最近postが多い気がしますね。なんでだろう。年末とは関係ないはず。

てか今回ほど感慨のないクリスマス、年末、って、今までなかった気がする(去年のトーゴで迎えたのを除く・・・もしくはそれと同じくらいかも)。世界一周の一年を経て、いろんなものに対して淡泊になったような気がしなくもない。ただしbefore-afterみたいに比較できるほど、自分の過去が明確に固定されたものとしてあるわけじゃないからよくわかんないけど。
とにかく今年はクリスマスのわくわく感とか、まったくなかった。日本の大半の人びとは、自分が何について祝っているかを自覚してあんなに浮かれているのだろうか(反語)。クリスマスがカップルの一大イベントなのは、ジーザスが伝えた「愛」を体現するためなのであろうか(反語)。まあ、バレンタインなどに並ぶ、カップルが「とくべつ」を正々堂々と実行できるいい口実、っていうのはわかりますが。でも、自分の実存に無関係のことにあれだけ狂酔できるって逆にすごいことのような気さえしてくる。
私はといえばそんな日本人であることの後ろめたさを少しでも解消したいがために近くの教会のクリスマスミサに行きました。中高時代にあんなに反発していた言葉が、すごく心地よく響くのは何なんだろう。安心感みたいなものさえ抱く。結局わたしがlinger onできるものって、もはや刷り込みによって染み付いてしまったもの以外にないのかもしれないなあ。でもそれは私にとっては信仰みたいな、世界を規定するものというよりは倫理体系に近いものである上、絶望的な響きも持っているから、相変わらずクリスチャンになろうとは思いませんが。

Anyways, 前置きにもならないようなblabbingはこのへんにして。

今日は縁あって在日トーゴ人会のYear-end partyに呼んでいただいて、行ってきました。

日本にトーゴ人なんてひとりもいないと思ってたからそんな会の存在を初めて知った時は衝撃すぎたけど、今日行ってみたら、いたよいたよー、トーゴ人(複数形)!!! しかも日本語ぺらぺーらの人とかもいてびっくり。トーゴ訛りのフランス語が懐かしすぎて愛しすぎた。リスニング面はほとんど衰えていなかったようで嬉しかった一方、スピーキング面は基本フレーズを失念した事態によってかなりの危機感を覚える。てか最近知ったけどわたしが普通のフランス語だと思っている(いた)代物は多分にピジン的なものであるらしい。トーゴ訛りにならないようにとか、文法を正しくしゃべるとか、すっごいすっごい気をつけて頑張ってたつもりなんだけど、、無念でならない。

トーゴ料理も出て、懐かしいメニューを前に感涙にむせいだ反面、トーゴにいた時は見たことも聞いたこともなかったような料理もあって、私はトーゴについてまだまだ全然知らないことを改めて実感(あたりまえだけど)。そしてそういう実感を抱くとまた行きたくなってしまう。

All in all, 今日は日本でのトーゴコネクションを広げられたのでとてもよかった。エヴェ語とか本気で教わりたい。エヴェ語(だけじゃなくてほんとはKabyéとか他の現地語もだけど、とりあえずはエヴェ語)がわかるようになったら、見えてくる世界ががらりと変わるんじゃないかという確信にも似た期待がある。トーゴの公用語はフランス語だからフランス語ができればコミュニケーションには苦労しないけど、結局トーゴでフランス語を介して見える世界って、意図的に取捨選択されたという性格が強いものだから。相手を理解するには相手のことば(比喩的な意味も含めて)を理解することがものすごく重要。本を読む時に原典にあたるのと同じようなものだよね。それはある意味、事実の純化作業でもあると思う。

結局、今でもわたしをこんなにトーゴに惹きつけているものは、わけのわからなさなんだと思う。もっと知りたい、もっとわかりたい、そんな欲求がわたしを衝き動かしてるんだと思う。

そんなことを思う年の暮れである。

(K君、魔法のことばを教えてくれてありがとう)

AVATAR

見てきましたっ キラーン

感想を一言で言うなら、おもしろかった!
しかも六本木ヒルズの映画館で3Dメガネとかかけて見ちゃったので、迫力もあって映画館で見た甲斐がありました。現代のCG技術はんぱない。

もう夜も遅いのでメモ程度に, "while it's still fresh." すごく乱暴なメモなので、後日ちゃんと書きたい。
(内容知りたくない人はこの先読まないでください。思いっきりねたばらしです)

もう、完全に西洋の 文明 vs 野蛮 の構図。ポカホンタスじゃん!みたいな。
主人公たち「いい者」は、「悪者」に対して「彼ら(ナヴィ)は野蛮じゃない!」みたいなこと言ってたけど、ストーリー展開は完全にもうその二項対立の中で進んでいってた。

まずはナヴィ(パンドラ星の住民。青い人たち)の描写。「いかにも」原住民、的な描き方。儀礼のシーンとか、あの「いかにも」エキゾチックな感じ、もう少し何とかならないのか。

「自然」(この言葉の細かいことは今は置いておいて・・・)と「調和」的に暮らしている人びとは、必ずなんか非文明的な要素を本質的に持っている(持たされている)気がする。それは結局、今のような文明と自然とは共存しえないという、現代に生きる私たちへの死刑宣告なのか。

てか、グレースがナヴィたちを擁護する意図で「彼らのやってることは迷信じゃない!」と言ってたんだけど、その英語のセリフが "It's not voodoo." 的な内容だった件について。。Voodooは迷信なのか!?

「文明 vs 野蛮」の二項対立を温存しつつも「文明=善 vs 野蛮=悪」とは信じきれなくなったポストモダンの、近代の呪縛と価値喪失の苦悩。(とまではいかないかな?)

最後に人間が「負け」てパンドラから去っていっても、結局は「文明vs野蛮」の対立は解消されていない。調和、もとい止揚は訪れない。

そしてなによりがっかりしたのは、最後の最後に主人公ジェイクが人間の体を捨てて(失って)完全にナヴィになってしまったこと。ずっと「異質な他者」としてのアイデンティティを保って生きていってほしかった。そういう「異質な他者」が生きうるという希望を私たちに見せてほしかった。結局、「こちら」か「あちら」か、ここでもそういう二項対立しかない。止揚は訪れない。
てか、人間としてパンドラに残った人たちはどうやって生きていくんだろ?

ナヴィの世界観はちょっとナウシカっぽかったかも。ナヴィになりたいー。

てかこの映画が今の環境ブームと相俟ってエコの文脈でもてはやされたりしたらちょっと残念、なんとなく。

いろんな意味で目新しさはなく、ストーリーも「いかにも」ハリウッドってかんじだったものの、それはそれなりに楽しめたし、とにかく映像がすごくって、それを見るだけでも価値があったと思えるくらい。
批判してるように見えるかもしれないけど、見てよかったです。

Tuesday, December 22, 2009

Better Late Than Never

ということで、昔の世界一周ブログにトーゴでのNGOインターンの報告書を載せてみました。

表が途中で切れちゃってるんだけど、重すぎるせいか何なのか編集画面が開けないのでしばらく放っておくことにします。

それでもJournalの部分を見てもらうと、前半いかに仕事がなかったかがよくわかると思います。笑
研修先変えて本当によかったと今でも思う。本当は研修始めて1ヶ月半ぐらいのところでもう変えたいって言ってたんだけど、実際にCILSIDA(後半の研修先)に移れるまでさらに1ヶ月もかかってしまったのはトーゴのアイセックのせいです。これにTIA (= This is Africa.) と言い訳するなら、そこを自ら変えようとしないで発展したいとか言うな!とひとり内心ラディカルにfuriousになっていたのが懐かしい。
ただ、前半暇だったおかげで、フランス語の勉強ができて飛躍的に上達したり、トーゴの文化についていろいろ見識を深めることができたので、研修以外の側面で言えば悪くない時間でした。あの時期の人間関係は本当にストレスフルだったけど、だからこそ学ぶことも多かったし。

