Think like a man of action, act like a man of thought.
とはベルクソンの言葉。
(英語ではなぜ仏語と順番が逆になるのだろう...)
思考停止せずにスタンスをとれ、スタンスをとってもそれを疑え、と。
トーゴにいたときに、働いていたCILSIDAというNGOではファンドレイズとか翻訳とか啓発活動とかいろいろなことをやったのだけど、印象に残っている活動のひとつが、コミュニティ内の家を一軒一軒訪ねて、若くして妊娠した女の子たちの生活環境についての調査を行ったこと。
家族構成はもちろんのこと、その女の子の職業は何かとか、家計を支えているのは誰かとか、妊娠中の検診はしているか、しているとしたらどこに(公営のヘルスセンターか、私営のお医者さんか、伝統医か、とか)行っているか、とかを、一軒一軒インタビューして回った。総勢30人くらいのスタッフで2週間ぐらいかかった。家庭訪問後は、そのデータをもとにレポートを作った。
その前にいたNGOの活動がひどかったから(私腹を肥やすためのスケープゴート以外の何ものでもなかった)、トーゴのNGOでもこんなちゃんとしたことやってるんだ!しかも、感覚じゃなくちゃんとデータに基づいた活動しようとしてる!ととても感動した。あと、本当に炎天下の中何日間もひたすら町の中を歩き回ったつらい記憶が"今ではいい思い出"ってやつになってる。
インタビューの内容は数字にできることだけじゃなくて、時には人生相談みたいなことになって何時間も話し込んだりもした。
中には、14歳ぐらいの少年少女がやっちゃって、子どもができちゃって、親はガン切れで、どういういきさつか知らないけど刑務所沙汰になりそうで、そもそもその少年少女が家から勘当されそうなのに赤ちゃん産んだら育てるなんてもっての外、なんていう、(刑務所のくだり以外は)日本にも普通に転がっていそうな話があったり。
他にも婚前交渉がらみのトラブルが多かった。その人の宗教にもよるけど、婚前交渉は社会的にあまりいいこととはされていないらしく(そこに社会通念と現実とのおおきな乖離がある)、そのままデキ婚になればめでたしめでたしだけど、妊娠させた男の方が責任を取らずに逃げちゃうって話もたくさんあった。それで母親の方の家族で育てているけど、学校の給食のお金がないとかもざらにあった。
トーゴでは国によるセーフティネットは(皆無ではないにしろ)整っていないから、こういう状況に対してはCILSIDAのような数多のNGOがカバーしている部分が大きい。というか、少なくとも、そういうことがおそらくNGOには期待されている。
この度、CILSIDAのDirecterのAntoine(アントワン)から連絡が来て、この若いお母さんたちのための生活支援のプロジェクトをやりたいと。
GlobalGivingっていうプログラムがあって、世銀の元役員の人たち(ひとりは日本人)が立ち上げたらしいんだけど、草の根活動の現場と世界の善良なる市民をつなげるための仕組みということらしく、サイト上にあるありとあらゆるプロジェクトから、自分の関心に合うものを選んで、好きな額を寄付して、進捗状況のアップデートを受け取れるらしい。
そのGlobalGivingに、CILSIDAが若い母親サポートのプロジェクトで応募した。9月30日までにそのサイト上で$4000のファンドレイズをすることができれば、その後もGlobalGivingのサイトに掲載される権利を得られて、プロジェクト運営に必要なさらなる寄付を募れるということらしい。
ということで、Rena, 先進国の友達に寄付を呼びかけてくれ、と。
うーん。と、困ってしまった。
基本的に、私は、「寄付」ということに対して極度に懐疑的なのです。
最近邦訳が出たらしいDambisa Moyoの"Dead Aid"でも、援助は依存体質を助長させるだけで本当に彼らの成長にはつながらないものが多い、むしろ成長が疎外されている、的なことを言っている。
だけど、現場にいる彼らにはそんなこと言えないわけです。
はるか遠くの人間がどんな理屈をこねていようと、現場は今この瞬間にもそこにあって、その体質そのものを変えることをしているという自負がない限り、その体質の内部におかれている人に批判なんて言えないわけです。たぶん、理解してもらえないだろうという諦めも多分にありつつ。
私は現場に寄り添った人になりたい。
だから、現場のわりきれなさ、汚さから目をそらして、キレイに整えられた理論を言っている人にはなりたくない。現場のわりきれなさや汚さを直視しつつ、かといってそこに迎合することもなく、立ち向かっていける人になりたい。
それが、"agir en homme de pensée et penser en homme d'ation"の意味だと思う。
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Saturday, September 4, 2010
Tuesday, June 15, 2010
Power of Music
この曲、3:14ぐらい以降が日本語にしか聞こえない!
トーゴで大人気の歌手ToofanのRéseauって歌。
空耳の部分はフランス語じゃなくてエヴェ語(現地語)っぽい気がするけど、何て意味なんだろ。
てかトーゴの音楽聞くとトーゴに戻りたい度が一気に跳ね上がってやばい!
トーゴのことを思い出したい時はトーゴの音楽聞けば一発なんだけど、あんまり聞きまくってると当時の感覚の再現機能(?)が薄れていってしまうようで、だいじにだいじに、少しずつ聞いてる。ああこのジレンマ。
とにかく、今はこの曲聞いてまたトーゴシックにかかり中。
でも、昨日タロット占いをしてもらったら、今年の夏休みはトーゴに行くと事故に遭うと言われちゃったからどうしよう。。ゼミジャン(バイタク)乗っててがっしゃーんご臨終とかが日常茶飯事のトーゴでは事故に遭うとか普通に全然あり得るし。。むしろ今まで遭わなかった方が幸運と言うべきなのかも。
占いとかって全然真面目には信じてないけど、未来のことを誰かから断定形で言われちゃうとなんとなく無意識のうちに自分の中で方向性が規定されちゃうような気がしなくもない。
なーんて、夏休みにトーゴに行こう for the 3rd time かどうか迷ってるほんとの理由は、他にも行きたいところがいっぱいあるからなんだけど。
あー! 学生生活最後の夏休み (hopefully) 、どこ行こう!?
