Showing posts with label ***. Show all posts
Showing posts with label ***. Show all posts

Monday, December 12, 2011

働き始めました

っていうには遅すぎだよねどう考えても。

しばらく言葉を失っていました。

今年の4月から働いています。社員12人のちっさな会社です(今まで15人て言ってたけど、ちゃんと数えてみたら正社員は12人だった)。

就活してた時は、ビジネスとか資本主義とかいう世界で積極的に生きることにどうしても納得できなくて(これは今でもまあそうなんだけど)、卒論提出した後も進路決まってなくて、でも「働かざるもの喰うべからず」(=就職しないなら死ね)と言われたことに全存在を押しつぶされそうになって、それはその通りってわかってるんだけど、でもひょっとしたら他にも生きていくことが許される道ってもしかしてあるのかもしれないっていうその可能性を、一縷の望みを捨てきれなくて、、、っていう堂々巡りのどうしようもなさを理解してもらえない圧倒的な孤独に苛まれて、いま考えるとつらかったなあ。存在の全否定の中で、生きるという選択も死ぬという選択もできない、主体的な選択をできない結果としてただ存在していただけのあの頃は、たしかにつらかった。

結局どっちつかずなかんじで働きたくないなーと思いながら「働かざるもの喰うべからず」という圧力のみによって細々と就活を続けていたわけだけど。どの会社も全く行きたいと思えなかったから、結局選考とか面接とかぶっちしまくって、どこも決まらないまま卒論も提出しちゃって、さてどうしよう。ってなってた。

今の会社は、そんな後ろ向きすぎる就活の中で唯一、本当に心から行きたいと思えた会社。
内定をもらったのは卒業の1か月前。卒論撤回期限がその時期で、無理言ってその時までに内定出してもらった。滑りこみ卒業。ふー。

卒業はただただ寂しくて悲しかった。それだけ。

初出社日の前日、寝る前、大学時代の思い出がわーーーーーーーってよみがえってきて、泣いた。たくさん泣いた。すごくたくさん泣いた。悲しかった。もう二度と戻れない、取り戻せない、大切な大切なものが決定的に失われた実感が、痛くて痛くて、たくさん泣いた。

働き出してみてからは、楽だった。
自分でお金を稼いでいる限り、自分の物理的な生存を誰かに依存することはないから。
わたしの存在を、自分からも、他人からも、否定されることはないから。

Wednesday, September 1, 2010

変わるものと変わらないもの

久しぶりに昔の日記の頁を繰る。

「いろんな「違い」はあってしかるべきなんであって、お互いにそれを認め合って受け入れて理解する能力も、人間にはあるはずなのに。平和のために必要なものはそういう意識の変革なのか? でもそれは「洗脳」にはならないか? 「洗脳」の結果全ての人間は画一的になってしまわないか? 皆が「違いを認めよう」という同じ意志を持った時点で「違い」は存在しなくなるのか?」

「自然権って、人間が生まれ持った権利、誰にでもある権利、ってことになってるけど、その概念自体は近代ヨーロッパで生まれたもので、ということはやっぱり自然権は普遍的に存在するものでなく近代ヨーロッパの価値観の延長線上にある社会でしか通用しないのか? ヨーロッパの価値観が支配する世界の構造が崩れた時、人権の存在しない価値観は正しいとされうるのか?」

「一体、この世でいちばん大切なものって何なんだろう。答えなんて世界中捜し回ってもきっとどこにもない」

高校生の私はこんなことを考えていたらしい。6年前。
表現は拙くて青臭いけど、今も昔も考えてること大して変わってない。大学入ってからの6年間、私はなにやってたんだろうという途方もない虚無感に包まれた。

あの頃から何か変わったものがあるとすれば、当然多少の知識は増えた。でもそれはむしろ、頭の中がより多くのことばに満たされていった、と言った方がいい。
あの頃はことばが少なかった代わりに、希望があった。しかも、ことばを多く身につけることによって希望を現実に変える魔法を手に入れられると思っていた。
実際は、新たに身につけたことばによって、その希望をひとつひとつ潰してゆく作業、それがここ数年間の変化とも言えないような変化だった気がする。

--
最近読んだジュリアン・グリーンの小説で、純粋さの行き着く先は人間社会における破綻でしかないことが見事に描かれていたのはとても示唆的だった。

純粋さや完全さを追い求める中で、人間(や人間の営み)の内にある不純さや不完全さに打ちひしがれる。その圧倒的な絶望を背負いつつ、しかしその絶望の境地に安住することも許されず、一縷の希望の可能性をも否定しきれないが故に、思考停止をせずにいること、そこにしか存在することが許される道はないような気がする。

--
卒論のテーマ、ようやく方向性ぐらいは絞れてきた。
さんざん寄り道して回り道して、結局元のところに戻ってきた感じ。

Tuesday, June 8, 2010

もう何も

もう何も語りたくない

ことばを紡ぐことが恐ろしすぎて






けれど


この恐怖を叫ばずにはいられない

他者への渇望を拭い去ることはできなくて

Saturday, May 29, 2010

覚悟

先日、とある病院の「パストラル・ケア」研修というのに半分参加・半分見学みたいな感じでお邪魔してきました。

パストラル・ケアというのは、(たぶん)「スピリチュアル・ケア」とほぼ同義で、ともすれば病気としか向きあわない機械的な現代医療の中で、病気ではなく患者さんその人と向き合い、その人の心のケアをしていこう、というかんじの取り組み(というのが少なくとも私の理解)。


