Saturday, September 4, 2010

Il faut agir en homme de pensée et penser en homme d'action.

Think like a man of action, act like a man of thought.

とはベルクソンの言葉。
(英語ではなぜ仏語と順番が逆になるのだろう...)

思考停止せずにスタンスをとれ、スタンスをとってもそれを疑え、と。


トーゴにいたときに、働いていたCILSIDAというNGOではファンドレイズとか翻訳とか啓発活動とかいろいろなことをやったのだけど、印象に残っている活動のひとつが、コミュニティ内の家を一軒一軒訪ねて、若くして妊娠した女の子たちの生活環境についての調査を行ったこと。

家族構成はもちろんのこと、その女の子の職業は何かとか、家計を支えているのは誰かとか、妊娠中の検診はしているか、しているとしたらどこに(公営のヘルスセンターか、私営のお医者さんか、伝統医か、とか)行っているか、とかを、一軒一軒インタビューして回った。総勢30人くらいのスタッフで2週間ぐらいかかった。家庭訪問後は、そのデータをもとにレポートを作った。
その前にいたNGOの活動がひどかったから(私腹を肥やすためのスケープゴート以外の何ものでもなかった)、トーゴのNGOでもこんなちゃんとしたことやってるんだ!しかも、感覚じゃなくちゃんとデータに基づいた活動しようとしてる!ととても感動した。あと、本当に炎天下の中何日間もひたすら町の中を歩き回ったつらい記憶が"今ではいい思い出"ってやつになってる。

インタビューの内容は数字にできることだけじゃなくて、時には人生相談みたいなことになって何時間も話し込んだりもした。

中には、14歳ぐらいの少年少女がやっちゃって、子どもができちゃって、親はガン切れで、どういういきさつか知らないけど刑務所沙汰になりそうで、そもそもその少年少女が家から勘当されそうなのに赤ちゃん産んだら育てるなんてもっての外、なんていう、(刑務所のくだり以外は)日本にも普通に転がっていそうな話があったり。

他にも婚前交渉がらみのトラブルが多かった。その人の宗教にもよるけど、婚前交渉は社会的にあまりいいこととはされていないらしく(そこに社会通念と現実とのおおきな乖離がある)、そのままデキ婚になればめでたしめでたしだけど、妊娠させた男の方が責任を取らずに逃げちゃうって話もたくさんあった。それで母親の方の家族で育てているけど、学校の給食のお金がないとかもざらにあった。

トーゴでは国によるセーフティネットは(皆無ではないにしろ)整っていないから、こういう状況に対してはCILSIDAのような数多のNGOがカバーしている部分が大きい。というか、少なくとも、そういうことがおそらくNGOには期待されている。


この度、CILSIDAのDirecterのAntoine(アントワン)から連絡が来て、この若いお母さんたちのための生活支援のプロジェクトをやりたいと。

GlobalGivingっていうプログラムがあって、世銀の元役員の人たち(ひとりは日本人)が立ち上げたらしいんだけど、草の根活動の現場と世界の善良なる市民をつなげるための仕組みということらしく、サイト上にあるありとあらゆるプロジェクトから、自分の関心に合うものを選んで、好きな額を寄付して、進捗状況のアップデートを受け取れるらしい。

そのGlobalGivingに、CILSIDAが若い母親サポートのプロジェクトで応募した。9月30日までにそのサイト上で$4000のファンドレイズをすることができれば、その後もGlobalGivingのサイトに掲載される権利を得られて、プロジェクト運営に必要なさらなる寄付を募れるということらしい。

ということで、Rena, 先進国の友達に寄付を呼びかけてくれ、と。

うーん。と、困ってしまった。
基本的に、私は、「寄付」ということに対して極度に懐疑的なのです。


最近邦訳が出たらしいDambisa Moyoの"Dead Aid"でも、援助は依存体質を助長させるだけで本当に彼らの成長にはつながらないものが多い、むしろ成長が疎外されている、的なことを言っている。


だけど、現場にいる彼らにはそんなこと言えないわけです。
はるか遠くの人間がどんな理屈をこねていようと、現場は今この瞬間にもそこにあって、その体質そのものを変えることをしているという自負がない限り、その体質の内部におかれている人に批判なんて言えないわけです。たぶん、理解してもらえないだろうという諦めも多分にありつつ。

私は現場に寄り添った人になりたい。
だから、現場のわりきれなさ、汚さから目をそらして、キレイに整えられた理論を言っている人にはなりたくない。現場のわりきれなさや汚さを直視しつつ、かといってそこに迎合することもなく、立ち向かっていける人になりたい。
それが、"agir en homme de pensée et penser en homme d'ation"の意味だと思う。

Thursday, September 2, 2010

今月観た映画〈8月〉

今月は星もいれてみることにした。

無間道 Infernal Affairs
Directed by Andrew Lau & Alan Mak, 2002
★★★☆☆
友達のおすすめで借りた香港映画。どきどきわくわく! 
インセプションが夢と現実の境界を溶かしてしまったのと同じように、この映画にはウソとホントの境界はどこにあるのか考えさせられた。

リトルトウキョー殺人課 Showdown in Little Tokyo
Directed by Mark L. Lester, 1991
★☆☆☆☆
これも友達のおすすめ。ザ・オリエンタリズム! もう日本文化の描写が悲惨すぎて笑える。主役の白人が他のあまたの日本人を差し置いて一番日本の心をわかってる的な設定もサイコーもといpsycho! どんな昔の映画かと思ったら意外と1991年だった。


THE 有頂天ホテル
三谷幸喜監督, 2006
★★★☆☆
合コンで出会った男の子との最初のデートで、彼がばっちり下調べしてくれた映画館に行ったのにやってなくて、まじ微妙な空気になった思い出の映画。撮り方とか役者の動きが舞台みたい。松たか子、昔好きじゃなかったけど最近は素敵だなって思う。

リバー・ランズ・スルー・イット A River Runs Through It
Directed by Robert Redford, 1992
★★★★☆
名作。古きよきアメリカってこんなかんじなのかな。「古きよきアメリカ」のイメージは、私にとって「古きよき留学時代」のイメージでもある。今でも開拓時代のままのような景色が広がる世界で暮らした1年間。
アメリカでは釣りや狩りをする人=自然を愛する人みたいに描写されることが多い気がするけど、私はいつも違和感がある。釣りや狩りは、自然を愛することと相反するように思えるんだけどなー。
"We can love completely without complete understanding."
「愛」も「完全」も「理解」もそれ単独でとてつもなく難しすぎて、この台詞には太刀打ちできない。

チェンジリング Changeling
Directed by Clint Eastwood, 2008
★★★☆☆
アンジェリーナ・ジョリーが好き。彼女の華やかで情熱的な顔を2時間眺めたあとに鏡で自分の顔を見たら愕然とした。
フィクションだったらなんてことない映画だけど、実話に基づいてるっていうからすごい。母としての強さに感動、狂気の犯罪に恐怖。子育てが怖くなる。

この森で、天使はバスを降りた The Spitfire Grill
Directed by Lee David Zlotoff, 1996
★☆☆☆☆
これもある意味アメリカらしい映画。邦題が気に食わん!

