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Friday, January 1, 2010

HAPPY NEW YEAR 2010

明けましておめでとうございます。

年末年始が何だ、just another ordinary dayじゃないの、と思っていた(る)けれど、透き通るようなまっさらな気持ちで(根拠もなく)希望に満ち溢れることができるのは、元旦のいいところかもしれない。

思い返せば2009年の年明けはトーゴで(眠りながら)迎えました。ホストファミリーは皆、教会のオールナイトミサに出かけちゃってて(この頃私は頑なに教会に行くことを拒んでいた)。私はこの日も23時寝5時起きの生活リズムを崩すことなく、ぐっすり寝入っておりました。ていうか暑かったんだよなー去年の元旦は。季節の変化がないと、時間の経過にも鈍感になる、みたいなことを当時の日記に書いてた。
元旦は、ホストファミリーが教会のバンドをわざわざ私のために家に呼んでくれて皆で踊ったり、お隣さんちでご馳走(って言ってもメニューはいつもと同じだけど)食べたり、ビーチに散歩しに行ったりした。懐かしい。その3日後にトーゴを去って、また旅路についた。

帰国したのは2月10日。そう考えるとまだ1年経ってないなんて、変な感じ。もうすごく遠い気がする。
世界一周の1年は、自分がいかに人とのつながりによって生かされているかを実感した1年だった。帰国してからの時間は、"Things are never the same." ということのrealizationとその中でのstruggleというかんじで過ぎていったように思う。結構へこんでる時間も多かったような気もする。

でも、この間素晴らしい動画に出会って、気持ちが塞いだ時には必ずこれを見てます。見ればたちまち元気120%!!! こんなに幸せな気持ちにしてくれる動画をわたしは他に知りません。大好き☆☆☆
もうね、本当にいいの。ぜひ見てください!!!


もちろん彼の才能もすごいんだけど、何よりこの自由さと底抜けの明るさに、暗い気持ちなんて吹っ飛んで、何度見ても自然と笑顔がこぼれてきちゃう。こんな天真爛漫さをいつまでも持ち続けて生きていきたい!!!

2010年。

苦悩することは時に心地よく、絶望の淵に佇むことは実に容易いので、今年はこんなimperfectな世界を愛し、(PMSにも負けずに)笑顔で生き抜けるようにしたいと思います。

2010年が、愛に満ちた温かな1年になりますように・・☆
みなさま、今年もよろしくお願いします。

Tuesday, December 22, 2009

Better Late Than Never

ということで、昔の世界一周ブログにトーゴでのNGOインターンの報告書を載せてみました。

表が途中で切れちゃってるんだけど、重すぎるせいか何なのか編集画面が開けないのでしばらく放っておくことにします。

それでもJournalの部分を見てもらうと、前半いかに仕事がなかったかがよくわかると思います。笑
研修先変えて本当によかったと今でも思う。本当は研修始めて1ヶ月半ぐらいのところでもう変えたいって言ってたんだけど、実際にCILSIDA(後半の研修先)に移れるまでさらに1ヶ月もかかってしまったのはトーゴのアイセックのせいです。これにTIA (= This is Africa.) と言い訳するなら、そこを自ら変えようとしないで発展したいとか言うな!とひとり内心ラディカルにfuriousになっていたのが懐かしい。
ただ、前半暇だったおかげで、フランス語の勉強ができて飛躍的に上達したり、トーゴの文化についていろいろ見識を深めることができたので、研修以外の側面で言えば悪くない時間でした。あの時期の人間関係は本当にストレスフルだったけど、だからこそ学ぶことも多かったし。

・・・と、もうすぐ1年になるのかーとか思いつつ振り返ってみると、生の感覚として残っている部分がどんどん減っていき、コトバによって構築された記憶や意味づけとして残されていく部分がどんどん増えていっていることを実感します。留学の時もかなりそれを感じてた。だからあえて、コトバを与えずにそっとしておきたいな、って思う時もある。逆に、コトバにしないと忘れちゃうことも多々あるんだけど。