トーゴで大人気の歌手ToofanのRéseauって歌。
空耳の部分はフランス語じゃなくてエヴェ語(現地語)っぽい気がするけど、何て意味なんだろ。
てかトーゴの音楽聞くとトーゴに戻りたい度が一気に跳ね上がってやばい!
トーゴのことを思い出したい時はトーゴの音楽聞けば一発なんだけど、あんまり聞きまくってると当時の感覚の再現機能(?)が薄れていってしまうようで、だいじにだいじに、少しずつ聞いてる。ああこのジレンマ。
とにかく、今はこの曲聞いてまたトーゴシックにかかり中。
でも、昨日タロット占いをしてもらったら、今年の夏休みはトーゴに行くと事故に遭うと言われちゃったからどうしよう。。ゼミジャン(バイタク)乗っててがっしゃーんご臨終とかが日常茶飯事のトーゴでは事故に遭うとか普通に全然あり得るし。。むしろ今まで遭わなかった方が幸運と言うべきなのかも。
占いとかって全然真面目には信じてないけど、未来のことを誰かから断定形で言われちゃうとなんとなく無意識のうちに自分の中で方向性が規定されちゃうような気がしなくもない。
なーんて、夏休みにトーゴに行こう for the 3rd time かどうか迷ってるほんとの理由は、他にも行きたいところがいっぱいあるからなんだけど。
あー! 学生生活最後の夏休み (hopefully) 、どこ行こう!?
Saturday, May 29, 2010
覚悟
先日、とある病院の「パストラル・ケア」研修というのに半分参加・半分見学みたいな感じでお邪魔してきました。
パストラル・ケアというのは、(たぶん)「スピリチュアル・ケア」とほぼ同義で、ともすれば病気としか向きあわない機械的な現代医療の中で、病気ではなく患者さんその人と向き合い、その人の心のケアをしていこう、というかんじの取り組み(というのが少なくとも私の理解)。
それまで実は私は、学問的な意味でのスピリチュアリティって、「オーラの泉」とか世間でスピリチュアルともてはやされているようないかがわしい諸々とは違うんだろう、っていうことぐらいはわかっていたけど、それ以上のことはあんまりよくわかっていなかった。
この研修を通して知ったのは、少なくとも臨床的なスピリチュアル・ケアというのは、必ずしも超自然的な何かを感じるとか信じるとか、そういうことではなくて、人間の心の一番奥深いところに触れることなんだ、ということ。
ケアをするための知識とかコミュニケーション手法とか技術的な点はひとまず置いておいて、臨床的なスピリチュアル・ケアの本質を考えるとおそらく、「全人的な人との関わり方」というのとかなり近い意味合いを持っているんじゃないかと思う。
そう考えると、「スピリチュアル・ケア」という括りをわざわざ作って特別視しなければいけない程に、私たちの日常社会では人間関係は希薄で殺伐としたものになっているのか、と思った。
全人的な人間関係は、家族や友達や周囲の人との関わりを通して日常の中に当たり前にあってもいいはずなのに、そうではなくなって、何か特別な地位を与えられた技術と化してしまうのって、なんだかすごく違和感を感じる。切ない。
とはいえ医療の現場でそういうニーズがあるのは事実で、それに本当に真摯に取り組んでいる人たちを見て、私はものすごい衝撃を覚えた。
「スピリチュアル・ケアをしようと思うなら、相手との関わりの中で自分自身も傷だらけになる覚悟をしなければならない」
と、研修会の講師の先生がおっしゃっていた。
患者さんの話を聞いて、そうですね、って、ただ答えていればいいのではない。
ケアワーカーと患者という非対称な関係を超えて、ひとりの人間として、相手と向き合うこと。
自分自身も傷だらけになる――。
その言葉を聞いて私が思い出したのは、トーゴでの生活のことだった。
おこがましさは自覚しつつも、やっぱりNGOで働くという立場で、現地の人々のためになることを何か少しでもできたらいいな、という思いで私はトーゴに行った。
でも、それはある意味挫折に終わった。
もちろん、即物的な成果はそれなりに出した。資金調達したり、組織体制を整えたり。研修先NGOにとって私が初めてのインターン受け入れの経験だったのだけど、今後もぜひインターンを受け入れたいと言ってくれたりもした。
だけどほんとは、おこがましくもトーゴの人々を「助け」るはずのNGO活動で、私は、自分を守ることでいっぱいいっぱいだった。
ここでは誰も守ってくれる人がいない。そんな思いが常に自分を脅かしていた。
本当に必要とされるままに助けていたら、こっちが死んじゃうから。
普通だったら、人から必要とされることはおそらく嬉しいことだけど、トーゴではちょっと違った。必要とされることは、生命に対する脅威とものすごく近いところにあった。
私は死にたくなかった。
だから、「わたし」と「かれら」との圧倒的な非対称性の中で、私は自分を守ること、つまり、トーゴの人たちとの触れ合いの中でいかに自分が傷つかないようにするかということで、精一杯だった。
情けない。
胸がいっぱいになった。
胸がいっぱいになって、涙が溢れてきてしまう自分の弱さに、ますます情けなくなった。
自分も傷だらけになる覚悟、そして傷だらけになっても生き抜く強さ。
初めて聞くことではないし、ことばで言うのはいとも容易い。
だけど今回の研修で、本当にこれを体現している人を目の前にして、それはもうとてつもない衝撃で、私は完全に打ちのめされてしまった。
私が大切に大切にことばにして、いつも握り締めていたものを、この体験はぐしゃぐしゃに壊してしまった。
そんなの、ただの ことば だよ、と。
このポストだって。
ことばの力とはなんだろう。
Thursday, January 21, 2010
ちょw
「『労働新聞』の国際欄は、世界の人々がいかに金日成や金正日の思想に共鳴しているのか、といった記事が中心に掲載される。
たとえば8月14日付の国際面トップでは『絶世の偉人に対する絶え間ない魅惑と敬慕』というタイトルで、トーゴの故エヤデマ大統領がいかに故金日成主席を尊敬していたかについて書かれた。