・・・と、もうすぐ1年になるのかーとか思いつつ振り返ってみると、生の感覚として残っている部分がどんどん減っていき、コトバによって構築された記憶や意味づけとして残されていく部分がどんどん増えていっていることを実感します。留学の時もかなりそれを感じてた。だからあえて、コトバを与えずにそっとしておきたいな、って思う時もある。逆に、コトバにしないと忘れちゃうことも多々あるんだけど。

生の感覚がなくなっていくのがかなしい時は、あの頃聞いていた音楽を聴くと即座にあの時の感覚が蘇ってくる。今年の夏トーゴに戻ったのも、思えばトーゴの音楽をふとYoutubeで検索してみたのがきっかけでした。



ちなみに2こめの歌のタイトルは「ゼミジョン」って言うんですが、これはバイタク(トーゴではtaxi-motoって言う。Motoの元はおそらくmotorcycle的ワードだから、まさにタクシーバイク)の呼び名です。「ロメ(トーゴの首都)にはゼミジョンがいっぱいだぜ!」みたいな歌で、いろんなローカルネタが出てきておもしろい。最初に「オレイア!」って言ってるのは、ゼミジョンをつかまえる時に運転手にかける言葉。エヴェ語で、Tu vas? (You go?) みたいな意味です。聞いてると懐かしさに体が疼きます。

だから今になって逆にすごく残念に思うのは、世界一周中スペインで他の貴重品とともにミュージックプレーヤーを盗まれてから、音楽と一緒に旅をできなかったこと。トーゴとかヨルダンとか、町中で大音量で四六時中音楽が流れていた場所を除いて、世界一周の時の感覚を蘇らせてくれる音楽を、わたしは持たない。だから、あの時の感覚はきっと二度と蘇らない(他にそんな効果を持つものを、わたしは知らない)。

しかし。
この「蘇る」と表現されたわたしの内の感覚は、果たして本当にあの時の感覚のままであると言えるのだろうか・・・

この「感覚」すら、「感覚」というコトバによってしか他者と共有し(ているという(幻想かもしれない)安堵感を持ち)えないもどかしさ。

もう哲学はいやだよ

しかしそこにもうコトバは生まれてしまっているのだ。

いやだよ

いやだよ

あ、でも、「そこにコトバがあってしまう」となると、もはや哲学じゃないのかな。だって愛してないもん、ロゴスという知を。というか、愛という価値すら置けない。あるいは、愛憎半ばみたいなかんじなのか。
一部の(多くの?)偉大な哲学者が精神を病んでいるってことは、(ある種の、という留保がつくかどうかは眠くてよくわからないけど)知は人を不幸にするかもしれないってことなのかしら。まあロゴスというシステムの不完全性からして当然のことなのかもしれないけど。「知らぬが仏」とはよく言ったもの。

Monday, December 21, 2009

居場所

正直言って、就活、しんどいです。

受かる/受からないとかいう話の以前に、ビジネスという資本主義ガチガチの世界に飛び込むという覚悟が、どうしてもできない。

今までさんざん人のお金を食いつぶしてきて、自分でちゃんと稼いで食べていけるようにならなければいけない、っていう思いはすごくあるんです。人より3年遅れている分、余計にその思いは強いと思う。

でも、逆に言うと、それだけしか「働く」ことに対するモチベーションがない。

大学に入って「ことば」や「ロゴス」といったものへの全面的な依存とシステムの不完全性に気付き、ロゴスを持ってしか考えることすら能わない体系の中で信じることのできる価値を喪失し、相対"主義"なんかも通常言われるようなポジティブな立ち位置なのではなくもっともっと深刻で破壊的なものである、と言いたいけれども言えないような無限のループに陥った。

だけど何もスタンスをとらずに生きていくことってできなくて、じゃあ何を信じるかってなった時に、もはやロゴスを紡いで作り上げたものを選ぶことはどうしてもできなくて、そんな私が立ち返らざるを得なかったのは、「感覚」だった。私が小さいころから刷り込まれてきた価値観、もはや思考を超越し感覚となってしまった価値観、しか、無根拠に信じることのできるものは残されていなかった。

その価値観とは、平たく言ってしまえば資本主義社会の対極にあるようなもの。
正直であること。清くあること。弱者に寄り沿うこと。愛すること。
偽善であるとか、そういう批判は、自分でもさんざん自問してきたし、これからもきっと問い続けなければならない。だけど、この「感覚」は、そうやすやすと「ロゴス」ごときに崩されるようなものではないと思う(、感覚的に)。

「就活は、正直者が馬鹿を見る。」
きっとその先にあるビジネスの世界もそうなのだろうと思う。「勝つ」ことが最高の価値とされるのだから。そのような強者の論理に支配された世界において、私がようやく見つけた、「信じることのできるもの」は否定される。フロムの言葉は、一方で私に大きな安堵をもたらし、一方で決定的な絶望をもたらした。

資本主義に冒された現代の社会には、私の居場所なんてないのかもしれない。

お金なんかなくなっちゃえばいいのにな。

Sunday, November 15, 2009

wanderlust

Am having the onset of wanderlust syndrome again...

旅に出たい病発症。な週末。
周期的に発作が起こるのです。原因不明の発作。決して今の生活が嫌とかではないんだけど。

旅を美化するのはあまりにも一方的で自己満足的な気がして好きではないんだけれど、それでもやっぱり時々日本にはない空気 ("air" here having the literal meaning and not the figurative one as in "KY") に包まれたくなる。

マサダの、太陽と地面との間を隔てるものが何もないあまりに直接的な日差し。「ああ、ここには神が必要なんだな」と、一瞬にして私の身体をもって理解せしめた果てしない真っ赤な荒野。

フュッセンの、心を澄みわたらせるような朝の冷気。滴を浴びて木々があげる歓びの歌声。

ロメの、今にも踊りだしたくなるようなあっけらかんとしたひたすらに青い常夏の空。細かい砂と埃を含んだ潮風。

シーパンドンの、全てを包み込み全てを流し去るようにゆったりと流れるメコンの夕暮れ。ジャック・ジョンソンを聞いているだけでイっちゃいそうな楽園の昼下がり。

ペンシルベニアの、開拓時代から何も変わっていないんじゃないかと信じてしまいそうな程のどかで美しい秋の彩り。

ヴァーラーナシーの、牛の糞にまみれた迷路の先にある命に対する過剰なまでのエネルギー。その横をただ無関心に流れる河。その河の向こうから闇の終わりを告げる朝日。

ギョレメの煙草の煙と匂い。

ハロン湾の神秘的な霧。穏やかな波と心地よい風とバーバーバーに酔いしれる夜。

ホイアン慕情。色とりどりの光が煌めく鏡の水面。

その空気に包まれながら、私の身体が、そこ、に、ある、ということ。

その空気に包まれながら、私が孤立したアウトサイダーであること。

身体がここにはない空気を欲している。
Physicalだからこそ、日本では再現できないもの。
こんな風に言葉にしたって、表現できっこない、伝わりっこない、だけどこのwanderlustの発作をカルテにしたためる。

身体性がlifeに占める大きさ。その先には「わかりあえなさ」が頭を擡げているとしても。

When and where will be next?