生の感覚がなくなっていくのがかなしい時は、あの頃聞いていた音楽を聴くと即座にあの時の感覚が蘇ってくる。今年の夏トーゴに戻ったのも、思えばトーゴの音楽をふとYoutubeで検索してみたのがきっかけでした。



ちなみに2こめの歌のタイトルは「ゼミジョン」って言うんですが、これはバイタク(トーゴではtaxi-motoって言う。Motoの元はおそらくmotorcycle的ワードだから、まさにタクシーバイク)の呼び名です。「ロメ(トーゴの首都)にはゼミジョンがいっぱいだぜ!」みたいな歌で、いろんなローカルネタが出てきておもしろい。最初に「オレイア!」って言ってるのは、ゼミジョンをつかまえる時に運転手にかける言葉。エヴェ語で、Tu vas? (You go?) みたいな意味です。聞いてると懐かしさに体が疼きます。

だから今になって逆にすごく残念に思うのは、世界一周中スペインで他の貴重品とともにミュージックプレーヤーを盗まれてから、音楽と一緒に旅をできなかったこと。トーゴとかヨルダンとか、町中で大音量で四六時中音楽が流れていた場所を除いて、世界一周の時の感覚を蘇らせてくれる音楽を、わたしは持たない。だから、あの時の感覚はきっと二度と蘇らない(他にそんな効果を持つものを、わたしは知らない)。

しかし。
この「蘇る」と表現されたわたしの内の感覚は、果たして本当にあの時の感覚のままであると言えるのだろうか・・・

この「感覚」すら、「感覚」というコトバによってしか他者と共有し(ているという(幻想かもしれない)安堵感を持ち)えないもどかしさ。

もう哲学はいやだよ

しかしそこにもうコトバは生まれてしまっているのだ。

いやだよ

いやだよ

あ、でも、「そこにコトバがあってしまう」となると、もはや哲学じゃないのかな。だって愛してないもん、ロゴスという知を。というか、愛という価値すら置けない。あるいは、愛憎半ばみたいなかんじなのか。
一部の(多くの?)偉大な哲学者が精神を病んでいるってことは、(ある種の、という留保がつくかどうかは眠くてよくわからないけど)知は人を不幸にするかもしれないってことなのかしら。まあロゴスというシステムの不完全性からして当然のことなのかもしれないけど。「知らぬが仏」とはよく言ったもの。

Sunday, November 15, 2009

wanderlust

Am having the onset of wanderlust syndrome again...

旅に出たい病発症。な週末。
周期的に発作が起こるのです。原因不明の発作。決して今の生活が嫌とかではないんだけど。

旅を美化するのはあまりにも一方的で自己満足的な気がして好きではないんだけれど、それでもやっぱり時々日本にはない空気 ("air" here having the literal meaning and not the figurative one as in "KY") に包まれたくなる。

マサダの、太陽と地面との間を隔てるものが何もないあまりに直接的な日差し。「ああ、ここには神が必要なんだな」と、一瞬にして私の身体をもって理解せしめた果てしない真っ赤な荒野。

フュッセンの、心を澄みわたらせるような朝の冷気。滴を浴びて木々があげる歓びの歌声。

ロメの、今にも踊りだしたくなるようなあっけらかんとしたひたすらに青い常夏の空。細かい砂と埃を含んだ潮風。

シーパンドンの、全てを包み込み全てを流し去るようにゆったりと流れるメコンの夕暮れ。ジャック・ジョンソンを聞いているだけでイっちゃいそうな楽園の昼下がり。

ペンシルベニアの、開拓時代から何も変わっていないんじゃないかと信じてしまいそうな程のどかで美しい秋の彩り。

ヴァーラーナシーの、牛の糞にまみれた迷路の先にある命に対する過剰なまでのエネルギー。その横をただ無関心に流れる河。その河の向こうから闇の終わりを告げる朝日。

ギョレメの煙草の煙と匂い。

ハロン湾の神秘的な霧。穏やかな波と心地よい風とバーバーバーに酔いしれる夜。

ホイアン慕情。色とりどりの光が煌めく鏡の水面。

その空気に包まれながら、私の身体が、そこ、に、ある、ということ。

その空気に包まれながら、私が孤立したアウトサイダーであること。

身体がここにはない空気を欲している。
Physicalだからこそ、日本では再現できないもの。
こんな風に言葉にしたって、表現できっこない、伝わりっこない、だけどこのwanderlustの発作をカルテにしたためる。