記事によると、金日成の偉大さにあまりに感激したエヤデマは彼を師匠として仰ぎ、トーゴで国家的行事が行われるたびに『金日成将軍の歌』を流したという。」
――「北朝鮮がみえてくる なるほど、労働新聞」クーリエ・ジャポン2009年10月号107ページ
ちょwww
エヤデマwwww
この記事の内容が本当だとしたら(本当かどうかは要確認)、、
つい最近まで独裁者として世界最長記録保持者だっただけあると妙に感心せざるを得ないw
これじゃ日本から援助切られても仕方ないよね。。
2月末に迫る次の大統領選挙はどうなるのだろうか。知り合いのトーゴ関係者に聞くと、だいたいが現大統領(エヤデマの息子)が勝つとの見通しみたい。前回みたいに大規模な暴動が起きないといいけど。。
トーゴ人の友達が言っていた言葉、
「大統領が誰になろうとどうでもいい。ただ、国民皆がちゃんと暮らしていければそれでいい。」
というのが印象的。
--
「アフリカの人たちが持続的な発展を享受するには何が必要なのでしょうか。(中略)
教育、教育、また教育です。最低限の教育すら受けていない人は、抽象的な思考ができないので、簡単なコミュニケーションを取ることすらままなりません。アフリカの建設現場にはインドや中国からの作業員がたくさんいますが、すぐそばに仕事にあぶれているアフリカ人がたくさんいます。教育をまったく受けていない人は単純労働にすら従事できないのです。」
By 勝間和代 ――「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」クーリエ・ジャポン2009年10月号43ページ
ちょwww
カツマさんwwww
・勝間さんは「最低限の教育すら受けていない人」つまり旧宗主国の言語(英語やフランス語など)を話さないであろう人々と現地語で会話した上でこのような判断を下したのか
・そもそも学校教育という概念や制度がなく「最低限の教育すら受けていない人」しかいなかったはずのかつてのアフリカでは、「抽象的な思考ができない」ために「簡単なコミュニケーションを取ることすらままならな」かったり「単純労働にすら従事できない」中で、どうやって社会生活を成立させていたのか
・「仕事にあぶれているアフリカ人」が「単純労働にすら従事できない」のは、本当に「教育をまったく受けていない」せいなのか
わたしだってそんなにアフリカのこと知ってるわけじゃないけど、「抽象的思考ができない」はひどすぎでしょう。。これだけ社会に影響力のある人がこんなことを言ってしまうのは、由々しき事態だと思うのだけど。。
ただ、反論(?)としては、「最低限の教育」が、学校教育以前の、ことば(現地語)をしゃべるとか家の手伝いをするとかそういう基本的な社会生活能力を身につける/させることを意味しているという可能性が考えられる。勝間さんが二度訪れたというスーダンはそれがままならないほどひどいとこということを言いたいのかもしれない。
でも、もしそうだとしたらそれは紛争でコミュニティが崩壊したために、本来コミュニティの中で育てば普通に身につくはずの能力が身につかなかった話であって(本当に崩壊したのかどうか詳しくは知らないけど)、恒常的な貧困とは別にするべきじゃないのか。それに、スーダンで見た例を「アフリカ」と括って語るべきじゃないと思う(「アフリカ」と括ってしまうのは、自戒も込めて、だけど)。
あと、この記事のタイトル「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」に対しても、Dambisa Moyoの"Dead Aid"という本を読んでいたりすると、まず問うべきはそもそも援助をする必要があるのか、ということなのではないかと思ってしまう。けど詳しくはこの本を読み終えてから書くことにする。だけどとにかくこの本は痛快!
援助をめぐって何かしらひっかかることがある時、文化人類学的な「彼ら」との関わり方ってすごく意義があるんじゃないかと思ったりする。援助も文化人類学も、どっちもほんのちょっぴりかじっただけだけど。
文化人類学だってあくまでも「自分」は「彼ら」の解釈者であって、決して「自分」と「彼ら」が対等になれたり「自分」が「彼ら」の声の代弁者になれるわけではないけれど、(歴史上どうだったかは別として少なくとも今は)「彼ら」との境界線ぎりぎりに立つぐらいまでは「彼ら」の側に踏み込んで行けるんじゃないかって気がちょっぴりする(そうなった時こそ、逆に境界線の存在に意識的になることを忘れてはいけないんだろうけど)。
・・・というかすかな希望に縋りつくように文化人類学の勉強を始めてみた今日この頃。
Wednesday, January 6, 2010
Bon appétit !!
うふふ。
とうとう。
作っちゃいました♪
じゃじゃーん!!
トーゴ(というか西アフリカ?)料理、foufou☆
こないだ在日トーゴ人(でももう日本に帰化したそうだから正確には日本人だけど・・)の人のお家に遊びに行かせてもらって、作り方を教えてもらったのです。その日の帰り道に早速材料を買って、とうとう今日作ってみた。念願の「日本でトーゴ料理」!! 嬉しすぎる~♪♪
・・・しかしなぜかソースはakoumé(っていう別の料理)用。。だってfoufouのソース、難しいんだもん :'( トーゴ人が見たら怒られちゃいそうだけど、初めてだから仕方ないってことで。。えへ。
Foufouは、簡単に言えばお芋のお餅みたいなかんじ。トーゴでは主にヤムイモとかキャッサバを使って(ガーナではプランテン(でかくて甘くないバナナ)とかも使うみたい)、本当に日本の臼と杵みたいのでついて作るの。
日本ではそれはできないってことで今回教えてもらったのが、じゃがいものパウダー+片栗粉を使って普通の鍋で作るやり方。じゃがいもと片栗粉で作れるなんて、目からウロコすぎる!!