Wednesday, November 4, 2009

沈まぬ太陽

寒くなりましたね。
暖房をつけたいのにこんな時に限って壊れてしまって、おんぼろ日本家屋の部屋は今日もしんしんと冷えこみます。母が救援物資を送ってくれたというので、復旧まではそれで命を繋ぐことができそうです。ありがたや。


さて。
「沈まぬ太陽」観てきました。
ひょんなことから2回も観てしまった。原作はまだ読んでいないので、純粋に映画の感想をば。
「社会派」と評されているけれど、それは具体的なトピックがそうっぽいだけで(そもそも「社会」って言葉自体が曖昧で何を指すのかよくわからなかったりするんだけど)、実際にはもっといろんなテーマが織り込まれていていろんな観点からappreciateできる映画だと思う。

わたしのappreciationは、主にふたつの視点から。

ひとつは、御巣鷹山の事故をめぐる遺族の描写を通して考えた、というよりは思い出したこと。あんまり映画そのものとは関係ないかもしれないけれど。遠藤周作の『深い河』を読んだ時に強く強くわたしを打ちのめした感覚。
世間から見たら何の変哲もなかったり軽蔑すらされていたりどんなに取るに足らないような人であっても、ひとりひとり、今までの人生めいっぱい分の、他の誰とも違う、その人固有の経験の中に、喜びがあり、学びがあり、悲しみがあり、苦しみがあり、痛みがあり、それを背負いながら今を生きている。他者の背負っているものの中身を理解することはできなくても、その重みには常にawareでいたい。"Only one" という俄かに流行りの言葉を使うとしたら、それは自分のためではなく、他者と向き合う姿勢として忘れずにいたい。

もうひとつは、就活中の身ということもあって、いわゆるワークライフバランス的なものについて。
家族を犠牲にすることの上に仕事が成立する、って、どういうことなんだろう。なんでそうなっちゃうんだろう。主人公の恩地が象徴しているであろう数十年前 のサラリーマン像(とそれを生んだ社会システム)については、このワークライフバランスに対する考え方次第で評価が二分される気がする。「矜持」を美学 と見ることも、身勝手と見ることも可能。恩地の妻の「わたしだって、いっぱい我慢、してたんですよ」という言葉が沁みた。
何かひとつのものごとを選んで信じて突き進むことができるのってすごいことだと思うけど、バランス感覚を持って生きていくのも至難の業よね。でも、案ずるより産むが易しなのかなあ、もしかして。ううむ。

(余談:でもでもっ 恩地の置かれた時代や文脈を無視することが許されるならば、僻地勤務は羨ましすぎる! カラチ・・・は今危なそうだから置いとくとしても、テヘラン(・・・も危ない?)とかナイロビとか行きたすぎる。)


*** R.I.P. Claude Lévi-Strauss ***

Friday, October 2, 2009

魔法のチョコレート

10月ですね。就活ですね。


・・・ハイ。






心が折れそうな時にはチョコレート


というのは古代から伝わる金言ですが、トーゴやガーナの暑さはチョコレートの大敵です。
冷房のがんがん効いたスペールマルシェで調子に乗ってスニッカーズを買おうものなら、お店から出た1分後にはどろどろぐちゃぐちゃ、見るも無残な姿になってしまいます。一般家庭には冷房も冷蔵庫もないのが普通なので、フェアトレード云々以前に、環境的に、トーゴやガーナではチョコレートは無理。

の、はずなのに。

ガーナの首都アクラの道端ではよく板チョコを売っているんです。売り子が歩いて売っていて、冷却装置もあるわけがなく。それも箱入りで大量に。
そんなの買う人の気が知れないわっ と思ってわたしは一度も買ったことなかったんだけど、それを今回友達がお土産で大量買い。。。
その後ドバイで、ラマダンの飢えに耐えきれず、40℃はゆうに超えているであろうとてつもない暑さの中おそるおそるガーナで買ったチョコを開けてみる。すると・・・

と  け  て  い  な  い  !  !  !

とけそうな気配すら微塵も漂わせていない!!!

・ ・ ・ ・ ・ ・ 。


どうやらその理由は"No cocoa butter" というところにあるみたい。
口の中でもとろけて喉に絡みつく感があまりなく、サクサクした食感で美味。

暑さにもとけないチョコレートだなんて、Willy Wonkaもびっくりのパラダイムシフト!!! このチョコならタージマハルも消えずに済んだろうに。。

・・・といたく感動したことを今日まですっかり忘れていました。






新学期が始まりました。

久しぶりのキャンパスは刺激に満ち溢れていました。
初日の授業では、バチカン市国が本郷キャンパスよりも小さいことを学びました。
2日目の今日は、夏学期には4人だったヒンディ語の授業が、今学期はわたし1人に減っているという事実を目の当たりにしました。

。。。



過ぎゆく季節の美しさと切なさには、胸が締め付けられそうになります。

Wednesday, September 23, 2009

トーゴに恋して

2度目のトーゴから帰って来ました。
2日経つのに時差ぼけがなおらない。なおそうという努力をあんまりしてないからかな。今夜徹夜して明日の夜まで頑張って起きていられたらなおるんじゃないかという期待を胸にパソコンと向かい合っています。

今回のトーゴ行き、最大の収穫は、トーゴを好きになれたこと。

同 じ場所、同じこと、同じ人でも、前回とは受ける印象が全然違ってすごくびっくりした。結果として、前回も今回も、トーゴにいるとわけがわからなくて謎が深 まるばかり、という点では同じ。違うのは、前回はそのわけのわからなさがそのままつらさになっていたのに対して、今回はそれがクセになってまた来たくなる んだよねって思ったこと。
理由はよくわからないけど・・・前回に比べて短期間で表面的な関わり方しかしていないからかもしれない。あるいは逆に、前回はNGOとか開発とかいう一側面からの見方が強かったのに対して、今回はもう少し広い視点でトーゴを見ることができたからかもしれない。
とにかく、自分の中のイメージとして、トーゴに対してポジティブな気持ちを抱くことができたのは、とってもとっても嬉しいことです。どのぐらい嬉しいかというと、長年の片思いの末に告白した相手がOKしてくれた時ぐらい。やったーーーーって叫びながら両手を挙げて町内を全力疾走したいぐらい。

最大の収穫はそれで、その他は思いつくままに箇条書き。

・ガーナの首都アクラはオバマ一色だった。
・半年ぶりのトーゴは意外と変化していてびっくりした。いろんなところ工事してたり、タクシーの定員変わってたり。あとあんまりP-Squareが流れてなかった。
・語学ってやっぱり大事。トーゴではフラ語ができないとお話にならない。フラ語ができるのが大前提で、あとはEwé語(トーゴ南部の現地語)がどれぐらいできるか。Ewéわかんないと彼らの本音とか絶対わかりっこない。
・宗教人類学の研究をしているMさんに会った。知識にも経験にも圧倒された。この出会いは私の中でかなり大きくて、上にもちょっと書いたけど前までNGOだとか開発だとかそういう文脈でトーゴと向き合っていたのに対して、Mさんのお話を聞いてトーゴの見方の幅、つまりトーゴとの関わり方の可能性の幅が広がった気がする。
・スタツアのメンバー2人がマラリアで入院した。最終的にみんな無事でほんとよかった。
・前回のインターン先のCILSIDAはやっぱりすごい団体だわ。プロジェクトの企画書見せてもらって話したけど、細かいところまではっきりしてるし、できてないところも意味不明な言い訳とかしない。
・帰りの機内で見た映画The Proposalに胸キュン。どきどきしたい。
・トランジットのドバイは街の全てがフェイクな感じがしてものすごく不思議だった。街全体がディズニーシーみたいな。
・一夫多妻って今の日本では受け入れがたい制度だけど、彼ら(トーゴ人)の話聞いてたらそれはそれで一理あるような気にさせられた。自分の夫が他の女の人と結婚するとか絶対嫌だけど。
・アメリカのPeace CorpsのOBでトーゴを再訪してる人に会って、トーゴではpoliticsとsaving faceって大事だよね、という話をした。

次は写真。

トーゴの道はこんなのが多い。

農村のプロジェクトで学校を建てているところ。
彼らは黒板の土台を作っています。

学校全体図
首都Loméの海岸沿いの通り

あああ、早くもトーゴが恋しいです。次戻るのはいつだろう。

Sunday, August 30, 2009

retour au togo

また戻るなんて、よっぽど好きなんだね~

といろんな人に言われますが、そんなつもりは全然ありませんでした。
ある日YouTubeでトーゴの曲を聞いていたら突然何かが私に憑依して、正気に戻った時にはチケットも何もかも手配されてて後には引けない状態になっていました。ひょっとしたら、今学期ユングについての授業を取っていた影響かもしれません。