身体性がlifeに占める大きさ。その先には「わかりあえなさ」が頭を擡げているとしても。

When and where will be next?

Friday, October 2, 2009

魔法のチョコレート

10月ですね。就活ですね。


・・・ハイ。






心が折れそうな時にはチョコレート


というのは古代から伝わる金言ですが、トーゴやガーナの暑さはチョコレートの大敵です。
冷房のがんがん効いたスペールマルシェで調子に乗ってスニッカーズを買おうものなら、お店から出た1分後にはどろどろぐちゃぐちゃ、見るも無残な姿になってしまいます。一般家庭には冷房も冷蔵庫もないのが普通なので、フェアトレード云々以前に、環境的に、トーゴやガーナではチョコレートは無理。

の、はずなのに。

ガーナの首都アクラの道端ではよく板チョコを売っているんです。売り子が歩いて売っていて、冷却装置もあるわけがなく。それも箱入りで大量に。
そんなの買う人の気が知れないわっ と思ってわたしは一度も買ったことなかったんだけど、それを今回友達がお土産で大量買い。。。
その後ドバイで、ラマダンの飢えに耐えきれず、40℃はゆうに超えているであろうとてつもない暑さの中おそるおそるガーナで買ったチョコを開けてみる。すると・・・

と  け  て  い  な  い  !  !  !

とけそうな気配すら微塵も漂わせていない!!!

・ ・ ・ ・ ・ ・ 。


どうやらその理由は"No cocoa butter" というところにあるみたい。
口の中でもとろけて喉に絡みつく感があまりなく、サクサクした食感で美味。

暑さにもとけないチョコレートだなんて、Willy Wonkaもびっくりのパラダイムシフト!!! このチョコならタージマハルも消えずに済んだろうに。。

・・・といたく感動したことを今日まですっかり忘れていました。






新学期が始まりました。

久しぶりのキャンパスは刺激に満ち溢れていました。
初日の授業では、バチカン市国が本郷キャンパスよりも小さいことを学びました。
2日目の今日は、夏学期には4人だったヒンディ語の授業が、今学期はわたし1人に減っているという事実を目の当たりにしました。

。。。



過ぎゆく季節の美しさと切なさには、胸が締め付けられそうになります。

Wednesday, September 23, 2009

トーゴに恋して

2度目のトーゴから帰って来ました。
2日経つのに時差ぼけがなおらない。なおそうという努力をあんまりしてないからかな。今夜徹夜して明日の夜まで頑張って起きていられたらなおるんじゃないかという期待を胸にパソコンと向かい合っています。

今回のトーゴ行き、最大の収穫は、トーゴを好きになれたこと。

同 じ場所、同じこと、同じ人でも、前回とは受ける印象が全然違ってすごくびっくりした。結果として、前回も今回も、トーゴにいるとわけがわからなくて謎が深 まるばかり、という点では同じ。違うのは、前回はそのわけのわからなさがそのままつらさになっていたのに対して、今回はそれがクセになってまた来たくなる んだよねって思ったこと。
理由はよくわからないけど・・・前回に比べて短期間で表面的な関わり方しかしていないからかもしれない。あるいは逆に、前回はNGOとか開発とかいう一側面からの見方が強かったのに対して、今回はもう少し広い視点でトーゴを見ることができたからかもしれない。
とにかく、自分の中のイメージとして、トーゴに対してポジティブな気持ちを抱くことができたのは、とってもとっても嬉しいことです。どのぐらい嬉しいかというと、長年の片思いの末に告白した相手がOKしてくれた時ぐらい。やったーーーーって叫びながら両手を挙げて町内を全力疾走したいぐらい。