基本的には、市販のじゃがいもパウダーとお湯と水に溶かした片栗粉を火にかけてひたすら混ぜる。が、この「混ぜる」が超大変!! Akouméを作る時もそうだけど、だんだん固くなってくるとすっごい重くなってきて、腕が痛くなる。。イメージとしては、ホイップクリームを手動で泡立てるんだけどそのクリームがクッキー生地ってかんじ。笑 それでもトーゴ人は毎食普通に作っちゃうからすごい。なんでトーゴ人はあんなに力持ちなんだろう、というかむしろ、なんで日本人はこんなに弱っちいんだろう。。
とにかくがんばって混ぜて混ぜて、できあがりがこんなかんじ↓
で、ソース。先に書いた通りこれはakouméのソースなんですが。。汗
私がトーゴにいる時に教えてもらって、たぶんソースの中でも一番簡単なもので、トマトの缶詰と玉ねぎと鰯の缶詰と塩コショウとコンソメを混ぜただけ。それだけ。なので失敗するわけもなく。こんなかんじにできあがりました↓
Friday, January 1, 2010
HAPPY NEW YEAR 2010
明けましておめでとうございます。
年末年始が何だ、just another ordinary dayじゃないの、と思っていた(る)けれど、透き通るようなまっさらな気持ちで(根拠もなく)希望に満ち溢れることができるのは、元旦のいいところかもしれない。
思い返せば2009年の年明けはトーゴで(眠りながら)迎えました。ホストファミリーは皆、教会のオールナイトミサに出かけちゃってて(この頃私は頑なに教会に行くことを拒んでいた)。私はこの日も23時寝5時起きの生活リズムを崩すことなく、ぐっすり寝入っておりました。ていうか暑かったんだよなー去年の元旦は。季節の変化がないと、時間の経過にも鈍感になる、みたいなことを当時の日記に書いてた。
元旦は、ホストファミリーが教会のバンドをわざわざ私のために家に呼んでくれて皆で踊ったり、お隣さんちでご馳走(って言ってもメニューはいつもと同じだけど)食べたり、ビーチに散歩しに行ったりした。懐かしい。その3日後にトーゴを去って、また旅路についた。
帰国したのは2月10日。そう考えるとまだ1年経ってないなんて、変な感じ。もうすごく遠い気がする。
世界一周の1年は、自分がいかに人とのつながりによって生かされているかを実感した1年だった。帰国してからの時間は、"Things are never the same." ということのrealizationとその中でのstruggleというかんじで過ぎていったように思う。結構へこんでる時間も多かったような気もする。
でも、この間素晴らしい動画に出会って、気持ちが塞いだ時には必ずこれを見てます。見ればたちまち元気120%!!! こんなに幸せな気持ちにしてくれる動画をわたしは他に知りません。大好き☆☆☆
もうね、本当にいいの。ぜひ見てください!!!
もちろん彼の才能もすごいんだけど、何よりこの自由さと底抜けの明るさに、暗い気持ちなんて吹っ飛んで、何度見ても自然と笑顔がこぼれてきちゃう。こんな天真爛漫さをいつまでも持ち続けて生きていきたい!!!
2010年。
苦悩することは時に心地よく、絶望の淵に佇むことは実に容易いので、今年はこんなimperfectな世界を愛し、(PMSにも負けずに)笑顔で生き抜けるようにしたいと思います。
2010年が、愛に満ちた温かな1年になりますように・・☆
みなさま、今年もよろしくお願いします。
Sunday, December 27, 2009
他者のことば
最近postが多い気がしますね。なんでだろう。年末とは関係ないはず。
てか今回ほど感慨のないクリスマス、年末、って、今までなかった気がする(去年のトーゴで迎えたのを除く・・・もしくはそれと同じくらいかも)。世界一周の一年を経て、いろんなものに対して淡泊になったような気がしなくもない。ただしbefore-afterみたいに比較できるほど、自分の過去が明確に固定されたものとしてあるわけじゃないからよくわかんないけど。
とにかく今年はクリスマスのわくわく感とか、まったくなかった。日本の大半の人びとは、自分が何について祝っているかを自覚してあんなに浮かれているのだろうか(反語)。クリスマスがカップルの一大イベントなのは、ジーザスが伝えた「愛」を体現するためなのであろうか(反語)。まあ、バレンタインなどに並ぶ、カップルが「とくべつ」を正々堂々と実行できるいい口実、っていうのはわかりますが。でも、自分の実存に無関係のことにあれだけ狂酔できるって逆にすごいことのような気さえしてくる。
私はといえばそんな日本人であることの後ろめたさを少しでも解消したいがために近くの教会のクリスマスミサに行きました。中高時代にあんなに反発していた言葉が、すごく心地よく響くのは何なんだろう。安心感みたいなものさえ抱く。結局わたしがlinger onできるものって、もはや刷り込みによって染み付いてしまったもの以外にないのかもしれないなあ。でもそれは私にとっては信仰みたいな、世界を規定するものというよりは倫理体系に近いものである上、絶望的な響きも持っているから、相変わらずクリスチャンになろうとは思いませんが。
Anyways, 前置きにもならないようなblabbingはこのへんにして。
今日は縁あって在日トーゴ人会のYear-end partyに呼んでいただいて、行ってきました。
日本にトーゴ人なんてひとりもいないと思ってたからそんな会の存在を初めて知った時は衝撃すぎたけど、今日行ってみたら、いたよいたよー、トーゴ人(複数形)!!! しかも日本語ぺらぺーらの人とかもいてびっくり。トーゴ訛りのフランス語が懐かしすぎて愛しすぎた。リスニング面はほとんど衰えていなかったようで嬉しかった一方、スピーキング面は基本フレーズを失念した事態によってかなりの危機感を覚える。てか最近知ったけどわたしが普通のフランス語だと思っている(いた)代物は多分にピジン的なものであるらしい。トーゴ訛りにならないようにとか、文法を正しくしゃべるとか、すっごいすっごい気をつけて頑張ってたつもりなんだけど、、無念でならない。
トーゴ料理も出て、懐かしいメニューを前に感涙にむせいだ反面、トーゴにいた時は見たことも聞いたこともなかったような料理もあって、私はトーゴについてまだまだ全然知らないことを改めて実感(あたりまえだけど)。そしてそういう実感を抱くとまた行きたくなってしまう。