スラムドッグ・ミリオネア Slumdog Millionaire
Directed by Danny Boyle, 2008
★★★★☆
ようやく見た。さすが名作と言われているだけあるのね。レストランで「インドの社会問題入門フルコース」を名シェフに注文したら、これが出てきそう。エンディングがインド映画っぽい。のかな? インドの女優ってほんとうにきれい。

ラヂオの時間
三谷幸喜監督, 1997
★★★★☆
おもしろかったー! 有頂天ホテルよりこっちの方が好き。キャスティングがいい。業界人が業界人を演じる空々しさもまたよい。三谷幸喜は緩急のバランスがうまいな。

BOY A
Directed by John Crowley, 2007
★★★☆☆
友達おすすめの映画。うーん。キレイに終わらせないのはよかったけれど。同情でもなし、共感でもなし、反感でもなし、何を感じればよかったのだろう。やるせなさ?

ぼくの大切なともだち Mon Meilleur Ami
Directed by Patrice Leconte, 2006
★★★★☆
フランス語だとそれだけで3割増ぐらいに見えてしまうのは置いといても、重さと軽さのバランスが絶妙でいい映画だった。クイズ・ミリオネアのシーンが「スラムドッグ・ミリオネア」と似てた(製作年はこっちの方が先だから真似とかじゃないだろうけど)。「パリ、恋人たちの2日間」でも思ったけど、フランス人てほんとにこんなにずけずけものを言うの?

善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen
Directed by Florian Henckel von Donnersmarck, 2006
★★★★☆
人生を賭けるってこういうことか。闘うことってこういうことか。原題は「他人の人生」みたいな意味だと思うけど、そういうタイトルだと思って見るとまた感じ方も違う気がする。
1年間世界をぶらぶらしてた時にいろんな社会を垣間見て、私にとって譲れないものってなんだろうと考えて、それは「自由」かもしれないと思ったのを思い出した。

バティニョールおじさん Monsieur Batignole
Directed by Gerard Jugnot, 2002
★★☆☆☆
戦争の話だと知らずに見たからびっくりした。実話だったら感動だけど、フィクションとしてはあんまりかなあ。コメディタッチで描いてるのが余計にちょっと心を重たくしたような。

迷子の警察音楽隊 The Band's Visit
Directed by Eran Kolirin, 2007
★★★★★
すばらしい。やっぱり中東を舞台にした映画はなにより背景がすばらしい。あの色。ジャンルはコメディらしいんだけど、言葉少なな台詞のまわりに漂う哀愁が切なすぎてずっと泣きそうだった。そして最後のアラブ音楽が胸をぎゅーっと締めつける。色と音楽が最高。

ダージリン急行 The Darjeeling Limited
Directed by Wes Anderson, 2007
★★★★★
今のところ、「もののけ姫」と並んで世界で一番好きな映画。アマゾンで1000円になってたから買っちゃった♥ 家に届いてからはひらすら見てた。やっぱり最高。この映画だけは、なぜか何がいいのかうまく言えない。部分じゃなくて全体なのだ、という言い訳。

Wednesday, September 1, 2010

変わるものと変わらないもの

久しぶりに昔の日記の頁を繰る。

「いろんな「違い」はあってしかるべきなんであって、お互いにそれを認め合って受け入れて理解する能力も、人間にはあるはずなのに。平和のために必要なものはそういう意識の変革なのか? でもそれは「洗脳」にはならないか? 「洗脳」の結果全ての人間は画一的になってしまわないか? 皆が「違いを認めよう」という同じ意志を持った時点で「違い」は存在しなくなるのか?」

「自然権って、人間が生まれ持った権利、誰にでもある権利、ってことになってるけど、その概念自体は近代ヨーロッパで生まれたもので、ということはやっぱり自然権は普遍的に存在するものでなく近代ヨーロッパの価値観の延長線上にある社会でしか通用しないのか? ヨーロッパの価値観が支配する世界の構造が崩れた時、人権の存在しない価値観は正しいとされうるのか?」

「一体、この世でいちばん大切なものって何なんだろう。答えなんて世界中捜し回ってもきっとどこにもない」

高校生の私はこんなことを考えていたらしい。6年前。
表現は拙くて青臭いけど、今も昔も考えてること大して変わってない。大学入ってからの6年間、私はなにやってたんだろうという途方もない虚無感に包まれた。

あの頃から何か変わったものがあるとすれば、当然多少の知識は増えた。でもそれはむしろ、頭の中がより多くのことばに満たされていった、と言った方がいい。
あの頃はことばが少なかった代わりに、希望があった。しかも、ことばを多く身につけることによって希望を現実に変える魔法を手に入れられると思っていた。
実際は、新たに身につけたことばによって、その希望をひとつひとつ潰してゆく作業、それがここ数年間の変化とも言えないような変化だった気がする。

--
最近読んだジュリアン・グリーンの小説で、純粋さの行き着く先は人間社会における破綻でしかないことが見事に描かれていたのはとても示唆的だった。

純粋さや完全さを追い求める中で、人間(や人間の営み)の内にある不純さや不完全さに打ちひしがれる。その圧倒的な絶望を背負いつつ、しかしその絶望の境地に安住することも許されず、一縷の希望の可能性をも否定しきれないが故に、思考停止をせずにいること、そこにしか存在することが許される道はないような気がする。