まあ、半分冗談で半分本気などうでもいい話はさておき。
あれよあれよという間に今日30日が出発です。

夏休みの中でいちばん予定が少なくなりそうなところを狙って立てたスケジュールなのに、なぜか出発直前に怒涛のように予定が入っててんやわんやでレポートもそっちのけという、結局いつものお決まりのパターンになってしまいました。でも今回は出発の24時間以上前に荷造りの90%を終わらせたから大進歩。

今回は、YDP Togoが運営している農村ワークキャンプに計9人で参加してきます。
・・・というのが目的の半分ぐらいで、残りの半分は前回の時の友達に会いに行くっていう。仲の良かった友達が婚約・妊娠したらしいし。最近わたしの周りはドン引きするぐらいグローバルで結婚ラッシュです。みんな結婚しすぎ。ご祝儀貧乏万歳。

というわけで行ってきます。帰りは9月20日です。
何かあればgmailに英語かローマ字でメールしてください。あんまりメール見られないと思うけど。

Ciao

Friday, August 21, 2009

werewolf

わたしは狼人間。
月がわたしを支配する。

狼になった夜は、大切なものも、人も、何もかもわからなくなる。
不安がわたしの牙を立たせ、わたしを破壊へと駆り立てる。

無限の破壊の刹那に、わたしはふと、立ち止まる。
目を凝らすと、今までそこにあったはずのものが、
闇のなかに消えてなくなっていることに気づく。

自分すら見えない暗闇のなかで、わたしは仲間を求めて遠吠える。
その声は、虚空に響いて夜のしじまをいっそう際立たせる。
漆黒の湖が、幾重にも波紋を広げながら、深みを増してゆく。

暗黒の夜がもつ強力な魔力に怯え慄きながら、
今にも消え入りそうなわたしの中の「ひと」のかけらは、
わたし自身をそっと、深い深い孤独の中にうずめる。

これ以上、誰も傷つかないように。
これ以上、わたしが傷つかないように。

Friday, August 14, 2009

光と闇

The world isn't split into good people and bad people. We've all got both light and dark inside of us. What matters is the part we choose to act on.

この数週間で図らずも立て続けに先輩たちの激ポジな話を聞いて、前向きに生きるパワーが体にも心にも満ち溢れてきた。

Monday, August 10, 2009

Tsotsi

ギャビン・フッド監督、2005年、南アフリカ・イギリス合作

ストーリー(Yahoo! 映画より)
南アフリカ、ヨハネスブルクのスラム街に暮らすツォツィ(プレスリー・チュウェンヤガエー)は、仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返していた。ある 日、高級住宅街にやってきた彼は車を運転していた女性を撃って逃走。やがて、強奪した車の後部座席に生後間もない赤ん坊がいることに気づいたツォツィは、 赤ん坊を紙袋に入れて自分の部屋に連れ帰るが……。

***
ストーリーは、普通。見たことのある映画の中では「ある子供」とかと似ているかんじ。
エンディングはわりとキレイだけど、原作ってノンフィクションなのかな? こんなキレイなことが実際に起こったことだとしたら、ちょっとすごい。

それにしても、見る前から予期してはいたけどやっぱり目を見張ったのは南アの発展ぶり。
スラムの再現性って、どれぐらいなんだろう。ツォツィの家の中とか、トーゴの中流階級(と言ってもいろいろあるので、中の中くらい?)の家よりもインテリア充実してた気がする。
行ってみたいな。

Wednesday, July 22, 2009

人の気持ちがわかる脳

――利己性・利他性の脳科学
村井俊哉著、ちくま新書、2009年

SSRIは、利己主義か利他主義かという軸での人間の価値観にも影響を与える可能性があると思う。つまり、SSRIによって、脳内のセロトニンの働きが高まり、結果としてαが減少するという可能性だ。αが減少することは、利他的懲罰的な志向が減少するということ、つまり多少の不公正にもあまり腹がたたず、まあいいっか、とやり過ごせるようになるということだ。(p.113)

SSRIでの治療は、奇妙で不当な会社のしきたりと真正面から戦って力尽きかけていた人に対して、その人の価値観を変更することで心の危機を救うという、なんともおかしな解決を導いているのだ。(p.115)
ゼミでフランクルを読んでいる時にも、「病気になっても、あるいは薬を投与しても、変わり得ない人格があるか?」(フランクル的にはあるらしい)という話をしていた矢先だったので、かなり気になったところ。
もはや「ほんとうのじぶん」なんてものがあることを信じられなくて、この点についてはフランクルにやや賛成しかねるわたしでも、感覚的にはやっぱり、人為的に(どこまでが人為的かというのも厳密に考えたら難しい問題かもしれないけれど)人の精神的な部分に変化を加えることに、抵抗感がある。マインドコントロール、とも通じるところを感じるからかしら? 
なんて言いつつ、明日までの英語のエッセイ書かなきゃいけないから徹夜だーとか言って、BFが大事そうに冷蔵庫にしまっていたリポDをこっそり取り出してぐびぐびやっているわたしがここにいるわけだけど。「教育もマインドコントロールじゃないの?」みたいな問題と同じく、どこまでがOKでどこまでが危険なのかっていう線引きの問題なんだろうけど、その線の位置が時代とともにどんどん動いていって、最終的にはなんでもOKになっちゃうんじゃないの?みたいな漠然とした不安が、あるのかもしれない。あえて言葉にするとすれば。

それにしても、完全文系のわたしにとっては脳科学をはじめとする理系の考え方ってとても新鮮で魅力的でわくわくすると同時に、日々悶々と考えている人の心や他者との関係までをもこうも明快に客観的・科学的に説明されてしまうと、哲学とか人文系の学問ってやっぱりもうダメなのかしら、と思ってしまう。
「人の心をすべて化学物質や化学反応に還元する」ことに異議を唱える人文系の言説は、果たして「科学信奉主義」なるものに対する真の警告たりうるのか、それともただ単に人文学者がraison d'êtreを失わないための保身なのか・・・。
哲学が今後も存在意義を主張しうるとしたら、それは哲学独自の在り方ではなくて、それこそ文理を止揚(・・・とまではいかなくても、そんなかんじのsomething)した在り方によってのみ可能なのではないかしら。死生学なんて、まさにそんな要請から生まれてきたものでしょう(ただ、今学期受けた授業の内容からは、死生学ですらいろんな分野の寄せ集めにしか思えなかったけど・・・。異なる複数のディシプリンの止揚とか、相当難しいのはわかるのですが)。

とはいえ完全に打ちのめされたわけでもなくて、物足りなかった点も何点か。

ひとつめとしては、
「なぜ」私たち人間は、他の人たちの喜びや苦しみによって、自らの喜びや苦しみの価値が変わるのか、というさらに深い問いを投げかける読者もいらっしゃるだろう。そのことには、この本では答えていない。(p.195)
と著者も書いているように、いちばん知りたい「なぜ」に対する答えが得られなかったのがもどかしいところ。まあ新書だし仕方ないのかもしれないけど。

それから、本屋さんでぱらぱらとめくっていた時に、わたしが以前読んで衝撃的感動を覚えた中沢新一の『愛と経済のロゴス』に出てくる「純粋贈与」(マルセル・モースの贈与論を発展させた、「交換」「贈与」に次ぐ第三の概念)の話を引用していたのを見て、人類学と脳科学をつなげてくれたのか!!!と感動と期待に胸を打ち震わせたから買ったと言っても過言ではないのに、ちゃんと読んでみたら中沢新一の論について真正面からは向き合っていなかった。
中沢の「純粋贈与」は、人間ではなく霊性や神の領域に属するいとなみであると述べられており、脳科学が扱える水準を超えている。(p.131)