All in all, 今日は日本でのトーゴコネクションを広げられたのでとてもよかった。エヴェ語とか本気で教わりたい。エヴェ語(だけじゃなくてほんとはKabyéとか他の現地語もだけど、とりあえずはエヴェ語)がわかるようになったら、見えてくる世界ががらりと変わるんじゃないかという確信にも似た期待がある。トーゴの公用語はフランス語だからフランス語ができればコミュニケーションには苦労しないけど、結局トーゴでフランス語を介して見える世界って、意図的に取捨選択されたという性格が強いものだから。相手を理解するには相手のことば(比喩的な意味も含めて)を理解することがものすごく重要。本を読む時に原典にあたるのと同じようなものだよね。それはある意味、事実の純化作業でもあると思う。
結局、今でもわたしをこんなにトーゴに惹きつけているものは、わけのわからなさなんだと思う。もっと知りたい、もっとわかりたい、そんな欲求がわたしを衝き動かしてるんだと思う。
そんなことを思う年の暮れである。
(K君、魔法のことばを教えてくれてありがとう)
Tuesday, December 22, 2009
Better Late Than Never
ということで、昔の世界一周ブログにトーゴでのNGOインターンの報告書を載せてみました。
表が途中で切れちゃってるんだけど、重すぎるせいか何なのか編集画面が開けないのでしばらく放っておくことにします。
それでもJournalの部分を見てもらうと、前半いかに仕事がなかったかがよくわかると思います。笑
研修先変えて本当によかったと今でも思う。本当は研修始めて1ヶ月半ぐらいのところでもう変えたいって言ってたんだけど、実際にCILSIDA(後半の研修先)に移れるまでさらに1ヶ月もかかってしまったのはトーゴのアイセックのせいです。これにTIA (= This is Africa.) と言い訳するなら、そこを自ら変えようとしないで発展したいとか言うな!とひとり内心ラディカルにfuriousになっていたのが懐かしい。
ただ、前半暇だったおかげで、フランス語の勉強ができて飛躍的に上達したり、トーゴの文化についていろいろ見識を深めることができたので、研修以外の側面で言えば悪くない時間でした。あの時期の人間関係は本当にストレスフルだったけど、だからこそ学ぶことも多かったし。
・・・と、もうすぐ1年になるのかーとか思いつつ振り返ってみると、生の感覚として残っている部分がどんどん減っていき、コトバによって構築された記憶や意味づけとして残されていく部分がどんどん増えていっていることを実感します。留学の時もかなりそれを感じてた。だからあえて、コトバを与えずにそっとしておきたいな、って思う時もある。逆に、コトバにしないと忘れちゃうことも多々あるんだけど。
生の感覚がなくなっていくのがかなしい時は、あの頃聞いていた音楽を聴くと即座にあの時の感覚が蘇ってくる。今年の夏トーゴに戻ったのも、思えばトーゴの音楽をふとYoutubeで検索してみたのがきっかけでした。
ちなみに2こめの歌のタイトルは「ゼミジョン」って言うんですが、これはバイタク(トーゴではtaxi-motoって言う。Motoの元はおそらくmotorcycle的ワードだから、まさにタクシーバイク)の呼び名です。「ロメ(トーゴの首都)にはゼミジョンがいっぱいだぜ!」みたいな歌で、いろんなローカルネタが出てきておもしろい。最初に「オレイア!」って言ってるのは、ゼミジョンをつかまえる時に運転手にかける言葉。エヴェ語で、Tu vas? (You go?) みたいな意味です。聞いてると懐かしさに体が疼きます。
だから今になって逆にすごく残念に思うのは、世界一周中スペインで他の貴重品とともにミュージックプレーヤーを盗まれてから、音楽と一緒に旅をできなかったこと。トーゴとかヨルダンとか、町中で大音量で四六時中音楽が流れていた場所を除いて、世界一周の時の感覚を蘇らせてくれる音楽を、わたしは持たない。だから、あの時の感覚はきっと二度と蘇らない(他にそんな効果を持つものを、わたしは知らない)。
しかし。
この「蘇る」と表現されたわたしの内の感覚は、果たして本当にあの時の感覚のままであると言えるのだろうか・・・
この「感覚」すら、「感覚」というコトバによってしか他者と共有し(ているという(幻想かもしれない)安堵感を持ち)えないもどかしさ。
もう哲学はいやだよ
しかしそこにもうコトバは生まれてしまっているのだ。
いやだよ
いやだよ
あ、でも、「そこにコトバがあってしまう」となると、もはや哲学じゃないのかな。だって愛してないもん、ロゴスという知を。というか、愛という価値すら置けない。あるいは、愛憎半ばみたいなかんじなのか。
一部の(多くの?)偉大な哲学者が精神を病んでいるってことは、(ある種の、という留保がつくかどうかは眠くてよくわからないけど)知は人を不幸にするかもしれないってことなのかしら。まあロゴスというシステムの不完全性からして当然のことなのかもしれないけど。「知らぬが仏」とはよく言ったもの。
Friday, October 2, 2009
魔法のチョコレート
10月ですね。就活ですね。
・・・ハイ。
心が折れそうな時にはチョコレート
というのは古代から伝わる金言ですが、トーゴやガーナの暑さはチョコレートの大敵です。
冷房のがんがん効いたスペールマルシェで調子に乗ってスニッカーズを買おうものなら、お店から出た1分後にはどろどろぐちゃぐちゃ、見るも無残な姿になってしまいます。一般家庭には冷房も冷蔵庫もないのが普通なので、フェアトレード云々以前に、環境的に、トーゴやガーナではチョコレートは無理。
の、はずなのに。
ガーナの首都アクラの道端ではよく板チョコを売っているんです。売り子が歩いて売っていて、冷却装置もあるわけがなく。それも箱入りで大量に。
そんなの買う人の気が知れないわっ と思ってわたしは一度も買ったことなかったんだけど、それを今回友達がお土産で大量買い。。。
その後ドバイで、ラマダンの飢えに耐えきれず、40℃はゆうに超えているであろうとてつもない暑さの中おそるおそるガーナで買ったチョコを開けてみる。すると・・・
と け て い な い ! ! !
とけそうな気配すら微塵も漂わせていない!!!