--
卒論のテーマ、ようやく方向性ぐらいは絞れてきた。
さんざん寄り道して回り道して、結局元のところに戻ってきた感じ。

Thursday, August 19, 2010

生活

生活と人生とは違う。明石は始めて喀血した夜の酒場をふいに思い出す。同窓生たちは彼が病気の間、一度も見舞に来てくれなかった。彼が病気にかかったことさえ、たぶん知らなかったのであろう。連中はあの日と同じように今日も生活を持続しているだろう。連中は戦争に行った時、人生にふれ、人生を消耗してしまったにちがいない。俺もふたたび娑婆に出れば、どれだけ生活の中で人生を持続できるかおぼつかない。
――遠藤周作 『満潮の時刻』



生活の中に人生を見出せないのが現代の(一部のあるいは大部分の)病なのかもしれない。

でも、

人生が消耗することを、生活のせいにしたところで何も解決しないだろう。
人生は生活がなければ成り立たない。

いのちがなければ、その意味なんて。

人生にばかり目が眩んで、生活が見えない。
いま、私に必要なのは、人生よりも、生活に違いない。

生活を成立させていれば人生がどうであろうと、合格。
人生を追求して生活が儘ならぬなら、人間失格。

そういう世の中だから。

Saturday, August 7, 2010

今月観た映画〈6-7月〉

最近は映画レビューブログの様相を呈していますが、そんなつもりはありません。書きやすいねたを書いていたらこうなってしまった。

ところでこの夏休みはひたすらインプット(主に小説と映画。と、卒論関係の…)の多い夏にしたいです。
おすすめの小説や映画があったら教えてください♪

ということで6-7月に観た映画の備忘録。感想はてきとう。書き残すことがだいじ。

〈映画館〉

アデル
リュック・ベッソンと知らずに観たらおもしろかった。主役の女の人すてき。ああいう女性になりたい。

インセプション
傑作。内容がよかったのはもちろんだけど、あれだけすごい映像なのに3Dとか無駄に流行りに乗っていない点が素晴らしい。あと日本人である必要のない役にあえて抜擢された渡辺謙は素敵。

SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー傷だらけのライム
なんか見に行くことになっちゃった映画。って感じで何も知らず、何も期待せずに見たら意外と面白かった。最後の救いはなかった方がよかったなーとは思ったけど。1が見たくなった。

〈DVD〉

Little Miss Sunshine
別記事

人のセックスを笑うな
別記事

The Royal Tenenbaums
愛する「ダージリン急行」のウェス・アンダーソン監督の作品。テーマも似てておもしろかったけど、ダージリン急行の方すき

2001年宇宙の旅
噂に違わずすごい。美しい。

グーニーズ
楽しかった。LOTRのサムだったのねー。でもなんか悪者三兄弟の末っ子の描写がなー。落としただけじゃあんなにならないでしょ、、

イレイザーヘッド
学科の先輩のおすすめ。謎。こういうのどうやったら理解できるんだろう。どこまで理解を要求されてるんだろう。

おくりびと
別記事

ハーフェズ ペルシャの詩
別記事

ボルベール〈帰郷〉
色がきれい。殺人の扱いがちょっと軽すぎる気がした。

パリ、恋人たちの2日間
ひたすら楽しい。フランス人の恋愛ってこんななの!?

dot the i
ガエル・ガルシア・ベルナルの笑顔は罪。ズキュンズキュン

トランシルヴァニア
すばらしすぎる。詳細は別記事

JUNO
適度なドライさが心地良い。主役の子、インセプションに出ててびつくり

Jellyfish
テルアビブが舞台のお話。ちょっと消化不良。。

潜水服は蝶の夢を見る
こういうのにありがちな、無理な泣かせがなくてよい。フランス語ってきれいー。原作が読みたくなる映画。

チャーリーとチョコレート工場
家にあるDVD。見るのもう30回目くらい。台詞もだんだん覚えてきた。ウンパルンパ最高。

Thursday, July 22, 2010

トランシルヴァニア

Tony Gatlif監督、2006年、フランス

ひとつ 言葉を与えるたびに
ひとつ 何かが失われてゆく

そんな気がして
なにも書けない なにも言えない

言葉を失うほどに すばらしい
心が 魂が 震える という表現は
この映画のためにあったのかと思うほど

Friday, July 9, 2010

ハーフェズ ペルシャの詩

Abolfazl Jalili監督、2007年、イラン・日本合作

こんなにロマンチックな映画みたことない!

それから映像がとてもきれい。
あの、中東の"なにもなさ"が、映像を純化しているような気がした。中東って言っても私が行ったことあるのは西の方(※)だけだけど、映画を観る限りではイランもそれなりに似てる感じがする。

あまりにも社会のルールが異なりすぎて、戸惑いもあるのは確か。
映画に出てきたような社会では、その社会のルールを破ることはコミュニティからの疎外つまり社会的な死を意味する、みたい。その死への恐怖から、伝統を固持し守ろうとする力が働くのかな、となんとなく。
それをも超えるものとして、恋や愛はあり得るのだろうか。古今東西、そういう物語は無数に紡がれているに違いないけれど、日本では社会的日常の中に恋愛が完全に組み込まれてしまっていて(性的マイノリティにとってはそうではないかもしれないけど)、そうではない社会のことを想像するのは、少なくとも私にはとてつもなく難しい。

愛や悲しみや痛みは、どれだけ文化的差異に依存しない普遍的なものであり得るのだろう。
と、遠い国の話(現実でもフィクションでも)を見聞きする度に思う。

恋愛に性(実際に行為に及ぶか及ばないかは問題ではない)はつきものっていうのはたぶん、普遍的に言えることなんじゃないかと思う。でも、恋愛ってそれだけじゃないはずで、それを仮に精神的紐帯と呼ぶなら、その質は(個人差は当然としてもそれ以上に)文化によってあまりにも違うような。

--
※「西の方」って言ったけど、中東の範囲って正確にはどこからどこまでだろ?と思ってGoogle先生に聞いてみたら、広義には北アフリカも中東って呼ばれることもあるのね!(出典:ウィキペディア) 私が言う「西の方」は狭義の中東の西の方です。

