Saturday, September 4, 2010

Il faut agir en homme de pensée et penser en homme d'action.

Think like a man of action, act like a man of thought.

とはベルクソンの言葉。
(英語ではなぜ仏語と順番が逆になるのだろう...)

思考停止せずにスタンスをとれ、スタンスをとってもそれを疑え、と。


トーゴにいたときに、働いていたCILSIDAというNGOではファンドレイズとか翻訳とか啓発活動とかいろいろなことをやったのだけど、印象に残っている活動のひとつが、コミュニティ内の家を一軒一軒訪ねて、若くして妊娠した女の子たちの生活環境についての調査を行ったこと。

家族構成はもちろんのこと、その女の子の職業は何かとか、家計を支えているのは誰かとか、妊娠中の検診はしているか、しているとしたらどこに(公営のヘルスセンターか、私営のお医者さんか、伝統医か、とか)行っているか、とかを、一軒一軒インタビューして回った。総勢30人くらいのスタッフで2週間ぐらいかかった。家庭訪問後は、そのデータをもとにレポートを作った。
その前にいたNGOの活動がひどかったから(私腹を肥やすためのスケープゴート以外の何ものでもなかった)、トーゴのNGOでもこんなちゃんとしたことやってるんだ!しかも、感覚じゃなくちゃんとデータに基づいた活動しようとしてる!ととても感動した。あと、本当に炎天下の中何日間もひたすら町の中を歩き回ったつらい記憶が"今ではいい思い出"ってやつになってる。

インタビューの内容は数字にできることだけじゃなくて、時には人生相談みたいなことになって何時間も話し込んだりもした。

中には、14歳ぐらいの少年少女がやっちゃって、子どもができちゃって、親はガン切れで、どういういきさつか知らないけど刑務所沙汰になりそうで、そもそもその少年少女が家から勘当されそうなのに赤ちゃん産んだら育てるなんてもっての外、なんていう、(刑務所のくだり以外は)日本にも普通に転がっていそうな話があったり。

他にも婚前交渉がらみのトラブルが多かった。その人の宗教にもよるけど、婚前交渉は社会的にあまりいいこととはされていないらしく(そこに社会通念と現実とのおおきな乖離がある)、そのままデキ婚になればめでたしめでたしだけど、妊娠させた男の方が責任を取らずに逃げちゃうって話もたくさんあった。それで母親の方の家族で育てているけど、学校の給食のお金がないとかもざらにあった。

トーゴでは国によるセーフティネットは(皆無ではないにしろ)整っていないから、こういう状況に対してはCILSIDAのような数多のNGOがカバーしている部分が大きい。というか、少なくとも、そういうことがおそらくNGOには期待されている。


この度、CILSIDAのDirecterのAntoine(アントワン)から連絡が来て、この若いお母さんたちのための生活支援のプロジェクトをやりたいと。

GlobalGivingっていうプログラムがあって、世銀の元役員の人たち(ひとりは日本人)が立ち上げたらしいんだけど、草の根活動の現場と世界の善良なる市民をつなげるための仕組みということらしく、サイト上にあるありとあらゆるプロジェクトから、自分の関心に合うものを選んで、好きな額を寄付して、進捗状況のアップデートを受け取れるらしい。

そのGlobalGivingに、CILSIDAが若い母親サポートのプロジェクトで応募した。9月30日までにそのサイト上で$4000のファンドレイズをすることができれば、その後もGlobalGivingのサイトに掲載される権利を得られて、プロジェクト運営に必要なさらなる寄付を募れるということらしい。

ということで、Rena, 先進国の友達に寄付を呼びかけてくれ、と。

うーん。と、困ってしまった。
基本的に、私は、「寄付」ということに対して極度に懐疑的なのです。


最近邦訳が出たらしいDambisa Moyoの"Dead Aid"でも、援助は依存体質を助長させるだけで本当に彼らの成長にはつながらないものが多い、むしろ成長が疎外されている、的なことを言っている。


だけど、現場にいる彼らにはそんなこと言えないわけです。
はるか遠くの人間がどんな理屈をこねていようと、現場は今この瞬間にもそこにあって、その体質そのものを変えることをしているという自負がない限り、その体質の内部におかれている人に批判なんて言えないわけです。たぶん、理解してもらえないだろうという諦めも多分にありつつ。