・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
どうやらその理由は"No cocoa butter" というところにあるみたい。
口の中でもとろけて喉に絡みつく感があまりなく、サクサクした食感で美味。
暑さにもとけないチョコレートだなんて、Willy Wonkaもびっくりのパラダイムシフト!!! このチョコならタージマハルも消えずに済んだろうに。。
・・・といたく感動したことを今日まですっかり忘れていました。
新学期が始まりました。
久しぶりのキャンパスは刺激に満ち溢れていました。
初日の授業では、バチカン市国が本郷キャンパスよりも小さいことを学びました。
2日目の今日は、夏学期には4人だったヒンディ語の授業が、今学期はわたし1人に減っているという事実を目の当たりにしました。
。。。
過ぎゆく季節の美しさと切なさには、胸が締め付けられそうになります。
・・・ハイ。
心が折れそうな時にはチョコレート
というのは古代から伝わる金言ですが、トーゴやガーナの暑さはチョコレートの大敵です。
冷房のがんがん効いたスペールマルシェで調子に乗ってスニッカーズを買おうものなら、お店から出た1分後にはどろどろぐちゃぐちゃ、見るも無残な姿になってしまいます。一般家庭には冷房も冷蔵庫もないのが普通なので、フェアトレード云々以前に、環境的に、トーゴやガーナではチョコレートは無理。
の、はずなのに。
ガーナの首都アクラの道端ではよく板チョコを売っているんです。売り子が歩いて売っていて、冷却装置もあるわけがなく。それも箱入りで大量に。
そんなの買う人の気が知れないわっ と思ってわたしは一度も買ったことなかったんだけど、それを今回友達がお土産で大量買い。。。
その後ドバイで、ラマダンの飢えに耐えきれず、40℃はゆうに超えているであろうとてつもない暑さの中おそるおそるガーナで買ったチョコを開けてみる。すると・・・
と け て い な い ! ! !
とけそうな気配すら微塵も漂わせていない!!!
・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
どうやらその理由は"No cocoa butter" というところにあるみたい。
口の中でもとろけて喉に絡みつく感があまりなく、サクサクした食感で美味。
暑さにもとけないチョコレートだなんて、Willy Wonkaもびっくりのパラダイムシフト!!! このチョコならタージマハルも消えずに済んだろうに。。
・・・といたく感動したことを今日まですっかり忘れていました。
新学期が始まりました。
久しぶりのキャンパスは刺激に満ち溢れていました。
初日の授業では、バチカン市国が本郷キャンパスよりも小さいことを学びました。
2日目の今日は、夏学期には4人だったヒンディ語の授業が、今学期はわたし1人に減っているという事実を目の当たりにしました。
。。。
過ぎゆく季節の美しさと切なさには、胸が締め付けられそうになります。
Wednesday, September 23, 2009
トーゴに恋して
2度目のトーゴから帰って来ました。
2日経つのに時差ぼけがなおらない。なおそうという努力をあんまりしてないからかな。今夜徹夜して明日の夜まで頑張って起きていられたらなおるんじゃないかという期待を胸にパソコンと向かい合っています。
今回のトーゴ行き、最大の収穫は、トーゴを好きになれたこと。
同 じ場所、同じこと、同じ人でも、前回とは受ける印象が全然違ってすごくびっくりした。結果として、前回も今回も、トーゴにいるとわけがわからなくて謎が深 まるばかり、という点では同じ。違うのは、前回はそのわけのわからなさがそのままつらさになっていたのに対して、今回はそれがクセになってまた来たくなる んだよねって思ったこと。
理由はよくわからないけど・・・前回に比べて短期間で表面的な関わり方しかしていないからかもしれない。あるいは逆に、前回はNGOとか開発とかいう一側面からの見方が強かったのに対して、今回はもう少し広い視点でトーゴを見ることができたからかもしれない。
とにかく、自分の中のイメージとして、トーゴに対してポジティブな気持ちを抱くことができたのは、とってもとっても嬉しいことです。どのぐらい嬉しいかというと、長年の片思いの末に告白した相手がOKしてくれた時ぐらい。やったーーーーって叫びながら両手を挙げて町内を全力疾走したいぐらい。
最大の収穫はそれで、その他は思いつくままに箇条書き。
・ガーナの首都アクラはオバマ一色だった。
・半年ぶりのトーゴは意外と変化していてびっくりした。いろんなところ工事してたり、タクシーの定員変わってたり。あとあんまりP-Squareが流れてなかった。
・語学ってやっぱり大事。トーゴではフラ語ができないとお話にならない。フラ語ができるのが大前提で、あとはEwé語(トーゴ南部の現地語)がどれぐらいできるか。Ewéわかんないと彼らの本音とか絶対わかりっこない。
・宗教人類学の研究をしているMさんに会った。知識にも経験にも圧倒された。この出会いは私の中でかなり大きくて、上にもちょっと書いたけど前までNGOだとか開発だとかそういう文脈でトーゴと向き合っていたのに対して、Mさんのお話を聞いてトーゴの見方の幅、つまりトーゴとの関わり方の可能性の幅が広がった気がする。
・スタツアのメンバー2人がマラリアで入院した。最終的にみんな無事でほんとよかった。
・前回のインターン先のCILSIDAはやっぱりすごい団体だわ。プロジェクトの企画書見せてもらって話したけど、細かいところまではっきりしてるし、できてないところも意味不明な言い訳とかしない。
・帰りの機内で見た映画The Proposalに胸キュン。どきどきしたい。
・トランジットのドバイは街の全てがフェイクな感じがしてものすごく不思議だった。街全体がディズニーシーみたいな。
・一夫多妻って今の日本では受け入れがたい制度だけど、彼ら(トーゴ人)の話聞いてたらそれはそれで一理あるような気にさせられた。自分の夫が他の女の人と結婚するとか絶対嫌だけど。
・アメリカのPeace CorpsのOBでトーゴを再訪してる人に会って、トーゴではpoliticsとsaving faceって大事だよね、という話をした。
次は写真。


あああ、早くもトーゴが恋しいです。次戻るのはいつだろう。
2日経つのに時差ぼけがなおらない。なおそうという努力をあんまりしてないからかな。今夜徹夜して明日の夜まで頑張って起きていられたらなおるんじゃないかという期待を胸にパソコンと向かい合っています。
今回のトーゴ行き、最大の収穫は、トーゴを好きになれたこと。
同 じ場所、同じこと、同じ人でも、前回とは受ける印象が全然違ってすごくびっくりした。結果として、前回も今回も、トーゴにいるとわけがわからなくて謎が深 まるばかり、という点では同じ。違うのは、前回はそのわけのわからなさがそのままつらさになっていたのに対して、今回はそれがクセになってまた来たくなる んだよねって思ったこと。