Thursday, July 1, 2010

おくりびと

滝田洋二郎監督、2008年

想像してたのとだいぶ違った。いい意味で。ちょっとキレイすぎかとは思いつつ。
いろんな死の形があるんだなって思った、って小学生みたいな感想だけど。

納棺師に限らず、死と近いところで仕事してる人って、死に慣れて鈍感になっちゃうのかと思ったりするけど、先日そういう職業のひとつに就いている知り合いの方が「でもやっぱり自分の母親の時は全然違いましたね」って仰っていたのが最後のシーンと重なった。

こういう仕事の人たちは、遺族が悲しむ姿を見て、もらい泣きとかしちゃいけない。
そういう意味で、「共感しないこと」が求められているような気がした。他者の痛みに鈍感にならなきゃいけない。んじゃないか。

否、その逆で、心の底には深い共感がなければつとまらない仕事なのかもしれない。それが他者へ配慮することであり死者や遺族の尊厳を保つことであるという意味なんだとすれば、そうなんだろう。主人公とか社長とかそういう感じだし。

でもやっぱり、ここで求められているのは相手にぴったりと寄り添うこととは違う。苦しみを共に背負うこととは違う。距離が、壁が、求められている。

よく考えてみると、プロフェッショナルとして相手と近づきすぎちゃいけない職業って、死にまつわる仕事だけじゃなくて普通にいっぱいあるような気もしてきた。

いかに共感しないか、とか今まで考えたことなかった。


・・・てかうーん、なんか、言葉のつかい方が雑でごめんなさい


広末の演技だけはほんとに嫌だった。

Monday, June 28, 2010

人のセックスを笑うな

井口奈己監督、2007年

前から気になってたDVD第二弾。

なんかもう、自然体すぎてヤバイ。

気はずかしさと共感の二語に尽きる。
こんなに登場人物の全てに感情移入できるお話って珍しい気がする。
だからこそ、感想を言葉にすることすらはずかしい。

とりあえず、たぶん、名作。

邦画もたまにはいいなあ。

Little Miss Sunshine

Directed by Jonathan Dayton & Valerie Faris, 2006

久しぶりにDVDを借りようという気になって、前から何回も手に取ってみたけど結局棚に戻してたのを今日はとうとう借りてみた。

家族みんながそれぞれloserになるんだけど、それでもいいじゃん、みたいな話。
ストーリーは普通だったけど、映像の色づかいと、間のとり方と、細部にちりばめられたユーモアがすごくよかった。
Dweyneが最高。彼のloserエピソードのシーンが私の中でのベスト。
あとちょっとプルースト読んでみようかって気になった。笑

Tuesday, June 15, 2010

Power of Music

この曲、3:14ぐらい以降が日本語にしか聞こえない!

トーゴで大人気の歌手ToofanのRéseauって歌。
空耳の部分はフランス語じゃなくてエヴェ語(現地語)っぽい気がするけど、何て意味なんだろ。



てかトーゴの音楽聞くとトーゴに戻りたい度が一気に跳ね上がってやばい!
トーゴのことを思い出したい時はトーゴの音楽聞けば一発なんだけど、あんまり聞きまくってると当時の感覚の再現機能(?)が薄れていってしまうようで、だいじにだいじに、少しずつ聞いてる。ああこのジレンマ。

とにかく、今はこの曲聞いてまたトーゴシックにかかり中。

でも、昨日タロット占いをしてもらったら、今年の夏休みはトーゴに行くと事故に遭うと言われちゃったからどうしよう。。ゼミジャン(バイタク)乗っててがっしゃーんご臨終とかが日常茶飯事のトーゴでは事故に遭うとか普通に全然あり得るし。。むしろ今まで遭わなかった方が幸運と言うべきなのかも。

占いとかって全然真面目には信じてないけど、未来のことを誰かから断定形で言われちゃうとなんとなく無意識のうちに自分の中で方向性が規定されちゃうような気がしなくもない。

なーんて、夏休みにトーゴに行こう for the 3rd time かどうか迷ってるほんとの理由は、他にも行きたいところがいっぱいあるからなんだけど。

あー! 学生生活最後の夏休み (hopefully) 、どこ行こう!?

Tuesday, June 8, 2010

もう何も

もう何も語りたくない

ことばを紡ぐことが恐ろしすぎて






けれど


この恐怖を叫ばずにはいられない

他者への渇望を拭い去ることはできなくて

Saturday, May 29, 2010

覚悟

先日、とある病院の「パストラル・ケア」研修というのに半分参加・半分見学みたいな感じでお邪魔してきました。

パストラル・ケアというのは、(たぶん)「スピリチュアル・ケア」とほぼ同義で、ともすれば病気としか向きあわない機械的な現代医療の中で、病気ではなく患者さんその人と向き合い、その人の心のケアをしていこう、というかんじの取り組み(というのが少なくとも私の理解)。


それまで実は私は、学問的な意味でのスピリチュアリティって、「オーラの泉」とか世間でスピリチュアルともてはやされているようないかがわしい諸々とは違うんだろう、っていうことぐらいはわかっていたけど、それ以上のことはあんまりよくわかっていなかった。

この研修を通して知ったのは、少なくとも臨床的なスピリチュアル・ケアというのは、必ずしも超自然的な何かを感じるとか信じるとか、そういうことではなくて、人間の心の一番奥深いところに触れることなんだ、ということ。

ケアをするための知識とかコミュニケーション手法とか技術的な点はひとまず置いておいて、臨床的なスピリチュアル・ケアの本質を考えるとおそらく、「全人的な人との関わり方」というのとかなり近い意味合いを持っているんじゃないかと思う。

そう考えると、「スピリチュアル・ケア」という括りをわざわざ作って特別視しなければいけない程に、私たちの日常社会では人間関係は希薄で殺伐としたものになっているのか、と思った。

全人的な人間関係は、家族や友達や周囲の人との関わりを通して日常の中に当たり前にあってもいいはずなのに、そうではなくなって、何か特別な地位を与えられた技術と化してしまうのって、なんだかすごく違和感を感じる。切ない。


