受かる/受からないとかいう話の以前に、ビジネスという資本主義ガチガチの世界に飛び込むという覚悟が、どうしてもできない。
今までさんざん人のお金を食いつぶしてきて、自分でちゃんと稼いで食べていけるようにならなければいけない、っていう思いはすごくあるんです。人より3年遅れている分、余計にその思いは強いと思う。
でも、逆に言うと、それだけしか「働く」ことに対するモチベーションがない。
大学に入って「ことば」や「ロゴス」といったものへの全面的な依存とシステムの不完全性に気付き、ロゴスを持ってしか考えることすら能わない体系の中で信じることのできる価値を喪失し、相対"主義"なんかも通常言われるようなポジティブな立ち位置なのではなくもっともっと深刻で破壊的なものである、と言いたいけれども言えないような無限のループに陥った。
だけど何もスタンスをとらずに生きていくことってできなくて、じゃあ何を信じるかってなった時に、もはやロゴスを紡いで作り上げたものを選ぶことはどうしてもできなくて、そんな私が立ち返らざるを得なかったのは、「感覚」だった。私が小さいころから刷り込まれてきた価値観、もはや思考を超越し感覚となってしまった価値観、しか、無根拠に信じることのできるものは残されていなかった。
その価値観とは、平たく言ってしまえば資本主義社会の対極にあるようなもの。
正直であること。清くあること。弱者に寄り沿うこと。愛すること。
偽善であるとか、そういう批判は、自分でもさんざん自問してきたし、これからもきっと問い続けなければならない。だけど、この「感覚」は、そうやすやすと「ロゴス」ごときに崩されるようなものではないと思う(、感覚的に)。
「就活は、正直者が馬鹿を見る。」
きっとその先にあるビジネスの世界もそうなのだろうと思う。「勝つ」ことが最高の価値とされるのだから。そのような強者の論理に支配された世界において、私がようやく見つけた、「信じることのできるもの」は否定される。フロムの言葉は、一方で私に大きな安堵をもたらし、一方で決定的な絶望をもたらした。
資本主義に冒された現代の社会には、私の居場所なんてないのかもしれない。
お金なんかなくなっちゃえばいいのにな。
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