Sunday, November 15, 2009

wanderlust

Am having the onset of wanderlust syndrome again...

旅に出たい病発症。な週末。
周期的に発作が起こるのです。原因不明の発作。決して今の生活が嫌とかではないんだけど。

旅を美化するのはあまりにも一方的で自己満足的な気がして好きではないんだけれど、それでもやっぱり時々日本にはない空気 ("air" here having the literal meaning and not the figurative one as in "KY") に包まれたくなる。

マサダの、太陽と地面との間を隔てるものが何もないあまりに直接的な日差し。「ああ、ここには神が必要なんだな」と、一瞬にして私の身体をもって理解せしめた果てしない真っ赤な荒野。

フュッセンの、心を澄みわたらせるような朝の冷気。滴を浴びて木々があげる歓びの歌声。

ロメの、今にも踊りだしたくなるようなあっけらかんとしたひたすらに青い常夏の空。細かい砂と埃を含んだ潮風。

シーパンドンの、全てを包み込み全てを流し去るようにゆったりと流れるメコンの夕暮れ。ジャック・ジョンソンを聞いているだけでイっちゃいそうな楽園の昼下がり。

ペンシルベニアの、開拓時代から何も変わっていないんじゃないかと信じてしまいそうな程のどかで美しい秋の彩り。

ヴァーラーナシーの、牛の糞にまみれた迷路の先にある命に対する過剰なまでのエネルギー。その横をただ無関心に流れる河。その河の向こうから闇の終わりを告げる朝日。

ギョレメの煙草の煙と匂い。

ハロン湾の神秘的な霧。穏やかな波と心地よい風とバーバーバーに酔いしれる夜。

ホイアン慕情。色とりどりの光が煌めく鏡の水面。

その空気に包まれながら、私の身体が、そこ、に、ある、ということ。

その空気に包まれながら、私が孤立したアウトサイダーであること。

身体がここにはない空気を欲している。
Physicalだからこそ、日本では再現できないもの。
こんな風に言葉にしたって、表現できっこない、伝わりっこない、だけどこのwanderlustの発作をカルテにしたためる。

身体性がlifeに占める大きさ。その先には「わかりあえなさ」が頭を擡げているとしても。

When and where will be next?

Wednesday, November 4, 2009

沈まぬ太陽

寒くなりましたね。
暖房をつけたいのにこんな時に限って壊れてしまって、おんぼろ日本家屋の部屋は今日もしんしんと冷えこみます。母が救援物資を送ってくれたというので、復旧まではそれで命を繋ぐことができそうです。ありがたや。


さて。
「沈まぬ太陽」観てきました。
ひょんなことから2回も観てしまった。原作はまだ読んでいないので、純粋に映画の感想をば。
「社会派」と評されているけれど、それは具体的なトピックがそうっぽいだけで(そもそも「社会」って言葉自体が曖昧で何を指すのかよくわからなかったりするんだけど)、実際にはもっといろんなテーマが織り込まれていていろんな観点からappreciateできる映画だと思う。

わたしのappreciationは、主にふたつの視点から。

ひとつは、御巣鷹山の事故をめぐる遺族の描写を通して考えた、というよりは思い出したこと。あんまり映画そのものとは関係ないかもしれないけれど。遠藤周作の『深い河』を読んだ時に強く強くわたしを打ちのめした感覚。
世間から見たら何の変哲もなかったり軽蔑すらされていたりどんなに取るに足らないような人であっても、ひとりひとり、今までの人生めいっぱい分の、他の誰とも違う、その人固有の経験の中に、喜びがあり、学びがあり、悲しみがあり、苦しみがあり、痛みがあり、それを背負いながら今を生きている。他者の背負っているものの中身を理解することはできなくても、その重みには常にawareでいたい。"Only one" という俄かに流行りの言葉を使うとしたら、それは自分のためではなく、他者と向き合う姿勢として忘れずにいたい。

もうひとつは、就活中の身ということもあって、いわゆるワークライフバランス的なものについて。
家族を犠牲にすることの上に仕事が成立する、って、どういうことなんだろう。なんでそうなっちゃうんだろう。主人公の恩地が象徴しているであろう数十年前 のサラリーマン像(とそれを生んだ社会システム)については、このワークライフバランスに対する考え方次第で評価が二分される気がする。「矜持」を美学 と見ることも、身勝手と見ることも可能。恩地の妻の「わたしだって、いっぱい我慢、してたんですよ」という言葉が沁みた。
何かひとつのものごとを選んで信じて突き進むことができるのってすごいことだと思うけど、バランス感覚を持って生きていくのも至難の業よね。でも、案ずるより産むが易しなのかなあ、もしかして。ううむ。

(余談:でもでもっ 恩地の置かれた時代や文脈を無視することが許されるならば、僻地勤務は羨ましすぎる! カラチ・・・は今危なそうだから置いとくとしても、テヘラン(・・・も危ない?)とかナイロビとか行きたすぎる。)


*** R.I.P. Claude Lévi-Strauss ***