それまで実は私は、学問的な意味でのスピリチュアリティって、「オーラの泉」とか世間でスピリチュアルともてはやされているようないかがわしい諸々とは違うんだろう、っていうことぐらいはわかっていたけど、それ以上のことはあんまりよくわかっていなかった。

この研修を通して知ったのは、少なくとも臨床的なスピリチュアル・ケアというのは、必ずしも超自然的な何かを感じるとか信じるとか、そういうことではなくて、人間の心の一番奥深いところに触れることなんだ、ということ。

ケアをするための知識とかコミュニケーション手法とか技術的な点はひとまず置いておいて、臨床的なスピリチュアル・ケアの本質を考えるとおそらく、「全人的な人との関わり方」というのとかなり近い意味合いを持っているんじゃないかと思う。

そう考えると、「スピリチュアル・ケア」という括りをわざわざ作って特別視しなければいけない程に、私たちの日常社会では人間関係は希薄で殺伐としたものになっているのか、と思った。

全人的な人間関係は、家族や友達や周囲の人との関わりを通して日常の中に当たり前にあってもいいはずなのに、そうではなくなって、何か特別な地位を与えられた技術と化してしまうのって、なんだかすごく違和感を感じる。切ない。


とはいえ医療の現場でそういうニーズがあるのは事実で、それに本当に真摯に取り組んでいる人たちを見て、私はものすごい衝撃を覚えた。

「スピリチュアル・ケアをしようと思うなら、相手との関わりの中で自分自身も傷だらけになる覚悟をしなければならない」

と、研修会の講師の先生がおっしゃっていた。

患者さんの話を聞いて、そうですね、って、ただ答えていればいいのではない。
ケアワーカーと患者という非対称な関係を超えて、ひとりの人間として、相手と向き合うこと。


自分自身も傷だらけになる――。


その言葉を聞いて私が思い出したのは、トーゴでの生活のことだった。

おこがましさは自覚しつつも、やっぱりNGOで働くという立場で、現地の人々のためになることを何か少しでもできたらいいな、という思いで私はトーゴに行った。

でも、それはある意味挫折に終わった。

もちろん、即物的な成果はそれなりに出した。資金調達したり、組織体制を整えたり。研修先NGOにとって私が初めてのインターン受け入れの経験だったのだけど、今後もぜひインターンを受け入れたいと言ってくれたりもした。

だけどほんとは、おこがましくもトーゴの人々を「助け」るはずのNGO活動で、私は、自分を守ることでいっぱいいっぱいだった。

ここでは誰も守ってくれる人がいない。そんな思いが常に自分を脅かしていた。

本当に必要とされるままに助けていたら、こっちが死んじゃうから。
普通だったら、人から必要とされることはおそらく嬉しいことだけど、トーゴではちょっと違った。必要とされることは、生命に対する脅威とものすごく近いところにあった。

私は死にたくなかった。

だから、「わたし」と「かれら」との圧倒的な非対称性の中で、私は自分を守ること、つまり、トーゴの人たちとの触れ合いの中でいかに自分が傷つかないようにするかということで、精一杯だった。


情けない。


胸がいっぱいになった。

胸がいっぱいになって、涙が溢れてきてしまう自分の弱さに、ますます情けなくなった。


自分も傷だらけになる覚悟、そして傷だらけになっても生き抜く強さ。


初めて聞くことではないし、ことばで言うのはいとも容易い。
だけど今回の研修で、本当にこれを体現している人を目の前にして、それはもうとてつもない衝撃で、私は完全に打ちのめされてしまった。

私が大切に大切にことばにして、いつも握り締めていたものを、この体験はぐしゃぐしゃに壊してしまった。

そんなの、ただの ことば だよ、と。

このポストだって。

ことばの力とはなんだろう。

Thursday, January 28, 2010

あまりにも残酷な

ただ生きているというだけで、意図せずとも、誰かを傷つけてしまう。

そんなにも、残酷さを背負った存在なのに。

それなのに、それには飽き足らずに、故意に人を傷つける。

欲望や欲求にかられた刹那に、いとも簡単に相手の心を踏みにじる。


なんという、あまりにも残酷な --


そんな自己嫌悪は、自分で自分につけた傷を舐めることはできても、他の誰かの傷を癒すことはできない。


"He that is without sin among you, let him first cast a stone at her." --John 8:7