私は現場に寄り添った人になりたい。
だから、現場のわりきれなさ、汚さから目をそらして、キレイに整えられた理論を言っている人にはなりたくない。現場のわりきれなさや汚さを直視しつつ、かといってそこに迎合することもなく、立ち向かっていける人になりたい。
それが、"agir en homme de pensée et penser en homme d'ation"の意味だと思う。

Thursday, September 2, 2010

今月観た映画〈8月〉

今月は星もいれてみることにした。

無間道 Infernal Affairs
Directed by Andrew Lau & Alan Mak, 2002
★★★☆☆
友達のおすすめで借りた香港映画。どきどきわくわく! 
インセプションが夢と現実の境界を溶かしてしまったのと同じように、この映画にはウソとホントの境界はどこにあるのか考えさせられた。

リトルトウキョー殺人課 Showdown in Little Tokyo
Directed by Mark L. Lester, 1991
★☆☆☆☆
これも友達のおすすめ。ザ・オリエンタリズム! もう日本文化の描写が悲惨すぎて笑える。主役の白人が他のあまたの日本人を差し置いて一番日本の心をわかってる的な設定もサイコーもといpsycho! どんな昔の映画かと思ったら意外と1991年だった。


THE 有頂天ホテル
三谷幸喜監督, 2006
★★★☆☆
合コンで出会った男の子との最初のデートで、彼がばっちり下調べしてくれた映画館に行ったのにやってなくて、まじ微妙な空気になった思い出の映画。撮り方とか役者の動きが舞台みたい。松たか子、昔好きじゃなかったけど最近は素敵だなって思う。

リバー・ランズ・スルー・イット A River Runs Through It
Directed by Robert Redford, 1992
★★★★☆
名作。古きよきアメリカってこんなかんじなのかな。「古きよきアメリカ」のイメージは、私にとって「古きよき留学時代」のイメージでもある。今でも開拓時代のままのような景色が広がる世界で暮らした1年間。
アメリカでは釣りや狩りをする人=自然を愛する人みたいに描写されることが多い気がするけど、私はいつも違和感がある。釣りや狩りは、自然を愛することと相反するように思えるんだけどなー。
"We can love completely without complete understanding."
「愛」も「完全」も「理解」もそれ単独でとてつもなく難しすぎて、この台詞には太刀打ちできない。

チェンジリング Changeling
Directed by Clint Eastwood, 2008
★★★☆☆
アンジェリーナ・ジョリーが好き。彼女の華やかで情熱的な顔を2時間眺めたあとに鏡で自分の顔を見たら愕然とした。
フィクションだったらなんてことない映画だけど、実話に基づいてるっていうからすごい。母としての強さに感動、狂気の犯罪に恐怖。子育てが怖くなる。

この森で、天使はバスを降りた The Spitfire Grill
Directed by Lee David Zlotoff, 1996
★☆☆☆☆
これもある意味アメリカらしい映画。邦題が気に食わん!

スラムドッグ・ミリオネア Slumdog Millionaire
Directed by Danny Boyle, 2008
★★★★☆
ようやく見た。さすが名作と言われているだけあるのね。レストランで「インドの社会問題入門フルコース」を名シェフに注文したら、これが出てきそう。エンディングがインド映画っぽい。のかな? インドの女優ってほんとうにきれい。

ラヂオの時間
三谷幸喜監督, 1997
★★★★☆
おもしろかったー! 有頂天ホテルよりこっちの方が好き。キャスティングがいい。業界人が業界人を演じる空々しさもまたよい。三谷幸喜は緩急のバランスがうまいな。

BOY A
Directed by John Crowley, 2007
★★★☆☆
友達おすすめの映画。うーん。キレイに終わらせないのはよかったけれど。同情でもなし、共感でもなし、反感でもなし、何を感じればよかったのだろう。やるせなさ?

ぼくの大切なともだち Mon Meilleur Ami
Directed by Patrice Leconte, 2006
★★★★☆
フランス語だとそれだけで3割増ぐらいに見えてしまうのは置いといても、重さと軽さのバランスが絶妙でいい映画だった。クイズ・ミリオネアのシーンが「スラムドッグ・ミリオネア」と似てた(製作年はこっちの方が先だから真似とかじゃないだろうけど)。「パリ、恋人たちの2日間」でも思ったけど、フランス人てほんとにこんなにずけずけものを言うの?