とはいえ医療の現場でそういうニーズがあるのは事実で、それに本当に真摯に取り組んでいる人たちを見て、私はものすごい衝撃を覚えた。

「スピリチュアル・ケアをしようと思うなら、相手との関わりの中で自分自身も傷だらけになる覚悟をしなければならない」

と、研修会の講師の先生がおっしゃっていた。

患者さんの話を聞いて、そうですね、って、ただ答えていればいいのではない。
ケアワーカーと患者という非対称な関係を超えて、ひとりの人間として、相手と向き合うこと。


自分自身も傷だらけになる――。


その言葉を聞いて私が思い出したのは、トーゴでの生活のことだった。

おこがましさは自覚しつつも、やっぱりNGOで働くという立場で、現地の人々のためになることを何か少しでもできたらいいな、という思いで私はトーゴに行った。

でも、それはある意味挫折に終わった。

もちろん、即物的な成果はそれなりに出した。資金調達したり、組織体制を整えたり。研修先NGOにとって私が初めてのインターン受け入れの経験だったのだけど、今後もぜひインターンを受け入れたいと言ってくれたりもした。

だけどほんとは、おこがましくもトーゴの人々を「助け」るはずのNGO活動で、私は、自分を守ることでいっぱいいっぱいだった。

ここでは誰も守ってくれる人がいない。そんな思いが常に自分を脅かしていた。

本当に必要とされるままに助けていたら、こっちが死んじゃうから。
普通だったら、人から必要とされることはおそらく嬉しいことだけど、トーゴではちょっと違った。必要とされることは、生命に対する脅威とものすごく近いところにあった。

私は死にたくなかった。

だから、「わたし」と「かれら」との圧倒的な非対称性の中で、私は自分を守ること、つまり、トーゴの人たちとの触れ合いの中でいかに自分が傷つかないようにするかということで、精一杯だった。


情けない。


胸がいっぱいになった。

胸がいっぱいになって、涙が溢れてきてしまう自分の弱さに、ますます情けなくなった。


自分も傷だらけになる覚悟、そして傷だらけになっても生き抜く強さ。


初めて聞くことではないし、ことばで言うのはいとも容易い。
だけど今回の研修で、本当にこれを体現している人を目の前にして、それはもうとてつもない衝撃で、私は完全に打ちのめされてしまった。

私が大切に大切にことばにして、いつも握り締めていたものを、この体験はぐしゃぐしゃに壊してしまった。

そんなの、ただの ことば だよ、と。

このポストだって。

ことばの力とはなんだろう。

Thursday, January 28, 2010

あまりにも残酷な

ただ生きているというだけで、意図せずとも、誰かを傷つけてしまう。

そんなにも、残酷さを背負った存在なのに。

それなのに、それには飽き足らずに、故意に人を傷つける。

欲望や欲求にかられた刹那に、いとも簡単に相手の心を踏みにじる。


なんという、あまりにも残酷な --


そんな自己嫌悪は、自分で自分につけた傷を舐めることはできても、他の誰かの傷を癒すことはできない。


"He that is without sin among you, let him first cast a stone at her." --John 8:7


--

原罪」--surrender 2008.02.28


人間は、その本質において不完全であるが故にその存在自体が罪である。

――というのが最近わたしが辿り着いた実感としての「原罪」"the original sin"です。

つまりどういうことかを端的にいうと、人間は全知全能にはなりえない。知らないが故に人を傷つけてしまうことってあると思うのです。

たとえば、苦しみというのは当事者にとっては個別的である。でも、それが第三者にとってみれば一般化されたものにすぎない。
たとえば、「お母さんのいない人」とか、「事故に遭った人」とか。母親がいないということによって起こるさまざまなこと(both good and bad)は、その本人にとってはその本人だけに分かり得るものであって。それを「だから~~な人は・・・」と言って一般化してしまうことで、本人の苦しみへの理解の道は発言者の意図せざるところで閉ざされてしまう。それは時に本人にとっては突き放されたような孤独感を与える。
つまり、意図していなくても気づかないうちに人を傷つけていることがある。これが端的に言う、「知らないが故の罪」だと思うのです。

で、だからといってすべてを知るということが可能かと言うと、人間は時空という制約の中で生きている以上不可能なわけで。だから「すべてを知りえない」ということは、人間が本質的に持つ罪、すなわち原罪だと思うのです。


ところで、言わずもがなだけど、その認識の前提には「神」の存在がある。
なぜなら、完全なる者(=神)との比較においてでなければ、不完全という属性は出て来得ない。

説明というのは必ず他との比較の中でしか成り立たないのではないか。
「人間」という抽象的な概念を説明する時に、ありのままを言葉で描写することなどできない。それは言葉というものの、差異を作り出すという性質による。

--

(ちなみに、大変お恥ずかしいことに、知り合いのカトリック神学生にこの話をしたら、これは「原罪」とは言わないそうです。原罪じゃなくて、なんとかっていう用語がちゃんとあるそうなんだけど、忘れちゃった。そしてこういう議論は神学の中でいろいろとされ尽くしているらしい。。それに読み返してみるとちょっと論理的に弱い点もある気がしますね。でもこれは今日の本題じゃないからまあいいや。ちなみに私はクリスチャンではないですよ、念のため)


Thursday, January 21, 2010

ちょw

「『労働新聞』の国際欄は、世界の人々がいかに金日成や金正日の思想に共鳴しているのか、といった記事が中心に掲載される。
たとえば8月14日付の国際面トップでは『絶世の偉人に対する絶え間ない魅惑と敬慕』というタイトルで、トーゴの故エヤデマ大統領がいかに故金日成主席を尊敬していたかについて書かれた。
記事によると、金日成の偉大さにあまりに感激したエヤデマは彼を師匠として仰ぎ、トーゴで国家的行事が行われるたびに『金日成将軍の歌』を流したという。」
――「北朝鮮がみえてくる なるほど、労働新聞」クーリエ・ジャポン2009年10月号107ページ

ちょwww
エヤデマwwww

この記事の内容が本当だとしたら(本当かどうかは要確認)、、
つい最近まで独裁者として世界最長記録保持者だっただけあると妙に感心せざるを得ないw
これじゃ日本から援助切られても仕方ないよね。。

2月末に迫る次の大統領選挙はどうなるのだろうか。知り合いのトーゴ関係者に聞くと、だいたいが現大統領(エヤデマの息子)が勝つとの見通しみたい。前回みたいに大規模な暴動が起きないといいけど。。