--

原罪」--surrender 2008.02.28


人間は、その本質において不完全であるが故にその存在自体が罪である。

――というのが最近わたしが辿り着いた実感としての「原罪」"the original sin"です。

つまりどういうことかを端的にいうと、人間は全知全能にはなりえない。知らないが故に人を傷つけてしまうことってあると思うのです。

たとえば、苦しみというのは当事者にとっては個別的である。でも、それが第三者にとってみれば一般化されたものにすぎない。
たとえば、「お母さんのいない人」とか、「事故に遭った人」とか。母親がいないということによって起こるさまざまなこと(both good and bad)は、その本人にとってはその本人だけに分かり得るものであって。それを「だから~~な人は・・・」と言って一般化してしまうことで、本人の苦しみへの理解の道は発言者の意図せざるところで閉ざされてしまう。それは時に本人にとっては突き放されたような孤独感を与える。
つまり、意図していなくても気づかないうちに人を傷つけていることがある。これが端的に言う、「知らないが故の罪」だと思うのです。

で、だからといってすべてを知るということが可能かと言うと、人間は時空という制約の中で生きている以上不可能なわけで。だから「すべてを知りえない」ということは、人間が本質的に持つ罪、すなわち原罪だと思うのです。


ところで、言わずもがなだけど、その認識の前提には「神」の存在がある。
なぜなら、完全なる者(=神)との比較においてでなければ、不完全という属性は出て来得ない。

説明というのは必ず他との比較の中でしか成り立たないのではないか。
「人間」という抽象的な概念を説明する時に、ありのままを言葉で描写することなどできない。それは言葉というものの、差異を作り出すという性質による。

--

(ちなみに、大変お恥ずかしいことに、知り合いのカトリック神学生にこの話をしたら、これは「原罪」とは言わないそうです。原罪じゃなくて、なんとかっていう用語がちゃんとあるそうなんだけど、忘れちゃった。そしてこういう議論は神学の中でいろいろとされ尽くしているらしい。。それに読み返してみるとちょっと論理的に弱い点もある気がしますね。でもこれは今日の本題じゃないからまあいいや。ちなみに私はクリスチャンではないですよ、念のため)


Monday, January 18, 2010

Senegal's Haitian Repatriation

これってどういうことなんですか? 詳しい人いたら教えてください!


Senegal's president says he will offer free land and "repatriation" to people affected by the earthquake in Haiti.
President Abdoulaye Wade said Haitians were sons and daughters of Africa since Haiti was founded by slaves, including some thought to be from Senegal.
"The president is offering voluntary repatriation to any Haitian that wants to return to their origin," said Mr Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye.
Tuesday's earthquake killed tens of thousands and left many more homeless.
Buildings have been reduced to rubble, the distribution of aid is slow, and people have been flooding out of the devastated capital, Port-au-Prince.
"Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come," Mr Bemba Ndiaye said.
"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."
The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts, the Associated Press news agency reported.


The January 12, 2010 earthquake that struck Haiti measured 7.0 on the Richter scale. The presidential palace, Ministry of Justice, and UN mission headquarters were destroyed along with much of the capital city, Port-au-Prince. Deaths are expected to rise over 200,000, with many more injured. Nearly 300,000 people in Port-au-Prince are considered homeless, one-sixth of the city's population. On January 16, 2010 President Abdoulaye Wade of the West African nation of Senegal offered a unique form of humanitarian aid to Haiti: repatriation for any Haitian who wishes to relocate and emigrate to Senegal.

Abdoulaye Wade Offers Haitians Repatriation

President Abdoulaye Wade of Senegal is offering repatriation to any Haitian who emigrates, as reported by BBC News, claiming that all Haitians are descended from slaves and some may have Sengalese roots. His offer comes at a critical time for Haiti, less than one week after the earthquake demolished the capital, destroyed most hospitals, and as water and food shortages threaten to provoke riots and anarchy.

According to President Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye, "Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come."

"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."

Haiti Earthquake and Homelessness

With more than 300,000 without homes in Port-au-Prince alone, Haiti's 9 million people face an enormous challenge to rebuild, given the loss of government structures, death of political and civil officials, and the humanitarian crisis in providing simple needs such as food, water, and medical care.

Why Senegal?

Senegal is one of the most stable countries in West Africa. Used as an outpost during the Atlantic slave trade from the 16th through the 19th centuries, Senegal is home to Gorée, an island used in the Atlantic Slave Trade and which is currently a UNESCO World Heritage site.

President Wade has expressly connected his offer to Haiti's slave origins, noting in an interview with French radio reported by the Irish Times that "“[The Haitians’ enslaved ancestors] did not choose to go to that island . . . It is our duty to recognise their right to come back to the land of their ancestors . . . Now the problem is to know how, and who will bear the cost.”

Many Haitians have left Haiti for the Dominican Republic, which shares the island of Hispanola with Haiti, but the Dominican Republic cannot absorb all Haitian refugees.