理由はよくわからないけど・・・前回に比べて短期間で表面的な関わり方しかしていないからかもしれない。あるいは逆に、前回はNGOとか開発とかいう一側面からの見方が強かったのに対して、今回はもう少し広い視点でトーゴを見ることができたからかもしれない。
とにかく、自分の中のイメージとして、トーゴに対してポジティブな気持ちを抱くことができたのは、とってもとっても嬉しいことです。どのぐらい嬉しいかというと、長年の片思いの末に告白した相手がOKしてくれた時ぐらい。やったーーーーって叫びながら両手を挙げて町内を全力疾走したいぐらい。
最大の収穫はそれで、その他は思いつくままに箇条書き。
・ガーナの首都アクラはオバマ一色だった。
・半年ぶりのトーゴは意外と変化していてびっくりした。いろんなところ工事してたり、タクシーの定員変わってたり。あとあんまりP-Squareが流れてなかった。
・語学ってやっぱり大事。トーゴではフラ語ができないとお話にならない。フラ語ができるのが大前提で、あとはEwé語(トーゴ南部の現地語)がどれぐらいできるか。Ewéわかんないと彼らの本音とか絶対わかりっこない。
・宗教人類学の研究をしているMさんに会った。知識にも経験にも圧倒された。この出会いは私の中でかなり大きくて、上にもちょっと書いたけど前までNGOだとか開発だとかそういう文脈でトーゴと向き合っていたのに対して、Mさんのお話を聞いてトーゴの見方の幅、つまりトーゴとの関わり方の可能性の幅が広がった気がする。
・スタツアのメンバー2人がマラリアで入院した。最終的にみんな無事でほんとよかった。
・前回のインターン先のCILSIDAはやっぱりすごい団体だわ。プロジェクトの企画書見せてもらって話したけど、細かいところまではっきりしてるし、できてないところも意味不明な言い訳とかしない。
・帰りの機内で見た映画The Proposalに胸キュン。どきどきしたい。
・トランジットのドバイは街の全てがフェイクな感じがしてものすごく不思議だった。街全体がディズニーシーみたいな。
・一夫多妻って今の日本では受け入れがたい制度だけど、彼ら(トーゴ人)の話聞いてたらそれはそれで一理あるような気にさせられた。自分の夫が他の女の人と結婚するとか絶対嫌だけど。
・アメリカのPeace CorpsのOBでトーゴを再訪してる人に会って、トーゴではpoliticsとsaving faceって大事だよね、という話をした。
次は写真。
トーゴの道はこんなのが多い。
農村のプロジェクトで学校を建てているところ。
彼らは黒板の土台を作っています。
彼らは黒板の土台を作っています。
あああ、早くもトーゴが恋しいです。次戻るのはいつだろう。
Sunday, August 30, 2009
retour au togo
また戻るなんて、よっぽど好きなんだね~
といろんな人に言われますが、そんなつもりは全然ありませんでした。
ある日YouTubeでトーゴの曲を聞いていたら突然何かが私に憑依して、正気に戻った時にはチケットも何もかも手配されてて後には引けない状態になっていました。ひょっとしたら、今学期ユングについての授業を取っていた影響かもしれません。
まあ、半分冗談で半分本気などうでもいい話はさておき。
あれよあれよという間に今日30日が出発です。
夏休みの中でいちばん予定が少なくなりそうなところを狙って立てたスケジュールなのに、なぜか出発直前に怒涛のように予定が入っててんやわんやでレポートもそっちのけという、結局いつものお決まりのパターンになってしまいました。でも今回は出発の24時間以上前に荷造りの90%を終わらせたから大進歩。
今回は、YDP Togoが運営している農村ワークキャンプに計9人で参加してきます。
・・・というのが目的の半分ぐらいで、残りの半分は前回の時の友達に会いに行くっていう。仲の良かった友達が婚約・妊娠したらしいし。最近わたしの周りはドン引きするぐらいグローバルで結婚ラッシュです。みんな結婚しすぎ。ご祝儀貧乏万歳。
というわけで行ってきます。帰りは9月20日です。
何かあればgmailに英語かローマ字でメールしてください。あんまりメール見られないと思うけど。
Ciao
といろんな人に言われますが、そんなつもりは全然ありませんでした。
ある日YouTubeでトーゴの曲を聞いていたら突然何かが私に憑依して、正気に戻った時にはチケットも何もかも手配されてて後には引けない状態になっていました。ひょっとしたら、今学期ユングについての授業を取っていた影響かもしれません。
まあ、半分冗談で半分本気などうでもいい話はさておき。
あれよあれよという間に今日30日が出発です。
夏休みの中でいちばん予定が少なくなりそうなところを狙って立てたスケジュールなのに、なぜか出発直前に怒涛のように予定が入っててんやわんやでレポートもそっちのけという、結局いつものお決まりのパターンになってしまいました。でも今回は出発の24時間以上前に荷造りの90%を終わらせたから大進歩。
今回は、YDP Togoが運営している農村ワークキャンプに計9人で参加してきます。
・・・というのが目的の半分ぐらいで、残りの半分は前回の時の友達に会いに行くっていう。仲の良かった友達が婚約・妊娠したらしいし。最近わたしの周りはドン引きするぐらいグローバルで結婚ラッシュです。みんな結婚しすぎ。ご祝儀貧乏万歳。
というわけで行ってきます。帰りは9月20日です。
何かあればgmailに英語かローマ字でメールしてください。あんまりメール見られないと思うけど。
Ciao
Monday, June 8, 2009
価値
相対化の自己増殖から抜け出せそうにない身としては、「価値」なんて言葉を使うのにはちょっと抵抗がなくもないのですが。まあ今夜は(今夜「も」?)妥協します。
今日、トーゴでの研修先のCILSIDAから、メールが届きました。
2008年度の活動報告書の英訳版が添付されて。
そもそもなんで仏語のドキュメントを英訳する必要があるかと言うと、より多くの(つまり、仏語圏以外の)潜在的ドナーにリーチアウトするため。
プ ロジェクトを回すには、資金が必要。そして、資金源の大部分を占めるのは先進国のドナー(ちなみにCILSIDAは2008年度は、UNICEFと Fondation de Franceという2団体からかなりの額をもらっていました)だから、より多くの潜在的ドナーに接触することは、より多くの活動資金を得、活動の可能性の 範囲を広げることにつながります。
(そうやってNGOを隠れ蓑にして得たお金を私利私欲のために遣う人が、わたしがひとつめの研修先JADIなどで実際に見たように、また伊勢﨑賢治が書いているように、ものすごく多いのも事実ですが。。。)
CILSIDAの人たちは、というか一般的にトーゴ人は一部のインテリ層という例外を除いてみんな英語があまりできないから、仏語のドキュメントの英訳は、わたしがトーゴにいる間はわたしの仕事でした(わたしだってそんなに英語が完璧なわけじゃないけど)。
でも、じゃあ、わたしがいなくなった後はどうする?