最大の収穫はそれで、その他は思いつくままに箇条書き。

・ガーナの首都アクラはオバマ一色だった。
・半年ぶりのトーゴは意外と変化していてびっくりした。いろんなところ工事してたり、タクシーの定員変わってたり。あとあんまりP-Squareが流れてなかった。
・語学ってやっぱり大事。トーゴではフラ語ができないとお話にならない。フラ語ができるのが大前提で、あとはEwé語(トーゴ南部の現地語)がどれぐらいできるか。Ewéわかんないと彼らの本音とか絶対わかりっこない。
・宗教人類学の研究をしているMさんに会った。知識にも経験にも圧倒された。この出会いは私の中でかなり大きくて、上にもちょっと書いたけど前までNGOだとか開発だとかそういう文脈でトーゴと向き合っていたのに対して、Mさんのお話を聞いてトーゴの見方の幅、つまりトーゴとの関わり方の可能性の幅が広がった気がする。
・スタツアのメンバー2人がマラリアで入院した。最終的にみんな無事でほんとよかった。
・前回のインターン先のCILSIDAはやっぱりすごい団体だわ。プロジェクトの企画書見せてもらって話したけど、細かいところまではっきりしてるし、できてないところも意味不明な言い訳とかしない。
・帰りの機内で見た映画The Proposalに胸キュン。どきどきしたい。
・トランジットのドバイは街の全てがフェイクな感じがしてものすごく不思議だった。街全体がディズニーシーみたいな。
・一夫多妻って今の日本では受け入れがたい制度だけど、彼ら(トーゴ人)の話聞いてたらそれはそれで一理あるような気にさせられた。自分の夫が他の女の人と結婚するとか絶対嫌だけど。
・アメリカのPeace CorpsのOBでトーゴを再訪してる人に会って、トーゴではpoliticsとsaving faceって大事だよね、という話をした。

次は写真。

トーゴの道はこんなのが多い。

農村のプロジェクトで学校を建てているところ。
彼らは黒板の土台を作っています。

学校全体図
首都Loméの海岸沿いの通り

あああ、早くもトーゴが恋しいです。次戻るのはいつだろう。

Sunday, August 30, 2009

retour au togo

また戻るなんて、よっぽど好きなんだね~

といろんな人に言われますが、そんなつもりは全然ありませんでした。
ある日YouTubeでトーゴの曲を聞いていたら突然何かが私に憑依して、正気に戻った時にはチケットも何もかも手配されてて後には引けない状態になっていました。ひょっとしたら、今学期ユングについての授業を取っていた影響かもしれません。

まあ、半分冗談で半分本気などうでもいい話はさておき。
あれよあれよという間に今日30日が出発です。

夏休みの中でいちばん予定が少なくなりそうなところを狙って立てたスケジュールなのに、なぜか出発直前に怒涛のように予定が入っててんやわんやでレポートもそっちのけという、結局いつものお決まりのパターンになってしまいました。でも今回は出発の24時間以上前に荷造りの90%を終わらせたから大進歩。

今回は、YDP Togoが運営している農村ワークキャンプに計9人で参加してきます。
・・・というのが目的の半分ぐらいで、残りの半分は前回の時の友達に会いに行くっていう。仲の良かった友達が婚約・妊娠したらしいし。最近わたしの周りはドン引きするぐらいグローバルで結婚ラッシュです。みんな結婚しすぎ。ご祝儀貧乏万歳。