---

他のアフリカの国々の中には資金や人員を提供する国もあった(Haiti: Africa Lends a Hand - News from Africa)ようで、それはもちろん素晴らしいことではあるのだけれど「そんなことして自分の国は大丈夫なの?」とちょっぴり思ってしまったのも正直なところ。お金の出所も気になるし。
そんな中で、他の国々にいい意味で追従せずに、「自分たちにできること」かつ「必要とされている(と思われる)こと」(かつ「他の国がちょっと躊躇してしまいそうなこと」?)を地震発生後間もないこのタイミングで提案したセネガルは、感動的ですらある英断をしたと思う。

でも、なぜあえて "repatriation" という表現を使ったのか。それが気になる。

ただ単に同胞意識を示すためだったのかもしれない。けど、それだけの理由で、一筋縄ではいかない歴史を持つ奴隷貿易の話を出すのは、果たして賢明と言えるんだろうか。
奴隷貿易は西洋人の一方的な搾取ではなくて、アフリカ人の中で権力や武力のある者自ら、他部族の人などを狩って売っていた、というのはわりと有名な話だと思います。だから、西アフリカの多民族国家における政治の世界では、奴隷貿易の話は今でもとてもsensitiveでなかなか触れられない話題だという事情を聞いたことがあります。

もしそれが(セネガルにおいても)本当だとするなら。
セネガルへの移住は、ハイチの人たちが目下の窮状から逃れるにはとてもいい提案だと思う。けど、ゆくゆくハイチの人々がセネガルにintegrateされるとなった時に、repatriationという文脈から奴隷貿易の問題が出てきてしまったらちょっと厄介なんじゃないか。

ただでさえ、土地や雇用を奪われたといってセネガルの人々がハイチから来た人々に反感を持つことも考えられるのに(しかも "The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts." ならなおさら)。
(これは、こないだ行われていたUNICEFの「気候変動と子どもたち」という写真展にて、ブルキナファソで、砂漠化が進む北部から肥沃な南部に移民が増えて、もともと南部にいた人たちが土地や仕事を取られたといって不満を言っていて、比較的政情の安定しているブルキナに紛争の火種が!?みたいな話を聞いたのを思い出してふと考えました。)

ただ、そんなに大規模な移民じゃなかったら問題にはならないのかもしれないけど。
でもやっぱり、問題になるかもしれないリスクをわざわざおかす意図がつかめない。

というか、いかんせんわたしのセネガルなどなどに関する知識が足りなさすぎて、こんな疑問はわいてきたけど実際のところどうなのかよくわかりません。もっと勉強しなくちゃ。。
もし心優しい方がいたら、ぜひこのニュースの意味するところ(?)について教えてください、お願いします!

Friday, January 15, 2010

違和感

ハイチのことを考えていました。

今日は、ネットでハイチに関するニュースや援助情報を見て、ぼーっとハイチのことを考えて、それで1日が終わってしまった。

今までも世界のいろんなところで大きな自然災害が起きているのに、なんで今回はこんなに頭がoccupyされたのかは、よくわからない。
世界一周やトーゴから帰ってきて何かが変わったのかも。Twitter効果かも。ただ単にPMSだからかも。
とにかく理由はわからない。

「心を痛める」と言うのなら、本当に「心を痛め」ているのなら、どうして普段通りの生活ができるだろう。電気もあってネットもある快適な部屋の中でぬくぬくして、それで「ああ、かわいそう」と一瞬胸が締め付けられるような思いになって、1分後には「ご飯何食べようかなあ」なんて、そんなことってしていいんだろうか。
くだらない極論と一蹴されるかもしれないけれど、他者の苦しみに共感するって、究極的にはそういうことだと思う。

じゃあ、今すぐ現地に飛んで行って、「何もできないけど共に苦しみを背負うことならできる」という私の心の支えであるはずだった『深い河』のフレーズを言いながら、彼らと共に傷つき涙を流せばそれでいい、というわけでもないだろう。

結局、私は無力な偽善者なのだ。

寄付をした。
トーゴで半年間過ごしてから、極度に懐疑的になった「あげる」という行為を、他に何もできない私は選択した。もちろん開発と緊急援助は違う。違うけど、じゃあ本当に緊急援助の場合だったらいいのかというと、よくわからない。いいような気もするけど、よくわからない。
本当にいいかわからない、もしかしたら悪いかもしれないというリスクを背負って行動することと、そのリスクを回避するために何も行動しないこと、という選択肢の中で、わたしは前者を選択した。

今まで信じていたものをことごとくぶち壊すことになった、トーゴでの経験。世界が180度回転したと言ってもいいような、あの経験。そこで感じるようになった世界のあらゆるものごとに対する強烈な違和感を忘れずに、しっかりと向き合っていこうとだけは思っている。
何も知らないふりをして「善意」だからと言い訳をして、本当に相手のことを考えられないようになってしまうことだけは、あの半年を過ごした以上、もうできない。
葛藤と向き合うことと行動を起こすことのバランスは、難しい。

やっぱり私は無力だし、偽善者なのだ。
無力なくせにこんな思考をしていること自体、ハイチの人たちの苦しみや悲しみを冒涜的に消費しているに過ぎない。
そんな人間が語ることは、果たしてできるんだろうか。

だから!
私は語れるようになりたい。
他者の苦しみを消費するのではなくて、真に取り除ける人間になりたい。
・・・理想と現実の間には、とてつもない溝があるけれど。。