中沢の話では、そのような第三の原理、純粋贈与の原理は、神のみが与えうる大地の恵みのようなものということになっている。神が現れてしまうと、さすがに脳科学では扱いが難しい。(p.144)
今回に限らず、「これ以上はわれわれのディシプリンで扱う範疇を超えています」というのはしょっちゅう聞く話。専門家としては当然のことなのかもしれないけれど、わたしみたいな勉強不足のおばかさんは、これを聞くとものすごくがっくりきてしまう。仮に学問が真理の探究の営みだとしたら、こんな発言をすることは本末転倒な気がしてしまう。
自分が拠って立つディシプリンの前提を絶対的なものとしてものごとを深めていくことが重要なのはもちろんだけど、それと同じくらい、その前提を疑ったりちょっと壊してみることも意味のあることなんじゃないか。それは、自分の居場所を危うくすることかもしれないし、勇気がいることには間違いない。でも、それをしないことには、前述の止揚だとか、今流行りの「学際的」「分野横断的」な営みなんてできないんじゃないか。と、哲学をほんのちょっぴりかじっただけの、学問論を語れる立場なんかには到底ない一学生は、思ってしまいます。

とはいえこの本の全体的な感想としては、わたしみたいな理系の基礎知識もないような人でも理解できるように丁寧にやさしく書いてあってよかったし、「やっぱり脳科学スゴイ」と改めて思いました。ちゃんちゃん。

Monday, July 20, 2009

an exhausting day

ヒールで長時間歩いて足が痛い。寝る前にメーク落とさなきゃ。おんなのこって大変ね。

今日は、井の頭公園に出店/出展している人たちの出し物を見たり話を聞いたりした。
前までは、こういうのに参加する人って狭義のartisticな若者だけ、みたいな勝手なイメージがあったけど、今日見てみたら、自分で日本各地を回って撮った電車の写真を1枚100円で売っている人とか、『北斗の拳』をそれはもう熱狂的に読み聞かせしている人とか、ジャンルも年齢層もいろんな人がいてすっごくおもしろかった。

完全にわたしの無知&失礼極まりない偏見なのかもしれないけど、いわゆる「オタク」の人って自分(たち)だけで自分(たち)だけの世界を築き上げてその中に住んでいるみたいなイメージがあったから、ああやって不特定多数の人の前にわざわざ出ていく人もいるっていうのを知ったのは、実は衝撃的なくらいに新鮮だった。

ちゃんとした根拠はないんだけど、前に比べてだいぶ、「オタク」という言葉にネガティブな意味合いが含まれることってなくなったんじゃないかな、なんてぼんやりと思ったり。逆に「日本が誇るべきもの」にすらなりつつある印象もあるし。
とにかく今日の『北斗の拳』の読み聞かせは、お腹がよじれるぐらいに本当におもしろかった。

(今では「オタク」の中にもいろいろと細かい分類ができて、「オタク」というくくりがそもそも有効じゃなくなってるのかもしれないけど。)

***

生きることがとても難しく感じられる時もあれば、生きることについて何を悩む必要があるんだろうと思う時もある。

あっはっはって笑うのって、ご飯を食べるのと同じくらい、太陽の光を浴びるのと同じくらい、元気に生きるためにはきっとすごく大事なことなんだろうなあ。

激ポジの人には、何か周りにも伝染するとてつもないエネルギーがある気がする。
ニヒリズムは思考の必然だとか、ネガから逃れるには思考停止するしかないとかという思考を一度経験すると、「考える」ことと「ポジティブである」ことを両立できることのすごさはもう尋常じゃないものに思われる。

***

倫理学の熊野先生がこの間言っていたこと。

哲学を専門にしない人には、
・部分的に理解する権利 と
・誤解する権利 がある

だから、ある哲学者の言っていること全てをその意図通りに理解しなくても/できなくても、何か自分にひっかかる(キター的な)ものがあればいいんだって。

いろいろな解釈と反論が可能な言葉だと思うけど(笑)、わりと納得。

Wednesday, July 15, 2009

幻想

自ら可能性を閉じることだけは絶対にすまい、と思っていたけれど、知らず知らずのうちにまた枠の中に閉じ込められそうになって喘いでいる自分がいた。

どうも最近わたしを包み込んでいる「社会」は、あたかも決められたレールがあるように見せかけることに長けている上に、そこから外れることに対して極度の不安を抱かせる要素が多くてよくない。

世界はもっと、「ナンデモアリ」なところなんだった!

世界を旅した去年1年間をかけて、否、それを含めた自分のこれまでの人生をかけて、このことこそを学んできたのではなかったか。
頭ではこのコトバを記憶していて、常に自分に言い聞かせていたつもりだったけれど、それはもはや単なる「記号」と化しつつあったのかもしれない。
不可能性の幻想に囚われて、自らの「自由」によって絶望に打ちひしがれそうになっていた現実。ナサケナイッ

こんな幻想は、梅雨の雨と共に、さようなら。

Thursday, July 9, 2009

時計じかけのオレンジ

Clockwork Orange
スタンリー・キューブリック監督、1971年

とにかくわけがわかんないって聞いてたから「マルコヴィッチの穴」的なわけのわからなさを想像して見たら、それなりに理性でも理解できる程度の、それでいて他にはないような独特さを持った、不思議な世界だった。

最後まで飽きる隙を与えないストーリー展開。
独特の言葉遣い。こういう言葉遊び的なものって、外国語に訳すときすごく難しいんだろうなぁ。

映画に詳しくも何ともないわたしの印象では、ティム・バートンもこういう系列かな、と思ったんだけどどうなんでしょう。「チャーリーとチョコレート工場」とか、「スウィーニー・トッド」とか。

Monday, July 6, 2009

夏のはじまり

昨日、本郷で蝉が鳴いていた。
蝉の鳴き声にはあまり似つかわしくない曇り空だったけど、もう夏なんだなーとびっくり。

日本で夏を過ごすのは、だいぶ久しぶりのような気がする。
ただ暑いのは耐えられるけど、蒸し暑いのは嫌い。
たぶん1年の中で一番苦手な季節だけど、今年もいい夏になりますように。

Thursday, July 2, 2009

ナルニア国物語 第2章:カスピアン王子の角笛

アンドリュー・アダムソン監督、2007年

一作目を観たのが昔すぎてあんまり覚えてなかったけど、なんとかついていけた。

「自然vs人間」みたいな構図が意識されているのかいないのか。
でもそれより何より「正義vs悪」という構図が圧倒的に前面に出ていて、最後には正義が勝つというのが、やっぱりディズニーだし、やっぱりファンタジーだな、ってかんじ。

自然を擬人化しすぎてた(川とか木とか花びらが人の顔を持つ)のがちょっと気になったけど、ディズニーだってことを割り切ってその中に没入してしまえば、どきどきわくわくでおもしろい映画。
何よりカスピアン王子がかっこよかったからよし。

***
ところで最近映画のレビューが多いのは、水曜日にTSUTAYAが半額になるので、毎週1本DVDを観ることにしているからです。

Sunday, June 21, 2009

仏検

準2級受けてきた。
試験後に配られた模範解答で自己採点したら、98/100点。
初めてだからちょっとひよって準2級にしたけど、蓋を開けてみたらなんか余裕すぎて受験料損した気分。

まあ今回は、自分のフラ語力が客観的にどのレベルなのかがある程度わかったのでよしとします。
とはいえこの程度じゃ日常生活はsurviveできてもきっとビジネスとかには使えないからなあ。付加価値低いなあ。学生のうちにもっと頑張りたいものです。

なにはともあれこんな戯言を言えるのもトーゴでの生活があったからだわ、今さら言うまでもないけど。1,2年生の頃のフラ語の授業でのわたしのダメっぷり(というかそもそも出席が・・・)に比べたら目覚ましい進歩を遂げたと言えるでしょう。(目覚ましい進歩の後がこれ?っていう指摘は聞こえないふりをすることにします:P)

