Monday, December 12, 2011

働き始めました

っていうには遅すぎだよねどう考えても。

しばらく言葉を失っていました。

今年の4月から働いています。社員12人のちっさな会社です(今まで15人て言ってたけど、ちゃんと数えてみたら正社員は12人だった)。

就活してた時は、ビジネスとか資本主義とかいう世界で積極的に生きることにどうしても納得できなくて(これは今でもまあそうなんだけど)、卒論提出した後も進路決まってなくて、でも「働かざるもの喰うべからず」(=就職しないなら死ね)と言われたことに全存在を押しつぶされそうになって、それはその通りってわかってるんだけど、でもひょっとしたら他にも生きていくことが許される道ってもしかしてあるのかもしれないっていうその可能性を、一縷の望みを捨てきれなくて、、、っていう堂々巡りのどうしようもなさを理解してもらえない圧倒的な孤独に苛まれて、いま考えるとつらかったなあ。存在の全否定の中で、生きるという選択も死ぬという選択もできない、主体的な選択をできない結果としてただ存在していただけのあの頃は、たしかにつらかった。

結局どっちつかずなかんじで働きたくないなーと思いながら「働かざるもの喰うべからず」という圧力のみによって細々と就活を続けていたわけだけど。どの会社も全く行きたいと思えなかったから、結局選考とか面接とかぶっちしまくって、どこも決まらないまま卒論も提出しちゃって、さてどうしよう。ってなってた。

今の会社は、そんな後ろ向きすぎる就活の中で唯一、本当に心から行きたいと思えた会社。
内定をもらったのは卒業の1か月前。卒論撤回期限がその時期で、無理言ってその時までに内定出してもらった。滑りこみ卒業。ふー。

卒業はただただ寂しくて悲しかった。それだけ。

初出社日の前日、寝る前、大学時代の思い出がわーーーーーーーってよみがえってきて、泣いた。たくさん泣いた。すごくたくさん泣いた。悲しかった。もう二度と戻れない、取り戻せない、大切な大切なものが決定的に失われた実感が、痛くて痛くて、たくさん泣いた。

働き出してみてからは、楽だった。
自分でお金を稼いでいる限り、自分の物理的な生存を誰かに依存することはないから。
わたしの存在を、自分からも、他人からも、否定されることはないから。

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