Monday, January 11, 2010

出す

時々、ただ、「出す」という行為がしたくなる時がある。

伝わらなくていい。むしろはじめから誰に向けられたものでもない。反応もいらない。

それは、時に、涙。
時に、言葉。
時に、言葉にならない叫び声。
時に、壁に思いっきりぶつけてみる拳。
時に、深い深い溜息。

それが言葉のときは、対象は何でもいい。ブログやtwitterやfacebookに書く。誰にも秘密のアナログ日記に書く。ノートの端っこに書く。結露した窓に書く。書けない時は、声に出してつぶやくだけでもいい。
流れる涙も、溢れ出る言葉も、迸るエネルギーも、それが残っても残らなくても、誰が見ても見なくても、問題ではない。(現実には、残らない方が都合がよいことも多い)

ただ、「出す」というそれだけ。

あたかも、感情や衝動などと一般的に称される(けれども本当はうまく言葉にはできない)何物かが、脳内の化学反応だけでなくてれっきとした固体なり液体なりの実体として存在し、それを掬いあげて自分という枠の外に投げ捨てることができるかのように。

出すことによって自分の外部には何の変化も起こらない(もちろん、自分の周りの空気が振動したとか、目に見えない微生物が死んでしまったとか、ペンのインクが減ったとか、そういう意味では変化は起こりうるけれども)。

それなのに、ただ「出す」というそれだけのことで、自分の中の気持ちがすごく、ものすごく、楽になる時がある。

こんな時(だけ)は、「ことば」があってよかったと心から思う。
ことばが他者と共に生きるためにあるものだとしたら、結局のところ自分こそが他者なのかもしれない(もちろん、ことばの存在意義の方を疑うことも可能ではあるけれど)。

このポストだって、こうして言葉にした時点である意味目的は達成されていて、もはやpublishボタンを押しても押さなくても変わりはない。実際そうやって消えていった言葉たちは今までに数知れない。今回は単なる手続きとしてpublishすることにするけれど。(注:このブログの全てのポストがこういう系なわけじゃありませんっ ちゃんと読み手に伝えたくて書いてる時が殆どなので、今後ともよろしくお願いします笑)

Friday, January 1, 2010

HAPPY NEW YEAR 2010

明けましておめでとうございます。

年末年始が何だ、just another ordinary dayじゃないの、と思っていた(る)けれど、透き通るようなまっさらな気持ちで(根拠もなく)希望に満ち溢れることができるのは、元旦のいいところかもしれない。

思い返せば2009年の年明けはトーゴで(眠りながら)迎えました。ホストファミリーは皆、教会のオールナイトミサに出かけちゃってて(この頃私は頑なに教会に行くことを拒んでいた)。私はこの日も23時寝5時起きの生活リズムを崩すことなく、ぐっすり寝入っておりました。ていうか暑かったんだよなー去年の元旦は。季節の変化がないと、時間の経過にも鈍感になる、みたいなことを当時の日記に書いてた。
元旦は、ホストファミリーが教会のバンドをわざわざ私のために家に呼んでくれて皆で踊ったり、お隣さんちでご馳走(って言ってもメニューはいつもと同じだけど)食べたり、ビーチに散歩しに行ったりした。懐かしい。その3日後にトーゴを去って、また旅路についた。

帰国したのは2月10日。そう考えるとまだ1年経ってないなんて、変な感じ。もうすごく遠い気がする。
世界一周の1年は、自分がいかに人とのつながりによって生かされているかを実感した1年だった。帰国してからの時間は、"Things are never the same." ということのrealizationとその中でのstruggleというかんじで過ぎていったように思う。結構へこんでる時間も多かったような気もする。

でも、この間素晴らしい動画に出会って、気持ちが塞いだ時には必ずこれを見てます。見ればたちまち元気120%!!! こんなに幸せな気持ちにしてくれる動画をわたしは他に知りません。大好き☆☆☆
もうね、本当にいいの。ぜひ見てください!!!


もちろん彼の才能もすごいんだけど、何よりこの自由さと底抜けの明るさに、暗い気持ちなんて吹っ飛んで、何度見ても自然と笑顔がこぼれてきちゃう。こんな天真爛漫さをいつまでも持ち続けて生きていきたい!!!

2010年。

苦悩することは時に心地よく、絶望の淵に佇むことは実に容易いので、今年はこんなimperfectな世界を愛し、(PMSにも負けずに)笑顔で生き抜けるようにしたいと思います。

2010年が、愛に満ちた温かな1年になりますように・・☆
みなさま、今年もよろしくお願いします。

Sunday, December 27, 2009

他者のことば

最近postが多い気がしますね。なんでだろう。年末とは関係ないはず。

てか今回ほど感慨のないクリスマス、年末、って、今までなかった気がする(去年のトーゴで迎えたのを除く・・・もしくはそれと同じくらいかも)。世界一周の一年を経て、いろんなものに対して淡泊になったような気がしなくもない。ただしbefore-afterみたいに比較できるほど、自分の過去が明確に固定されたものとしてあるわけじゃないからよくわかんないけど。
とにかく今年はクリスマスのわくわく感とか、まったくなかった。日本の大半の人びとは、自分が何について祝っているかを自覚してあんなに浮かれているのだろうか(反語)。クリスマスがカップルの一大イベントなのは、ジーザスが伝えた「愛」を体現するためなのであろうか(反語)。まあ、バレンタインなどに並ぶ、カップルが「とくべつ」を正々堂々と実行できるいい口実、っていうのはわかりますが。でも、自分の実存に無関係のことにあれだけ狂酔できるって逆にすごいことのような気さえしてくる。
私はといえばそんな日本人であることの後ろめたさを少しでも解消したいがために近くの教会のクリスマスミサに行きました。中高時代にあんなに反発していた言葉が、すごく心地よく響くのは何なんだろう。安心感みたいなものさえ抱く。結局わたしがlinger onできるものって、もはや刷り込みによって染み付いてしまったもの以外にないのかもしれないなあ。でもそれは私にとっては信仰みたいな、世界を規定するものというよりは倫理体系に近いものである上、絶望的な響きも持っているから、相変わらずクリスチャンになろうとは思いませんが。

