Thursday, July 22, 2010

トランシルヴァニア

Tony Gatlif監督、2006年、フランス

ひとつ 言葉を与えるたびに
ひとつ 何かが失われてゆく

そんな気がして
なにも書けない なにも言えない

言葉を失うほどに すばらしい
心が 魂が 震える という表現は
この映画のためにあったのかと思うほど

Friday, July 9, 2010

ハーフェズ ペルシャの詩

Abolfazl Jalili監督、2007年、イラン・日本合作

こんなにロマンチックな映画みたことない!

それから映像がとてもきれい。
あの、中東の"なにもなさ"が、映像を純化しているような気がした。中東って言っても私が行ったことあるのは西の方(※)だけだけど、映画を観る限りではイランもそれなりに似てる感じがする。

あまりにも社会のルールが異なりすぎて、戸惑いもあるのは確か。
映画に出てきたような社会では、その社会のルールを破ることはコミュニティからの疎外つまり社会的な死を意味する、みたい。その死への恐怖から、伝統を固持し守ろうとする力が働くのかな、となんとなく。
それをも超えるものとして、恋や愛はあり得るのだろうか。古今東西、そういう物語は無数に紡がれているに違いないけれど、日本では社会的日常の中に恋愛が完全に組み込まれてしまっていて(性的マイノリティにとってはそうではないかもしれないけど)、そうではない社会のことを想像するのは、少なくとも私にはとてつもなく難しい。

愛や悲しみや痛みは、どれだけ文化的差異に依存しない普遍的なものであり得るのだろう。
と、遠い国の話(現実でもフィクションでも)を見聞きする度に思う。

恋愛に性(実際に行為に及ぶか及ばないかは問題ではない)はつきものっていうのはたぶん、普遍的に言えることなんじゃないかと思う。でも、恋愛ってそれだけじゃないはずで、それを仮に精神的紐帯と呼ぶなら、その質は(個人差は当然としてもそれ以上に)文化によってあまりにも違うような。

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※「西の方」って言ったけど、中東の範囲って正確にはどこからどこまでだろ?と思ってGoogle先生に聞いてみたら、広義には北アフリカも中東って呼ばれることもあるのね!(出典:ウィキペディア) 私が言う「西の方」は狭義の中東の西の方です。

Thursday, July 1, 2010

おくりびと

滝田洋二郎監督、2008年

想像してたのとだいぶ違った。いい意味で。ちょっとキレイすぎかとは思いつつ。
いろんな死の形があるんだなって思った、って小学生みたいな感想だけど。

納棺師に限らず、死と近いところで仕事してる人って、死に慣れて鈍感になっちゃうのかと思ったりするけど、先日そういう職業のひとつに就いている知り合いの方が「でもやっぱり自分の母親の時は全然違いましたね」って仰っていたのが最後のシーンと重なった。

こういう仕事の人たちは、遺族が悲しむ姿を見て、もらい泣きとかしちゃいけない。
そういう意味で、「共感しないこと」が求められているような気がした。他者の痛みに鈍感にならなきゃいけない。んじゃないか。

否、その逆で、心の底には深い共感がなければつとまらない仕事なのかもしれない。それが他者へ配慮することであり死者や遺族の尊厳を保つことであるという意味なんだとすれば、そうなんだろう。主人公とか社長とかそういう感じだし。

でもやっぱり、ここで求められているのは相手にぴったりと寄り添うこととは違う。苦しみを共に背負うこととは違う。距離が、壁が、求められている。

よく考えてみると、プロフェッショナルとして相手と近づきすぎちゃいけない職業って、死にまつわる仕事だけじゃなくて普通にいっぱいあるような気もしてきた。

いかに共感しないか、とか今まで考えたことなかった。


・・・てかうーん、なんか、言葉のつかい方が雑でごめんなさい


広末の演技だけはほんとに嫌だった。