ところで仏検の運営は今まで受けたり試験監督のバイトした語学試験の中でいちばんしっかりしてた気がする。郵便で届いた受験票には受験地だけでなく建物と部屋番号も書いてあったし、当日は解答用紙に既に名前とか受験番号とか書いてマークしてあったし、試験後には模範解答配ってくれるし、試験官の指示とかソフト面の運営も問題なかったし。

唯一気になったのは試験官の学生バイトと思われる男の子のスーツがだぶだぶかつベルトがカラフルすぎたことぐらいだ。

Friday, June 19, 2009

愛するということ

エーリッヒ・フロム著、鈴木晶訳、紀伊國屋書店、1991

pp. 48-52
 愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊敬、知である。
 [・・・]愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。
 [・・・]配慮と気づかいには、愛のもう一つの側面も含まれている。責任である。今日では責任というと、たいていは義務、つまり外側から押しつけられるものと見なされている。しかしほんとうの意味での責任は、完全に自発的な行為である。責任とは、他の人間が、表に出すにせよ出さないにせよ、何かを求めてきたときの、私の対応である。[・・・]愛する心をもつ人は求めに応じる。弟の命は弟だけの問題ではなく、自分自身の問題でもある。愛する人は、自分自身に責任を感じるのと同じように、同胞にも責任を感じる。
 責任は、愛の第三の要素、すなわち尊敬が欠けていると、容易に支配や所有へと堕落してしまう。尊敬は恐怖や畏怖とはちがう。尊敬とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。尊敬とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうことである。[・・・]私は、愛する人が、私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う。誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるような一個の対象にするわけではない。いうまでもなく、自分が独立していなければ、人を尊敬することはできない。
 人を尊敬するには、その人のことを知らなければならない。その人に関する知識によって導かれなければ、配慮も責任も当てずっぽうに終わってしまう。いっぽう知識も、気づかいが動機でなければ、むなしい。[・・・]愛の一側面としての知識は、表面的なものではなく、核心にまで届くものである。自分自身にたいする関心を超越して、相手の立場にたってその人を見ることができたときにはじめて、その人を知ることができる。

pp. 194-197
 私たちの社会では、愛とふつうの世俗的生活とは根本的に両立しない、と考えている人たちもいる。そういう人たちは、現代において愛について語ることは全般的な欺瞞に加担することでしかない、と主張する。さらにまた、現代社会において人を愛することができるのは殉教者か狂人だけだ、したがって、愛についての議論はすべて説教以外の何ものでもない、と主張する。まことに立派な意見だが、こういう考えはシニシズムを合理化することになる。実際のところ、一般の人びともひそかにそのように考えている。彼らは、「よきキリスト教徒でありたいが、本気でそうなろうと思うなら、餓死するほかはない」と思っている。この「急進主義」は、結局は道徳的ニヒリズムに陥る。「急進的な思想家」も、一般の人びとも、愛することのできないロボットであり、両者の唯一のちがいは、一般の人びとはそれに気づいていないのに対し、思想家はそれを知っており、この事実が「歴史的に必然」であることを認識しているという点である。
 愛と「正常な」生活とは絶対に両立しないという主張は、抽象的な意味でしか正しくない。たしかに資本主義を支えている原理と、愛の原理とは、両立しえない。しかし、現代社会を冷静に見てみると、それが複雑な現象であることがわかる。たとえば、実際には役に立たない商品を売りあるくセールスマンは、嘘をつかなければ利益をあげることができないが、熟練労働者や化学者や医者は嘘をつく必要がない。同様に、農民、労働者、教師、その他さまざまな種類のビジネスマンは、仕事をやめなくとも、愛の習練を積むことができる。資本主義の原理が愛の原理と両立しないことは確かだとしても、「資本主義」それ自体が複雑で、その構造はたえず変化しており、いまなお、非同調や個人の自由裁量をかなり許容していることも、認めなければならない。
 しかし、だからといって、現在のような社会システムは永遠に続くだろう、とか、現在の社会システムはやがて理想的な兄弟愛を生むことになるだろう、などと言うつもりは毛頭ない。現在のようなシステムのもとで、人を愛することのできる人は、当然、例外的な存在である。現在の西洋社会においては、愛はしょせん二次的な現象である。それは、多くの職業が、人を愛する姿勢を許容しないからではなく、むしろ、生産を重視し、貪欲に消費しようとする精神が社会を支配しているために、非同調者だけがそれにたいしてうまく身を守ることができるからである。したがって、愛のことを真剣に考え、愛こそが、いかに生きるべきかという問題にたいする唯一の理にかなった答えである、と考えている人びとは、次のような結論に行き着くはずだ。すなわち、愛が、きわめて個人的で末梢的な現象ではなく、社会的な現象になるためには、現在の社会構造を根本から変えなければならない、と。
 その変化の方向については、本書ではほのめかすことしかできない。[・・・]
 人を愛することができるためには、人間はその最高の位置に立たなければならない。人間が経済という機械に奉仕するのではなく、経済機械が人間に奉仕しなければならない。[・・・]人を愛するという社会的な本性と、社会的生活とが、分離するのではなく、一体化するような、そんな社会をつくりあげなければならない。

この本を読みながら、あるいは読み終えて、頭に浮かんだ引用。

「現代の世界のなかで、[・・・]誰も信じないのが愛であり、せせら笑われているのが愛であるから、このぼくぐらいはせめて玉ねぎ[=愛の働き、神、イエス]のあとを愚直について行きたいのです。」
 ―遠藤周作

「人類すべてに対する愛に溢れていても、対象が具体的になればなるほど愛することは難しくなる」みたいな(うろ覚え)
 ―ドストエフスキー

人に馬鹿にされても、偽善だと非難されても、論理的に破綻していると言われたとしても(誰よりも自分がそれをわかっていても)、愚直に「愛ある人として」(これが中学・高校のスローガンみたいなのだった)生きることが、やっぱりわたしにとっての理想の生なんだろうなと思う。

愛についての考え方も、相対主義も、高校の時と比べて深まりはしても結局のところ何も変化していない。大学で勉強したら、何かもっと明確な答えが見つかるのだろうと思ってたけど、今のところ余計にわからなくなる一方だ。「大学でたくさん勉強しました」なんてまだまだ(というかおそらく一生)口が裂けても言えないけれど、答えが見つからないのは勉強不足のせいなのか、どうなのか。。

Monday, June 15, 2009

ロゴス、絶望

他者とのコミュニケーションを志向して、ロゴスを使っているはずなのに、
ロゴスに忠実になればなるほど、他者とのコミュニケーションは難しいものになっていく。

ロゴスを突き詰めていった先には、相対化の自己増殖という、ロゴスの循環的な矛盾構造しか残らない。
循環には、最終地点すなわち結論は存在しない。価値を決めること、立場を決めること、何を言うこともできない。
ロゴスの循環構造という破綻の先には、他者とのコミュニケーションの不可能性しか残らない。

社会で生きていくためには、どこかで思考を停止し、妥協しなければいけないのだろう。
そうやって「みんな」生きているんだろう。
でも、相対化の自己増殖は、自己増殖である以上、一度始まったら止めることはできない。

「そういう話、好きだね」
好きなんかじゃない。わたしだって、こんな生産性のない、破壊的ですらある思考は、止められるものなら止めたい。しかしそれは、わたしが望むと望まざるとに関わらず、自動的に、いとも簡単に、発生してしまうのだ。

ロゴスに忠実になることを諦めることでしか生き得ない世の中で、「論理的思考力」が評価されているというのはどういうことなのだ?
「論理的思考力」なんて、決して論理的などではない。