Anyways, 前置きにもならないようなblabbingはこのへんにして。

今日は縁あって在日トーゴ人会のYear-end partyに呼んでいただいて、行ってきました。

日本にトーゴ人なんてひとりもいないと思ってたからそんな会の存在を初めて知った時は衝撃すぎたけど、今日行ってみたら、いたよいたよー、トーゴ人(複数形)!!! しかも日本語ぺらぺーらの人とかもいてびっくり。トーゴ訛りのフランス語が懐かしすぎて愛しすぎた。リスニング面はほとんど衰えていなかったようで嬉しかった一方、スピーキング面は基本フレーズを失念した事態によってかなりの危機感を覚える。てか最近知ったけどわたしが普通のフランス語だと思っている(いた)代物は多分にピジン的なものであるらしい。トーゴ訛りにならないようにとか、文法を正しくしゃべるとか、すっごいすっごい気をつけて頑張ってたつもりなんだけど、、無念でならない。

トーゴ料理も出て、懐かしいメニューを前に感涙にむせいだ反面、トーゴにいた時は見たことも聞いたこともなかったような料理もあって、私はトーゴについてまだまだ全然知らないことを改めて実感(あたりまえだけど)。そしてそういう実感を抱くとまた行きたくなってしまう。

All in all, 今日は日本でのトーゴコネクションを広げられたのでとてもよかった。エヴェ語とか本気で教わりたい。エヴェ語(だけじゃなくてほんとはKabyéとか他の現地語もだけど、とりあえずはエヴェ語)がわかるようになったら、見えてくる世界ががらりと変わるんじゃないかという確信にも似た期待がある。トーゴの公用語はフランス語だからフランス語ができればコミュニケーションには苦労しないけど、結局トーゴでフランス語を介して見える世界って、意図的に取捨選択されたという性格が強いものだから。相手を理解するには相手のことば(比喩的な意味も含めて)を理解することがものすごく重要。本を読む時に原典にあたるのと同じようなものだよね。それはある意味、事実の純化作業でもあると思う。

結局、今でもわたしをこんなにトーゴに惹きつけているものは、わけのわからなさなんだと思う。もっと知りたい、もっとわかりたい、そんな欲求がわたしを衝き動かしてるんだと思う。

そんなことを思う年の暮れである。

(K君、魔法のことばを教えてくれてありがとう)

Friday, August 21, 2009

werewolf

わたしは狼人間。
月がわたしを支配する。

狼になった夜は、大切なものも、人も、何もかもわからなくなる。
不安がわたしの牙を立たせ、わたしを破壊へと駆り立てる。

無限の破壊の刹那に、わたしはふと、立ち止まる。
目を凝らすと、今までそこにあったはずのものが、
闇のなかに消えてなくなっていることに気づく。

自分すら見えない暗闇のなかで、わたしは仲間を求めて遠吠える。
その声は、虚空に響いて夜のしじまをいっそう際立たせる。
漆黒の湖が、幾重にも波紋を広げながら、深みを増してゆく。

暗黒の夜がもつ強力な魔力に怯え慄きながら、
今にも消え入りそうなわたしの中の「ひと」のかけらは、
わたし自身をそっと、深い深い孤独の中にうずめる。

これ以上、誰も傷つかないように。
これ以上、わたしが傷つかないように。

Monday, July 20, 2009

an exhausting day

ヒールで長時間歩いて足が痛い。寝る前にメーク落とさなきゃ。おんなのこって大変ね。

今日は、井の頭公園に出店/出展している人たちの出し物を見たり話を聞いたりした。
前までは、こういうのに参加する人って狭義のartisticな若者だけ、みたいな勝手なイメージがあったけど、今日見てみたら、自分で日本各地を回って撮った電車の写真を1枚100円で売っている人とか、『北斗の拳』をそれはもう熱狂的に読み聞かせしている人とか、ジャンルも年齢層もいろんな人がいてすっごくおもしろかった。

完全にわたしの無知&失礼極まりない偏見なのかもしれないけど、いわゆる「オタク」の人って自分(たち)だけで自分(たち)だけの世界を築き上げてその中に住んでいるみたいなイメージがあったから、ああやって不特定多数の人の前にわざわざ出ていく人もいるっていうのを知ったのは、実は衝撃的なくらいに新鮮だった。