というわけで行ってきます。帰りは9月20日です。
何かあればgmailに英語かローマ字でメールしてください。あんまりメール見られないと思うけど。

Ciao

Monday, June 8, 2009

価値

相対化の自己増殖から抜け出せそうにない身としては、「価値」なんて言葉を使うのにはちょっと抵抗がなくもないのですが。まあ今夜は(今夜「も」?)妥協します。


今日、トーゴでの研修先のCILSIDAから、メールが届きました。
2008年度の活動報告書の英訳版が添付されて。

そもそもなんで仏語のドキュメントを英訳する必要があるかと言うと、より多くの(つまり、仏語圏以外の)潜在的ドナーにリーチアウトするため。
プ ロジェクトを回すには、資金が必要。そして、資金源の大部分を占めるのは先進国のドナー(ちなみにCILSIDAは2008年度は、UNICEFと Fondation de Franceという2団体からかなりの額をもらっていました)だから、より多くの潜在的ドナーに接触することは、より多くの活動資金を得、活動の可能性の 範囲を広げることにつながります。
(そうやってNGOを隠れ蓑にして得たお金を私利私欲のために遣う人が、わたしがひとつめの研修先JADIなどで実際に見たように、また伊勢﨑賢治が書いているように、ものすごく多いのも事実ですが。。。)

CILSIDAの人たちは、というか一般的にトーゴ人は一部のインテリ層という例外を除いてみんな英語があまりできないから、仏語のドキュメントの英訳は、わたしがトーゴにいる間はわたしの仕事でした(わたしだってそんなに英語が完璧なわけじゃないけど)。

でも、じゃあ、わたしがいなくなった後はどうする?

彼らに書類が書けるレベルの英語力を身につけさせるというのは、わたしがCILSIDAにいた2ヶ月半では到底無理なこと。
そこで考えたのが、アメリカの大学に行っている友達がサークル活動みたいなのでやっている、無料翻訳サービスを紹介することでした。

わたしがトーゴを離れた直後に彼らが連絡を取り合っていたのは知っていたけれど、その後はあまり連絡が来なかったから、最近は立ち消えになっちゃったのかもしれないなあ、なんてぼんやり思っていました。

そんな中に来たのが今日のメール。
ちゃんと、今も続いてるんだということがわかって、ちょっと嬉しかった。


半年間(CILSIDAは2ヶ月半)という期間の中で、わたしにできることは本当に限られていました。というか、こんな短期間で「成果」を求めることは、逆にたぶんあまり彼らのためにならないんじゃないかな、という気がしていました。

そんな中で、わたしがトーゴでの研修中に常に念頭に置こうと思っていたこと:
・わたしにしかできないことをする(彼らにできる仕事を横取りしない)
・わたしがいなくなっても続くことをする(一発打ち上げイベントはしない)

CILSIDAではこの二点にあてはまるものもあてはまらないものもいろいろやったけれど、上の翻訳の話と似たようなことがもうひとつあって、それはトーゴにいる日本のNGOにCILSIDAを紹介したこと。

そ のNGOとCILSIDAは今でもつながりがあって、というかわたしが去った後さらに仲良くなったみたいで、CILSIDAはそのNGOから定期的に孤児 たちのための文房具や古着をもらっています。(そもそもこういう「援助」の仕方ってどうなの、という疑問は残りつつも・・・)

わたしが CILSIDAでやったことって全然大したものではなかったけれど、こうやって今もあの時がきっかけで何かが続いてるって思うと、あの研修では、わたしが たくさんのことを学ばせてもらっただけではなくて、彼らの為にもささやかな価値を出せたのかなあ、と思ったりした日曜日でした。
あとは、翻訳やってたりトーゴでNGOやってたりする人との、奇跡のような幸運な出会いに感謝。人とのつながりって、本当にすごい。

Thursday, May 28, 2009

INTO THE WILD

ショーン・ペン監督、2007年

旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。

2008年5月6日
な んか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもし れない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せ るようになれたらいいだろう。

2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。

*** 

彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。

完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。

彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。

"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"

彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。

***

"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"

なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。

***

彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。

お 金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られ ること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番 を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。

茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。

だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。

***

正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。

自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。