トーゴ人の友達が言っていた言葉、
「大統領が誰になろうとどうでもいい。ただ、国民皆がちゃんと暮らしていければそれでいい。」
というのが印象的。

--

「アフリカの人たちが持続的な発展を享受するには何が必要なのでしょうか。(中略)
教育、教育、また教育です。最低限の教育すら受けていない人は、抽象的な思考ができないので、簡単なコミュニケーションを取ることすらままなりません。アフリカの建設現場にはインドや中国からの作業員がたくさんいますが、すぐそばに仕事にあぶれているアフリカ人がたくさんいます。教育をまったく受けていない人は単純労働にすら従事できないのです。」
By 勝間和代 ――「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」クーリエ・ジャポン2009年10月号43ページ

ちょwww
カツマさんwwww

・勝間さんは「最低限の教育すら受けていない人」つまり旧宗主国の言語(英語やフランス語など)を話さないであろう人々と現地語で会話した上でこのような判断を下したのか
・そもそも学校教育という概念や制度がなく「最低限の教育すら受けていない人」しかいなかったはずのかつてのアフリカでは、「抽象的な思考ができない」ために「簡単なコミュニケーションを取ることすらままならな」かったり「単純労働にすら従事できない」中で、どうやって社会生活を成立させていたのか
・「仕事にあぶれているアフリカ人」が「単純労働にすら従事できない」のは、本当に「教育をまったく受けていない」せいなのか

わたしだってそんなにアフリカのこと知ってるわけじゃないけど、「抽象的思考ができない」はひどすぎでしょう。。これだけ社会に影響力のある人がこんなことを言ってしまうのは、由々しき事態だと思うのだけど。。

ただ、反論(?)としては、「最低限の教育」が、学校教育以前の、ことば(現地語)をしゃべるとか家の手伝いをするとかそういう基本的な社会生活能力を身につける/させることを意味しているという可能性が考えられる。勝間さんが二度訪れたというスーダンはそれがままならないほどひどいとこということを言いたいのかもしれない。
でも、もしそうだとしたらそれは紛争でコミュニティが崩壊したために、本来コミュニティの中で育てば普通に身につくはずの能力が身につかなかった話であって(本当に崩壊したのかどうか詳しくは知らないけど)、恒常的な貧困とは別にするべきじゃないのか。それに、スーダンで見た例を「アフリカ」と括って語るべきじゃないと思う(「アフリカ」と括ってしまうのは、自戒も込めて、だけど)。

あと、この記事のタイトル「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」に対しても、Dambisa Moyoの"Dead Aid"という本を読んでいたりすると、まず問うべきはそもそも援助をする必要があるのか、ということなのではないかと思ってしまう。けど詳しくはこの本を読み終えてから書くことにする。だけどとにかくこの本は痛快!

援助をめぐって何かしらひっかかることがある時、文化人類学的な「彼ら」との関わり方ってすごく意義があるんじゃないかと思ったりする。援助も文化人類学も、どっちもほんのちょっぴりかじっただけだけど。
文化人類学だってあくまでも「自分」は「彼ら」の解釈者であって、決して「自分」と「彼ら」が対等になれたり「自分」が「彼ら」の声の代弁者になれるわけではないけれど、(歴史上どうだったかは別として少なくとも今は)「彼ら」との境界線ぎりぎりに立つぐらいまでは「彼ら」の側に踏み込んで行けるんじゃないかって気がちょっぴりする(そうなった時こそ、逆に境界線の存在に意識的になることを忘れてはいけないんだろうけど)。
・・・というかすかな希望に縋りつくように文化人類学の勉強を始めてみた今日この頃。

Monday, January 18, 2010

Senegal's Haitian Repatriation

これってどういうことなんですか? 詳しい人いたら教えてください!


Senegal's president says he will offer free land and "repatriation" to people affected by the earthquake in Haiti.
President Abdoulaye Wade said Haitians were sons and daughters of Africa since Haiti was founded by slaves, including some thought to be from Senegal.
"The president is offering voluntary repatriation to any Haitian that wants to return to their origin," said Mr Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye.
Tuesday's earthquake killed tens of thousands and left many more homeless.
Buildings have been reduced to rubble, the distribution of aid is slow, and people have been flooding out of the devastated capital, Port-au-Prince.
"Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come," Mr Bemba Ndiaye said.
"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."
The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts, the Associated Press news agency reported.


The January 12, 2010 earthquake that struck Haiti measured 7.0 on the Richter scale. The presidential palace, Ministry of Justice, and UN mission headquarters were destroyed along with much of the capital city, Port-au-Prince. Deaths are expected to rise over 200,000, with many more injured. Nearly 300,000 people in Port-au-Prince are considered homeless, one-sixth of the city's population. On January 16, 2010 President Abdoulaye Wade of the West African nation of Senegal offered a unique form of humanitarian aid to Haiti: repatriation for any Haitian who wishes to relocate and emigrate to Senegal.

Abdoulaye Wade Offers Haitians Repatriation

President Abdoulaye Wade of Senegal is offering repatriation to any Haitian who emigrates, as reported by BBC News, claiming that all Haitians are descended from slaves and some may have Sengalese roots. His offer comes at a critical time for Haiti, less than one week after the earthquake demolished the capital, destroyed most hospitals, and as water and food shortages threaten to provoke riots and anarchy.

According to President Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye, "Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come."

"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."

Haiti Earthquake and Homelessness

With more than 300,000 without homes in Port-au-Prince alone, Haiti's 9 million people face an enormous challenge to rebuild, given the loss of government structures, death of political and civil officials, and the humanitarian crisis in providing simple needs such as food, water, and medical care.

Why Senegal?

Senegal is one of the most stable countries in West Africa. Used as an outpost during the Atlantic slave trade from the 16th through the 19th centuries, Senegal is home to Gorée, an island used in the Atlantic Slave Trade and which is currently a UNESCO World Heritage site.

President Wade has expressly connected his offer to Haiti's slave origins, noting in an interview with French radio reported by the Irish Times that "“[The Haitians’ enslaved ancestors] did not choose to go to that island . . . It is our duty to recognise their right to come back to the land of their ancestors . . . Now the problem is to know how, and who will bear the cost.”

Many Haitians have left Haiti for the Dominican Republic, which shares the island of Hispanola with Haiti, but the Dominican Republic cannot absorb all Haitian refugees.