ちゃんとした根拠はないんだけど、前に比べてだいぶ、「オタク」という言葉にネガティブな意味合いが含まれることってなくなったんじゃないかな、なんてぼんやりと思ったり。逆に「日本が誇るべきもの」にすらなりつつある印象もあるし。
とにかく今日の『北斗の拳』の読み聞かせは、お腹がよじれるぐらいに本当におもしろかった。

(今では「オタク」の中にもいろいろと細かい分類ができて、「オタク」というくくりがそもそも有効じゃなくなってるのかもしれないけど。)

***

生きることがとても難しく感じられる時もあれば、生きることについて何を悩む必要があるんだろうと思う時もある。

あっはっはって笑うのって、ご飯を食べるのと同じくらい、太陽の光を浴びるのと同じくらい、元気に生きるためにはきっとすごく大事なことなんだろうなあ。

激ポジの人には、何か周りにも伝染するとてつもないエネルギーがある気がする。
ニヒリズムは思考の必然だとか、ネガから逃れるには思考停止するしかないとかという思考を一度経験すると、「考える」ことと「ポジティブである」ことを両立できることのすごさはもう尋常じゃないものに思われる。

***

倫理学の熊野先生がこの間言っていたこと。

哲学を専門にしない人には、
・部分的に理解する権利 と
・誤解する権利 がある

だから、ある哲学者の言っていること全てをその意図通りに理解しなくても/できなくても、何か自分にひっかかる(キター的な)ものがあればいいんだって。

いろいろな解釈と反論が可能な言葉だと思うけど(笑)、わりと納得。

Wednesday, July 15, 2009

幻想

自ら可能性を閉じることだけは絶対にすまい、と思っていたけれど、知らず知らずのうちにまた枠の中に閉じ込められそうになって喘いでいる自分がいた。

どうも最近わたしを包み込んでいる「社会」は、あたかも決められたレールがあるように見せかけることに長けている上に、そこから外れることに対して極度の不安を抱かせる要素が多くてよくない。

世界はもっと、「ナンデモアリ」なところなんだった!

世界を旅した去年1年間をかけて、否、それを含めた自分のこれまでの人生をかけて、このことこそを学んできたのではなかったか。
頭ではこのコトバを記憶していて、常に自分に言い聞かせていたつもりだったけれど、それはもはや単なる「記号」と化しつつあったのかもしれない。
不可能性の幻想に囚われて、自らの「自由」によって絶望に打ちひしがれそうになっていた現実。ナサケナイッ

こんな幻想は、梅雨の雨と共に、さようなら。

Monday, July 6, 2009

夏のはじまり

昨日、本郷で蝉が鳴いていた。
蝉の鳴き声にはあまり似つかわしくない曇り空だったけど、もう夏なんだなーとびっくり。

日本で夏を過ごすのは、だいぶ久しぶりのような気がする。
ただ暑いのは耐えられるけど、蒸し暑いのは嫌い。
たぶん1年の中で一番苦手な季節だけど、今年もいい夏になりますように。

Sunday, June 21, 2009

仏検

準2級受けてきた。
試験後に配られた模範解答で自己採点したら、98/100点。
初めてだからちょっとひよって準2級にしたけど、蓋を開けてみたらなんか余裕すぎて受験料損した気分。

まあ今回は、自分のフラ語力が客観的にどのレベルなのかがある程度わかったのでよしとします。
とはいえこの程度じゃ日常生活はsurviveできてもきっとビジネスとかには使えないからなあ。付加価値低いなあ。学生のうちにもっと頑張りたいものです。

なにはともあれこんな戯言を言えるのもトーゴでの生活があったからだわ、今さら言うまでもないけど。1,2年生の頃のフラ語の授業でのわたしのダメっぷり(というかそもそも出席が・・・)に比べたら目覚ましい進歩を遂げたと言えるでしょう。(目覚ましい進歩の後がこれ?っていう指摘は聞こえないふりをすることにします:P)

ところで仏検の運営は今まで受けたり試験監督のバイトした語学試験の中でいちばんしっかりしてた気がする。郵便で届いた受験票には受験地だけでなく建物と部屋番号も書いてあったし、当日は解答用紙に既に名前とか受験番号とか書いてマークしてあったし、試験後には模範解答配ってくれるし、試験官の指示とかソフト面の運営も問題なかったし。

唯一気になったのは試験官の学生バイトと思われる男の子のスーツがだぶだぶかつベルトがカラフルすぎたことぐらいだ。

Monday, June 15, 2009

ロゴス、絶望

他者とのコミュニケーションを志向して、ロゴスを使っているはずなのに、
ロゴスに忠実になればなるほど、他者とのコミュニケーションは難しいものになっていく。

ロゴスを突き詰めていった先には、相対化の自己増殖という、ロゴスの循環的な矛盾構造しか残らない。
循環には、最終地点すなわち結論は存在しない。価値を決めること、立場を決めること、何を言うこともできない。
ロゴスの循環構造という破綻の先には、他者とのコミュニケーションの不可能性しか残らない。

社会で生きていくためには、どこかで思考を停止し、妥協しなければいけないのだろう。
そうやって「みんな」生きているんだろう。
でも、相対化の自己増殖は、自己増殖である以上、一度始まったら止めることはできない。