彼らに書類が書けるレベルの英語力を身につけさせるというのは、わたしがCILSIDAにいた2ヶ月半では到底無理なこと。
そこで考えたのが、アメリカの大学に行っている友達がサークル活動みたいなのでやっている、無料翻訳サービスを紹介することでした。
わたしがトーゴを離れた直後に彼らが連絡を取り合っていたのは知っていたけれど、その後はあまり連絡が来なかったから、最近は立ち消えになっちゃったのかもしれないなあ、なんてぼんやり思っていました。
そんな中に来たのが今日のメール。
ちゃんと、今も続いてるんだということがわかって、ちょっと嬉しかった。
半年間(CILSIDAは2ヶ月半)という期間の中で、わたしにできることは本当に限られていました。というか、こんな短期間で「成果」を求めることは、逆にたぶんあまり彼らのためにならないんじゃないかな、という気がしていました。
そんな中で、わたしがトーゴでの研修中に常に念頭に置こうと思っていたこと:
・わたしにしかできないことをする(彼らにできる仕事を横取りしない)
・わたしがいなくなっても続くことをする(一発打ち上げイベントはしない)
CILSIDAではこの二点にあてはまるものもあてはまらないものもいろいろやったけれど、上の翻訳の話と似たようなことがもうひとつあって、それはトーゴにいる日本のNGOにCILSIDAを紹介したこと。
そ のNGOとCILSIDAは今でもつながりがあって、というかわたしが去った後さらに仲良くなったみたいで、CILSIDAはそのNGOから定期的に孤児 たちのための文房具や古着をもらっています。(そもそもこういう「援助」の仕方ってどうなの、という疑問は残りつつも・・・)
わたしが CILSIDAでやったことって全然大したものではなかったけれど、こうやって今もあの時がきっかけで何かが続いてるって思うと、あの研修では、わたしが たくさんのことを学ばせてもらっただけではなくて、彼らの為にもささやかな価値を出せたのかなあ、と思ったりした日曜日でした。
あとは、翻訳やってたりトーゴでNGOやってたりする人との、奇跡のような幸運な出会いに感謝。人とのつながりって、本当にすごい。
今日、トーゴでの研修先のCILSIDAから、メールが届きました。
2008年度の活動報告書の英訳版が添付されて。
そもそもなんで仏語のドキュメントを英訳する必要があるかと言うと、より多くの(つまり、仏語圏以外の)潜在的ドナーにリーチアウトするため。
プ ロジェクトを回すには、資金が必要。そして、資金源の大部分を占めるのは先進国のドナー(ちなみにCILSIDAは2008年度は、UNICEFと Fondation de Franceという2団体からかなりの額をもらっていました)だから、より多くの潜在的ドナーに接触することは、より多くの活動資金を得、活動の可能性の 範囲を広げることにつながります。
(そうやってNGOを隠れ蓑にして得たお金を私利私欲のために遣う人が、わたしがひとつめの研修先JADIなどで実際に見たように、また伊勢﨑賢治が書いているように、ものすごく多いのも事実ですが。。。)
CILSIDAの人たちは、というか一般的にトーゴ人は一部のインテリ層という例外を除いてみんな英語があまりできないから、仏語のドキュメントの英訳は、わたしがトーゴにいる間はわたしの仕事でした(わたしだってそんなに英語が完璧なわけじゃないけど)。
でも、じゃあ、わたしがいなくなった後はどうする?
彼らに書類が書けるレベルの英語力を身につけさせるというのは、わたしがCILSIDAにいた2ヶ月半では到底無理なこと。
そこで考えたのが、アメリカの大学に行っている友達がサークル活動みたいなのでやっている、無料翻訳サービスを紹介することでした。
わたしがトーゴを離れた直後に彼らが連絡を取り合っていたのは知っていたけれど、その後はあまり連絡が来なかったから、最近は立ち消えになっちゃったのかもしれないなあ、なんてぼんやり思っていました。
そんな中に来たのが今日のメール。
ちゃんと、今も続いてるんだということがわかって、ちょっと嬉しかった。
半年間(CILSIDAは2ヶ月半)という期間の中で、わたしにできることは本当に限られていました。というか、こんな短期間で「成果」を求めることは、逆にたぶんあまり彼らのためにならないんじゃないかな、という気がしていました。
そんな中で、わたしがトーゴでの研修中に常に念頭に置こうと思っていたこと:
・わたしにしかできないことをする(彼らにできる仕事を横取りしない)
・わたしがいなくなっても続くことをする(一発打ち上げイベントはしない)
CILSIDAではこの二点にあてはまるものもあてはまらないものもいろいろやったけれど、上の翻訳の話と似たようなことがもうひとつあって、それはトーゴにいる日本のNGOにCILSIDAを紹介したこと。
そ のNGOとCILSIDAは今でもつながりがあって、というかわたしが去った後さらに仲良くなったみたいで、CILSIDAはそのNGOから定期的に孤児 たちのための文房具や古着をもらっています。(そもそもこういう「援助」の仕方ってどうなの、という疑問は残りつつも・・・)
わたしが CILSIDAでやったことって全然大したものではなかったけれど、こうやって今もあの時がきっかけで何かが続いてるって思うと、あの研修では、わたしが たくさんのことを学ばせてもらっただけではなくて、彼らの為にもささやかな価値を出せたのかなあ、と思ったりした日曜日でした。
あとは、翻訳やってたりトーゴでNGOやってたりする人との、奇跡のような幸運な出会いに感謝。人とのつながりって、本当にすごい。
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