---

他のアフリカの国々の中には資金や人員を提供する国もあった(Haiti: Africa Lends a Hand - News from Africa)ようで、それはもちろん素晴らしいことではあるのだけれど「そんなことして自分の国は大丈夫なの?」とちょっぴり思ってしまったのも正直なところ。お金の出所も気になるし。
そんな中で、他の国々にいい意味で追従せずに、「自分たちにできること」かつ「必要とされている(と思われる)こと」(かつ「他の国がちょっと躊躇してしまいそうなこと」?)を地震発生後間もないこのタイミングで提案したセネガルは、感動的ですらある英断をしたと思う。

でも、なぜあえて "repatriation" という表現を使ったのか。それが気になる。

ただ単に同胞意識を示すためだったのかもしれない。けど、それだけの理由で、一筋縄ではいかない歴史を持つ奴隷貿易の話を出すのは、果たして賢明と言えるんだろうか。
奴隷貿易は西洋人の一方的な搾取ではなくて、アフリカ人の中で権力や武力のある者自ら、他部族の人などを狩って売っていた、というのはわりと有名な話だと思います。だから、西アフリカの多民族国家における政治の世界では、奴隷貿易の話は今でもとてもsensitiveでなかなか触れられない話題だという事情を聞いたことがあります。

もしそれが(セネガルにおいても)本当だとするなら。
セネガルへの移住は、ハイチの人たちが目下の窮状から逃れるにはとてもいい提案だと思う。けど、ゆくゆくハイチの人々がセネガルにintegrateされるとなった時に、repatriationという文脈から奴隷貿易の問題が出てきてしまったらちょっと厄介なんじゃないか。

ただでさえ、土地や雇用を奪われたといってセネガルの人々がハイチから来た人々に反感を持つことも考えられるのに(しかも "The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts." ならなおさら)。
(これは、こないだ行われていたUNICEFの「気候変動と子どもたち」という写真展にて、ブルキナファソで、砂漠化が進む北部から肥沃な南部に移民が増えて、もともと南部にいた人たちが土地や仕事を取られたといって不満を言っていて、比較的政情の安定しているブルキナに紛争の火種が!?みたいな話を聞いたのを思い出してふと考えました。)

ただ、そんなに大規模な移民じゃなかったら問題にはならないのかもしれないけど。
でもやっぱり、問題になるかもしれないリスクをわざわざおかす意図がつかめない。

というか、いかんせんわたしのセネガルなどなどに関する知識が足りなさすぎて、こんな疑問はわいてきたけど実際のところどうなのかよくわかりません。もっと勉強しなくちゃ。。
もし心優しい方がいたら、ぜひこのニュースの意味するところ(?)について教えてください、お願いします!

Friday, January 15, 2010

違和感

ハイチのことを考えていました。

今日は、ネットでハイチに関するニュースや援助情報を見て、ぼーっとハイチのことを考えて、それで1日が終わってしまった。

今までも世界のいろんなところで大きな自然災害が起きているのに、なんで今回はこんなに頭がoccupyされたのかは、よくわからない。
世界一周やトーゴから帰ってきて何かが変わったのかも。Twitter効果かも。ただ単にPMSだからかも。
とにかく理由はわからない。

「心を痛める」と言うのなら、本当に「心を痛め」ているのなら、どうして普段通りの生活ができるだろう。電気もあってネットもある快適な部屋の中でぬくぬくして、それで「ああ、かわいそう」と一瞬胸が締め付けられるような思いになって、1分後には「ご飯何食べようかなあ」なんて、そんなことってしていいんだろうか。
くだらない極論と一蹴されるかもしれないけれど、他者の苦しみに共感するって、究極的にはそういうことだと思う。

じゃあ、今すぐ現地に飛んで行って、「何もできないけど共に苦しみを背負うことならできる」という私の心の支えであるはずだった『深い河』のフレーズを言いながら、彼らと共に傷つき涙を流せばそれでいい、というわけでもないだろう。

結局、私は無力な偽善者なのだ。

寄付をした。
トーゴで半年間過ごしてから、極度に懐疑的になった「あげる」という行為を、他に何もできない私は選択した。もちろん開発と緊急援助は違う。違うけど、じゃあ本当に緊急援助の場合だったらいいのかというと、よくわからない。いいような気もするけど、よくわからない。
本当にいいかわからない、もしかしたら悪いかもしれないというリスクを背負って行動することと、そのリスクを回避するために何も行動しないこと、という選択肢の中で、わたしは前者を選択した。

今まで信じていたものをことごとくぶち壊すことになった、トーゴでの経験。世界が180度回転したと言ってもいいような、あの経験。そこで感じるようになった世界のあらゆるものごとに対する強烈な違和感を忘れずに、しっかりと向き合っていこうとだけは思っている。
何も知らないふりをして「善意」だからと言い訳をして、本当に相手のことを考えられないようになってしまうことだけは、あの半年を過ごした以上、もうできない。
葛藤と向き合うことと行動を起こすことのバランスは、難しい。

やっぱり私は無力だし、偽善者なのだ。
無力なくせにこんな思考をしていること自体、ハイチの人たちの苦しみや悲しみを冒涜的に消費しているに過ぎない。
そんな人間が語ることは、果たしてできるんだろうか。

だから!
私は語れるようになりたい。
他者の苦しみを消費するのではなくて、真に取り除ける人間になりたい。
・・・理想と現実の間には、とてつもない溝があるけれど。。

Monday, January 11, 2010

出す

時々、ただ、「出す」という行為がしたくなる時がある。

伝わらなくていい。むしろはじめから誰に向けられたものでもない。反応もいらない。

それは、時に、涙。
時に、言葉。
時に、言葉にならない叫び声。
時に、壁に思いっきりぶつけてみる拳。
時に、深い深い溜息。

それが言葉のときは、対象は何でもいい。ブログやtwitterやfacebookに書く。誰にも秘密のアナログ日記に書く。ノートの端っこに書く。結露した窓に書く。書けない時は、声に出してつぶやくだけでもいい。
流れる涙も、溢れ出る言葉も、迸るエネルギーも、それが残っても残らなくても、誰が見ても見なくても、問題ではない。(現実には、残らない方が都合がよいことも多い)

ただ、「出す」というそれだけ。

あたかも、感情や衝動などと一般的に称される(けれども本当はうまく言葉にはできない)何物かが、脳内の化学反応だけでなくてれっきとした固体なり液体なりの実体として存在し、それを掬いあげて自分という枠の外に投げ捨てることができるかのように。