「そういう話、好きだね」
好きなんかじゃない。わたしだって、こんな生産性のない、破壊的ですらある思考は、止められるものなら止めたい。しかしそれは、わたしが望むと望まざるとに関わらず、自動的に、いとも簡単に、発生してしまうのだ。

ロゴスに忠実になることを諦めることでしか生き得ない世の中で、「論理的思考力」が評価されているというのはどういうことなのだ?
「論理的思考力」なんて、決して論理的などではない。

世の中なんて、茶番だ。
社会なんて、茶番だ。
近代なんて、糞食らえだ。社会は依然として、「近代」に支配されている。

思考停止という妥協によってしか生きていけないとは、なんて哀しい、苦しい、世の中だろう。

どうやって生きていけばいいのか、まったくわからない。わかるわけがない。

問題は、ロゴスしか他者とのコミュニケーションの、否、思考すること、存在することそのものの、手段がないことだ。
ロゴスの否定は、共存在としての人間存在そのものの否定だ。存在することも、だがしかし死を選ぶことも、許されない。
ロゴスを否定することすら、ロゴスなしではできないとは、なんとアイロニカルなことだろう。
ロゴスに支配されてしまう自分の、弱さ、と呼ぶことすらできない、弱さ、と呼ぶことすら(ry

それでも共存在という不幸な、根源的な他者への渇望はそこにあって、その先の不可能性と絶望に慄きながら、こうしてロゴスを紡いでしまう。

Monday, June 8, 2009

三回忌

人生って、うまくいかないことや理不尽なことや悲しいことやつらいことがいっぱいある。
でも、自分のそばに、心から信頼できて、寄り添い合える人がいてくれたら、「いろいろあるけど人生っていいな」って、思える気がする。

Tuesday, June 2, 2009

なまえとつながり

今日の西洋倫理思想史の授業は、最高にアツかった。
わたしがこの間のポストで書いていたこと、考えていたことにドンピシャだった。
「そう、それ!!!!!」って感覚。

授業の内容は、ハイデガーを中心に、前後の思想家の思想を概観するというもの。
具体的には、ベルクソン、ハイデガー、レーヴィット、レヴィナスの4人で、今日はレーヴィット。

レーヴィットのハイデガー批判の中で、なまえ(固有名Eigenname; proper name)について。
Das Individuum in der Rolle des Mitmenschen, 第3節

両親が子どものためにわざと、歴史的にまったく負荷を負っていない呼び名、その子のみに帰属して、他のいかなる者にも帰属しない呼び名を選んだとしよう。その場合であっても、子どもが以後その名を身に帯びることになるのは、けっしてじぶん自身のためではなく、他者たちのためである。つまりその名は、他者たちによって呼ばれうるためのもの、他者たちのまえでじぶんを証明しうるためのもの、他者たちのために署名しうるための或るものなのである。[中略]いわゆる固有名とは、かくしてふたつの意味で他者の名である。さしあたり他者たちから与えられたものとしても、他者たちのためにさだめられたものとしても、他者のなまえなのである。

さらに、レーヴィットがフォイエルバッハの評価から引き出した2つの主題。
感覚主義Sensualismus:身体性、感受性に根ざすこと
他者中心主義Altruismus:デカルト的なegoにとって、他者は必要条件(conditio essendi)であること

●ひとが自己を「じぶん」と認識することの前提には、必然的に他者の存在があるということ。
●それから、身体性(これって、ハイデガーの「情状性」とどう違うのか、まだいまいちわからないけど)。

前者について、わたしはこの前のポストで、
「他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。」
「他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。」
と書いた。
少なくともわたしの解釈では、レーヴィットの言ってることはわたしの考えてたこととつながっている。

後者についても、おこがましさを覚悟でわたし自身の思考に即して言えば、
「自分で体験してみなきゃわからないことがある」
ってことになる。どれだけ正確な解釈ができてるかはわからないけど・・・。

***

本を読んだり、授業に出ていると、時々この「そう、それ!!!!!」って感覚が来る。
わたしの中のリアルな(つまり、西谷啓治の言うところの体得的な)問題意識や断片的な思考が、電撃的な感動と共に、つながる瞬間。

もっと勉強していくと、こういう「つながり」がどんどん増えていくんだろうな。
自分が脱構築と再構築を繰り返していく中で、「つながり」という解釈を導き出す土壌がつくられてゆく。

こういう時、勉強って、本当に楽しいと心から思える。

Sunday, May 24, 2009

*inentitlable

旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。

どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。

日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。

「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。

表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。

でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。

しかしやっぱり! 
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。

でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。

そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。

だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。

相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。

doodles

「おなじ」と「ちがう」のちがいがわからない。
自分の意図するところを他者に伝えるのって、むずかしい。

自虐は自己防衛手段に他ならない。

「いつか失うかもしれない不安」に慄くより、「今ここにある幸せ」に酔いしれよう。
その幸せが、当たり前なんじゃないって、感謝しながら、大切にしながら。
そしたら、きっと、もしも失う時が来ても、幸せだった時を振り返って温かくなれる気がするから。