善き人のためのソナタ Das Leben der Anderen
Directed by Florian Henckel von Donnersmarck, 2006
★★★★☆
人生を賭けるってこういうことか。闘うことってこういうことか。原題は「他人の人生」みたいな意味だと思うけど、そういうタイトルだと思って見るとまた感じ方も違う気がする。
1年間世界をぶらぶらしてた時にいろんな社会を垣間見て、私にとって譲れないものってなんだろうと考えて、それは「自由」かもしれないと思ったのを思い出した。

バティニョールおじさん Monsieur Batignole
Directed by Gerard Jugnot, 2002
★★☆☆☆
戦争の話だと知らずに見たからびっくりした。実話だったら感動だけど、フィクションとしてはあんまりかなあ。コメディタッチで描いてるのが余計にちょっと心を重たくしたような。

迷子の警察音楽隊 The Band's Visit
Directed by Eran Kolirin, 2007
★★★★★
すばらしい。やっぱり中東を舞台にした映画はなにより背景がすばらしい。あの色。ジャンルはコメディらしいんだけど、言葉少なな台詞のまわりに漂う哀愁が切なすぎてずっと泣きそうだった。そして最後のアラブ音楽が胸をぎゅーっと締めつける。色と音楽が最高。

ダージリン急行 The Darjeeling Limited
Directed by Wes Anderson, 2007
★★★★★
今のところ、「もののけ姫」と並んで世界で一番好きな映画。アマゾンで1000円になってたから買っちゃった♥ 家に届いてからはひらすら見てた。やっぱり最高。この映画だけは、なぜか何がいいのかうまく言えない。部分じゃなくて全体なのだ、という言い訳。

Wednesday, September 1, 2010

変わるものと変わらないもの

久しぶりに昔の日記の頁を繰る。

「いろんな「違い」はあってしかるべきなんであって、お互いにそれを認め合って受け入れて理解する能力も、人間にはあるはずなのに。平和のために必要なものはそういう意識の変革なのか? でもそれは「洗脳」にはならないか? 「洗脳」の結果全ての人間は画一的になってしまわないか? 皆が「違いを認めよう」という同じ意志を持った時点で「違い」は存在しなくなるのか?」

「自然権って、人間が生まれ持った権利、誰にでもある権利、ってことになってるけど、その概念自体は近代ヨーロッパで生まれたもので、ということはやっぱり自然権は普遍的に存在するものでなく近代ヨーロッパの価値観の延長線上にある社会でしか通用しないのか? ヨーロッパの価値観が支配する世界の構造が崩れた時、人権の存在しない価値観は正しいとされうるのか?」

「一体、この世でいちばん大切なものって何なんだろう。答えなんて世界中捜し回ってもきっとどこにもない」

高校生の私はこんなことを考えていたらしい。6年前。
表現は拙くて青臭いけど、今も昔も考えてること大して変わってない。大学入ってからの6年間、私はなにやってたんだろうという途方もない虚無感に包まれた。

あの頃から何か変わったものがあるとすれば、当然多少の知識は増えた。でもそれはむしろ、頭の中がより多くのことばに満たされていった、と言った方がいい。
あの頃はことばが少なかった代わりに、希望があった。しかも、ことばを多く身につけることによって希望を現実に変える魔法を手に入れられると思っていた。
実際は、新たに身につけたことばによって、その希望をひとつひとつ潰してゆく作業、それがここ数年間の変化とも言えないような変化だった気がする。

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最近読んだジュリアン・グリーンの小説で、純粋さの行き着く先は人間社会における破綻でしかないことが見事に描かれていたのはとても示唆的だった。

純粋さや完全さを追い求める中で、人間(や人間の営み)の内にある不純さや不完全さに打ちひしがれる。その圧倒的な絶望を背負いつつ、しかしその絶望の境地に安住することも許されず、一縷の希望の可能性をも否定しきれないが故に、思考停止をせずにいること、そこにしか存在することが許される道はないような気がする。

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卒論のテーマ、ようやく方向性ぐらいは絞れてきた。
さんざん寄り道して回り道して、結局元のところに戻ってきた感じ。