世の中なんて、茶番だ。
社会なんて、茶番だ。
近代なんて、糞食らえだ。社会は依然として、「近代」に支配されている。

思考停止という妥協によってしか生きていけないとは、なんて哀しい、苦しい、世の中だろう。

どうやって生きていけばいいのか、まったくわからない。わかるわけがない。

問題は、ロゴスしか他者とのコミュニケーションの、否、思考すること、存在することそのものの、手段がないことだ。
ロゴスの否定は、共存在としての人間存在そのものの否定だ。存在することも、だがしかし死を選ぶことも、許されない。
ロゴスを否定することすら、ロゴスなしではできないとは、なんとアイロニカルなことだろう。
ロゴスに支配されてしまう自分の、弱さ、と呼ぶことすらできない、弱さ、と呼ぶことすら(ry

それでも共存在という不幸な、根源的な他者への渇望はそこにあって、その先の不可能性と絶望に慄きながら、こうしてロゴスを紡いでしまう。

Wednesday, June 10, 2009

My Blueberry Nights

ウォン・カーウァイ監督、2007年

Jude Lawがかっこよすぎた。
ストーリーはいまいち。

Monday, June 8, 2009

価値

相対化の自己増殖から抜け出せそうにない身としては、「価値」なんて言葉を使うのにはちょっと抵抗がなくもないのですが。まあ今夜は(今夜「も」?)妥協します。


今日、トーゴでの研修先のCILSIDAから、メールが届きました。
2008年度の活動報告書の英訳版が添付されて。

そもそもなんで仏語のドキュメントを英訳する必要があるかと言うと、より多くの(つまり、仏語圏以外の)潜在的ドナーにリーチアウトするため。
プ ロジェクトを回すには、資金が必要。そして、資金源の大部分を占めるのは先進国のドナー(ちなみにCILSIDAは2008年度は、UNICEFと Fondation de Franceという2団体からかなりの額をもらっていました)だから、より多くの潜在的ドナーに接触することは、より多くの活動資金を得、活動の可能性の 範囲を広げることにつながります。
(そうやってNGOを隠れ蓑にして得たお金を私利私欲のために遣う人が、わたしがひとつめの研修先JADIなどで実際に見たように、また伊勢﨑賢治が書いているように、ものすごく多いのも事実ですが。。。)

CILSIDAの人たちは、というか一般的にトーゴ人は一部のインテリ層という例外を除いてみんな英語があまりできないから、仏語のドキュメントの英訳は、わたしがトーゴにいる間はわたしの仕事でした(わたしだってそんなに英語が完璧なわけじゃないけど)。

でも、じゃあ、わたしがいなくなった後はどうする?

彼らに書類が書けるレベルの英語力を身につけさせるというのは、わたしがCILSIDAにいた2ヶ月半では到底無理なこと。
そこで考えたのが、アメリカの大学に行っている友達がサークル活動みたいなのでやっている、無料翻訳サービスを紹介することでした。

わたしがトーゴを離れた直後に彼らが連絡を取り合っていたのは知っていたけれど、その後はあまり連絡が来なかったから、最近は立ち消えになっちゃったのかもしれないなあ、なんてぼんやり思っていました。

そんな中に来たのが今日のメール。
ちゃんと、今も続いてるんだということがわかって、ちょっと嬉しかった。


半年間(CILSIDAは2ヶ月半)という期間の中で、わたしにできることは本当に限られていました。というか、こんな短期間で「成果」を求めることは、逆にたぶんあまり彼らのためにならないんじゃないかな、という気がしていました。

そんな中で、わたしがトーゴでの研修中に常に念頭に置こうと思っていたこと:
・わたしにしかできないことをする(彼らにできる仕事を横取りしない)
・わたしがいなくなっても続くことをする(一発打ち上げイベントはしない)

CILSIDAではこの二点にあてはまるものもあてはまらないものもいろいろやったけれど、上の翻訳の話と似たようなことがもうひとつあって、それはトーゴにいる日本のNGOにCILSIDAを紹介したこと。

そ のNGOとCILSIDAは今でもつながりがあって、というかわたしが去った後さらに仲良くなったみたいで、CILSIDAはそのNGOから定期的に孤児 たちのための文房具や古着をもらっています。(そもそもこういう「援助」の仕方ってどうなの、という疑問は残りつつも・・・)

わたしが CILSIDAでやったことって全然大したものではなかったけれど、こうやって今もあの時がきっかけで何かが続いてるって思うと、あの研修では、わたしが たくさんのことを学ばせてもらっただけではなくて、彼らの為にもささやかな価値を出せたのかなあ、と思ったりした日曜日でした。
あとは、翻訳やってたりトーゴでNGOやってたりする人との、奇跡のような幸運な出会いに感謝。人とのつながりって、本当にすごい。

三回忌

人生って、うまくいかないことや理不尽なことや悲しいことやつらいことがいっぱいある。
でも、自分のそばに、心から信頼できて、寄り添い合える人がいてくれたら、「いろいろあるけど人生っていいな」って、思える気がする。

Saturday, June 6, 2009

ダージリン急行

The Darjeeling Limited
ウェス・アンダーソン監督、2007年

すごいおもしろかった。
こういう物語の紡ぎ方、すき。

批判は言葉にしやすいけれど、
「すき」を言葉で説明するのは難しい。

Tuesday, June 2, 2009

なまえとつながり

今日の西洋倫理思想史の授業は、最高にアツかった。
わたしがこの間のポストで書いていたこと、考えていたことにドンピシャだった。
「そう、それ!!!!!」って感覚。

授業の内容は、ハイデガーを中心に、前後の思想家の思想を概観するというもの。
具体的には、ベルクソン、ハイデガー、レーヴィット、レヴィナスの4人で、今日はレーヴィット。

レーヴィットのハイデガー批判の中で、なまえ(固有名Eigenname; proper name)について。
Das Individuum in der Rolle des Mitmenschen, 第3節

両親が子どものためにわざと、歴史的にまったく負荷を負っていない呼び名、その子のみに帰属して、他のいかなる者にも帰属しない呼び名を選んだとしよう。その場合であっても、子どもが以後その名を身に帯びることになるのは、けっしてじぶん自身のためではなく、他者たちのためである。つまりその名は、他者たちによって呼ばれうるためのもの、他者たちのまえでじぶんを証明しうるためのもの、他者たちのために署名しうるための或るものなのである。[中略]いわゆる固有名とは、かくしてふたつの意味で他者の名である。さしあたり他者たちから与えられたものとしても、他者たちのためにさだめられたものとしても、他者のなまえなのである。

さらに、レーヴィットがフォイエルバッハの評価から引き出した2つの主題。
感覚主義Sensualismus:身体性、感受性に根ざすこと
他者中心主義Altruismus:デカルト的なegoにとって、他者は必要条件(conditio essendi)であること

●ひとが自己を「じぶん」と認識することの前提には、必然的に他者の存在があるということ。
●それから、身体性(これって、ハイデガーの「情状性」とどう違うのか、まだいまいちわからないけど)。

前者について、わたしはこの前のポストで、
「他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。」
「他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。」
と書いた。
少なくともわたしの解釈では、レーヴィットの言ってることはわたしの考えてたこととつながっている。

後者についても、おこがましさを覚悟でわたし自身の思考に即して言えば、
「自分で体験してみなきゃわからないことがある」
ってことになる。どれだけ正確な解釈ができてるかはわからないけど・・・。

***

本を読んだり、授業に出ていると、時々この「そう、それ!!!!!」って感覚が来る。
わたしの中のリアルな(つまり、西谷啓治の言うところの体得的な)問題意識や断片的な思考が、電撃的な感動と共に、つながる瞬間。

もっと勉強していくと、こういう「つながり」がどんどん増えていくんだろうな。
自分が脱構築と再構築を繰り返していく中で、「つながり」という解釈を導き出す土壌がつくられてゆく。

こういう時、勉強って、本当に楽しいと心から思える。

Thursday, May 28, 2009

INTO THE WILD

ショーン・ペン監督、2007年

旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。

2008年5月6日
な んか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもし れない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せ るようになれたらいいだろう。

2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。

*** 

彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。

完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。

彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。

"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"

彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。

***

"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"

なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。

***

彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

お 金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られ ること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番 を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。

茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。

だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。

***

正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。

自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。

Sunday, May 24, 2009

*inentitlable

旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。

どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。

日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。

「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。

表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。

でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。

しかしやっぱり! 
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。

でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。

そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。

だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。

相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。

doodles

「おなじ」と「ちがう」のちがいがわからない。
自分の意図するところを他者に伝えるのって、むずかしい。

自虐は自己防衛手段に他ならない。

「いつか失うかもしれない不安」に慄くより、「今ここにある幸せ」に酔いしれよう。
その幸せが、当たり前なんじゃないって、感謝しながら、大切にしながら。
そしたら、きっと、もしも失う時が来ても、幸せだった時を振り返って温かくなれる気がするから。

Friday, May 22, 2009

リハビリ

頭がよく使えない。

1年間、ロゴスに寄り添うことを放棄して、「思うまま感じるまま」に過ごしていたら。

大学に戻れば、またすぐ元のように思考できるようになるだろう、と思っていた。

でも溶けてどろどろになっちゃった脳みそのリハビリは、思っていたよりも時間がかかるみたい。

ロゴスに頼らない(相対的な問題として)、っていうのは、それはそれで大きな収穫だったんだけど。

でも、ロゴスが支配する社会に戻ってきた今となっては、もどかしさと、ちょっとだけ、焦り。

トレーニングあるのみなのかしら。

Tuesday, May 19, 2009

境界線の消失

時々、自分の目の前にいる人が誰なのかがわからなくなる時がある。
それは、大抵の場合、自分に近しい人。例えば、母。妹。彼氏。

「誰なのかわからない」の意味は、それを「客体として見ることができない」、と言い換えてみると、ちょっとしっくりくる。

あまりにも自分に近すぎて、「わたし」と「○○」という距離感ではもう捉えられなくなる。
極端に言ってしまえば、自分と相手の区別がなくなる。とけてなくなる。
ことばによって区切られている世界が、ダリの絵を動画にしたみたいにぐにゃぐにゃになって、「枠」がなくなる。

それは言葉によって、対立という基本概念によって世界を捉えることに慣れてしまった頭にはあまりにも斬新すぎて理解の範疇を超えていて、違和感すらあるけれど、わたしがずっと追い求めている「他者との境界線の消失」というのは、これなんだと、頭で理解するのではなく、体感する瞬間。

Friday, May 15, 2009

スーツ

今日、ものすごく久しぶりに――帰国して初めてだから1年以上ぶりに――スーツを着た。

あんなに嫌で嫌でたまらなかった就活が、ちょっとだけ楽しみになった。

Friday, May 8, 2009

雨上がり

雨上がりってすてき。

それは、例えば冬の後にやってくる春にも似た、生命が歓びの叫びをあげるとき。

ただの晴れの日よりも、過ぎ去った雨を思うと一層喜ばしく、残った水滴の輝きに光る世界が一層美しい。


ひとの心が、いかに自然に支配されているか。

というこの言説が、非常に近代的であるのだけど。
人間と自然などという区別なんてなかった。あえて近代的な言い方をすれば、人間も自然の一部だった。
それは人間がどんなに哲学的変化を遂げようとも、その様変わりする世界観に合わせて「身体性」とかいろいろと「ラベル」を変えながらも、真実であり続ける、気がする。
真実がある、のだ、と、すれば。
情状性によって存在を語るのも、頷ける。


夜が明けて、太陽が雨上がりの世界を輝かせて、その世界に向かって「おはよう」と言う瞬間が、待ち遠しい。

Monday, May 4, 2009

死者の存在

夢で死者と会話したという話。

古今東西、死者が夢の中に現われて、夢を見ている本人に何かしらのメッセージを伝えたという話は珍しくない、気がする。
母も、兄を流産した時に、亡くなった姑(わたしの父方の祖母)が夢の中に現われて、彼女を励ましてくれたらしい。

それを自身で体験していない周囲の人の中は、おそらく、本人の脳の中で特殊な反応が起こったからだとか、意識あるいは無意識の産物だとか、あるいは中沢新一が『カイエ・ソバージュ』で書いていたような仕方で説明する人も多いだろう。

でも、それを体験した本人にとっては、まぎれもない「リアル」であるに違いない。

死者は本当にその人のところに現われたのだろうか?
つまり、死者の霊みたいなものって本当に存在するのだろうか?

それは、わたしにはわからない。
わたしにはそういう経験がないから、どちらかというと脳内現象みたいな前者の説明の方が抵抗なく受け入れられるけれど、でも、今後もしそういうとてつもなく衝撃的なリアルな体験をしたら、霊の存在を信じて疑わなくなる可能性だって十分にある。

とにかく今はわからない。
わからないけれど、でも少なくとも、この「死者が現われる」という事象には、人間がいつまで経っても克服することのできない「死」へのどうしようもない受容不可能性、みたいなものが表れている気がする。

「死」ということは「無」を意味する。
とすれば、「死者」の霊が「存在する」ということはそもそも語義矛盾を孕んでいる。
死者はもう跡形もなく消え去ったもののはずだから。

人間は、きっと、「無」に耐えられない。
だから、「この世」の命あるいは「肉体」が無くなっても、「いのち」そのものとか「魂」は存続するという言説を、いろんな形で生み出してきたんだと思う。

それは世界中の文明を見てもそうだし(祖先祭祀や、霊の存在、永遠の命への信仰などなど)、もっと身近なところでは、死にゆく人が「わたしのこと忘れないでね」と言うことだって、ある意味での自己保存の欲求、無への抵抗と言えると思う。

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ただ、「死」は「無」であるというのは、もしかしたらそれほど自明のことではないかもしれない。

それが顕著に表れるのは、死体を前にした時。
目の前に横たわっているこの人は死んでいる、でも、ここに存在している。
この体はもはや単なるモノに過ぎないのか、それともそれ以上の何かなのか。

そもそも「なくなる」ってどういうことなのか?

もしかしたら、生と死の境目は、思うよりももっとグラデーション的で曖昧なものなのかもしれない。

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生き残った者が死に意味づけを与えることは容易い。

いろんな意味づけのための言説に対して、死者に敬意を払っているとか、死者を冒涜しているだとか、そういった意味づけの意味づけをすることも容易い。

だけど、それは、決して死者のための意味づけなんかではない。
遺された者たちが、喪失の痛みや死への恐怖を隠蔽するために作りだした言説にすぎない。
のではないかしら。
だって、どんな意味づけを与えてみたところで、その対象の「死者」はいないんだもの。

アリエスは死への対峙の仕方をいろいろに分類したけれど、それでもやっぱりいつの時代も、根源的な死への恐怖や圧倒的な無力感は拭えていないのだと思う。

帰納的に理解された生においては、生と死は表裏一体で、どちらももう一方のraison d'êtreみたいな部分がある。
でもそれは一方向的で、一度死んでしまったら後戻りはできない。

だから、死を語ることはちょっと変な営為だ。
誰も自分の死を体験することはできない。他人の死を通してなんとなく死を疑似体験した気になったり、死をどう解釈しようかと悶々とすることしかできない。
わたしは「体験していないことは実感を持って語れない」と常々思うのだけれど、じゃあ、この死に対するわたしのポストだって、きっとどこか浮ついた、リアルさの欠けたものに過ぎないに違いない。

でも、やっぱりそういう形でしか、死への言説は成り立ちえない。
他者の死を自身の生に照らし、生を考えることしか、死への言説は成り立ちえない。

春は1年でいちばん好きな季節。

存在の歓びと希望に満ち溢れる季節。

春があるから、他の季節を行き忍んでいけると言ってもいいくらい。


そして4月から始まった新学期、新生活。

平和に幸福に過ぎていく日々を噛みしめながら、

大切な人のことを想いながら、

笑顔を絶やさずに生きていこう。