出すことによって自分の外部には何の変化も起こらない(もちろん、自分の周りの空気が振動したとか、目に見えない微生物が死んでしまったとか、ペンのインクが減ったとか、そういう意味では変化は起こりうるけれども)。

それなのに、ただ「出す」というそれだけのことで、自分の中の気持ちがすごく、ものすごく、楽になる時がある。

こんな時(だけ)は、「ことば」があってよかったと心から思う。
ことばが他者と共に生きるためにあるものだとしたら、結局のところ自分こそが他者なのかもしれない(もちろん、ことばの存在意義の方を疑うことも可能ではあるけれど)。

このポストだって、こうして言葉にした時点である意味目的は達成されていて、もはやpublishボタンを押しても押さなくても変わりはない。実際そうやって消えていった言葉たちは今までに数知れない。今回は単なる手続きとしてpublishすることにするけれど。(注:このブログの全てのポストがこういう系なわけじゃありませんっ ちゃんと読み手に伝えたくて書いてる時が殆どなので、今後ともよろしくお願いします笑)

Wednesday, January 6, 2010

Bon appétit !!

うふふ。

とうとう。

作っちゃいました♪

じゃじゃーん!!


トーゴ(というか西アフリカ?)料理、foufou☆

こないだ在日トーゴ人(でももう日本に帰化したそうだから正確には日本人だけど・・)の人のお家に遊びに行かせてもらって、作り方を教えてもらったのです。その日の帰り道に早速材料を買って、とうとう今日作ってみた。念願の「日本でトーゴ料理」!! 嬉しすぎる~♪♪

・・・しかしなぜかソースはakoumé(っていう別の料理)用。。だってfoufouのソース、難しいんだもん :'( トーゴ人が見たら怒られちゃいそうだけど、初めてだから仕方ないってことで。。えへ。

Foufouは、簡単に言えばお芋のお餅みたいなかんじ。トーゴでは主にヤムイモとかキャッサバを使って(ガーナではプランテン(でかくて甘くないバナナ)とかも使うみたい)、本当に日本の臼と杵みたいのでついて作るの。
日本ではそれはできないってことで今回教えてもらったのが、じゃがいものパウダー+片栗粉を使って普通の鍋で作るやり方。じゃがいもと片栗粉で作れるなんて、目からウロコすぎる!!
基本的には、市販のじゃがいもパウダーとお湯と水に溶かした片栗粉を火にかけてひたすら混ぜる。が、この「混ぜる」が超大変!! Akouméを作る時もそうだけど、だんだん固くなってくるとすっごい重くなってきて、腕が痛くなる。。イメージとしては、ホイップクリームを手動で泡立てるんだけどそのクリームがクッキー生地ってかんじ。笑 それでもトーゴ人は毎食普通に作っちゃうからすごい。なんでトーゴ人はあんなに力持ちなんだろう、というかむしろ、なんで日本人はこんなに弱っちいんだろう。。
とにかくがんばって混ぜて混ぜて、できあがりがこんなかんじ↓

見た目はなかなかちゃんとfoufouっぽくできました◎ 味、というか食感の方は、あんなに一生懸命混ぜたけど、それでも混ぜ足りなかったみたいでちょっとまだ柔らかかった。悔しい。。

で、ソース。先に書いた通りこれはakouméのソースなんですが。。汗
私がトーゴにいる時に教えてもらって、たぶんソースの中でも一番簡単なもので、トマトの缶詰と玉ねぎと鰯の缶詰と塩コショウとコンソメを混ぜただけ。それだけ。なので失敗するわけもなく。こんなかんじにできあがりました↓


全体的には、それなりにそれっぽく美味しかったのでまあ及第点かなあ。でもやっぱりfoufouをもっとしっかり混ぜる(こねる)べきだったわ。精進あるのみ。

と、改善の余地は大アリなわけだけど、とにかく、日本の自分の家でトーゴ料理を作って食べれるなんて大感激!!! もっとちゃんと上手に作れるようになったら、トーゴ料理パーティーとかしたいなあ。るんるん♪

Friday, January 1, 2010

HAPPY NEW YEAR 2010

明けましておめでとうございます。

年末年始が何だ、just another ordinary dayじゃないの、と思っていた(る)けれど、透き通るようなまっさらな気持ちで(根拠もなく)希望に満ち溢れることができるのは、元旦のいいところかもしれない。

思い返せば2009年の年明けはトーゴで(眠りながら)迎えました。ホストファミリーは皆、教会のオールナイトミサに出かけちゃってて(この頃私は頑なに教会に行くことを拒んでいた)。私はこの日も23時寝5時起きの生活リズムを崩すことなく、ぐっすり寝入っておりました。ていうか暑かったんだよなー去年の元旦は。季節の変化がないと、時間の経過にも鈍感になる、みたいなことを当時の日記に書いてた。
元旦は、ホストファミリーが教会のバンドをわざわざ私のために家に呼んでくれて皆で踊ったり、お隣さんちでご馳走(って言ってもメニューはいつもと同じだけど)食べたり、ビーチに散歩しに行ったりした。懐かしい。その3日後にトーゴを去って、また旅路についた。

帰国したのは2月10日。そう考えるとまだ1年経ってないなんて、変な感じ。もうすごく遠い気がする。
世界一周の1年は、自分がいかに人とのつながりによって生かされているかを実感した1年だった。帰国してからの時間は、"Things are never the same." ということのrealizationとその中でのstruggleというかんじで過ぎていったように思う。結構へこんでる時間も多かったような気もする。

でも、この間素晴らしい動画に出会って、気持ちが塞いだ時には必ずこれを見てます。見ればたちまち元気120%!!! こんなに幸せな気持ちにしてくれる動画をわたしは他に知りません。大好き☆☆☆
もうね、本当にいいの。ぜひ見てください!!!


もちろん彼の才能もすごいんだけど、何よりこの自由さと底抜けの明るさに、暗い気持ちなんて吹っ飛んで、何度見ても自然と笑顔がこぼれてきちゃう。こんな天真爛漫さをいつまでも持ち続けて生きていきたい!!!

2010年。

苦悩することは時に心地よく、絶望の淵に佇むことは実に容易いので、今年はこんなimperfectな世界を愛し、(PMSにも負けずに)笑顔で生き抜けるようにしたいと思います。

2010年が、愛に満ちた温かな1年になりますように・・☆
みなさま、今年もよろしくお願いします。