ショーン・ペン監督、2007年
旅に出て間もない頃の日記で、わたしはこう書いた。
2008年5月6日
な んか。何も残さずにただひっそりと死んでいくのもいいかな、とか生まれて初めて思ったりしている。今まであまりにも多くのものにしばられすぎていたかもし れない。本当に、絶対に、譲れないものってなんだろう? 失ってしまえば、それはそれで生きていけるものなんだから。もっと多くのものを、自分から手放せ るようになれたらいいだろう。
2008年5月20日
できるだけ目立たぬよう、小さくなって小さくなって、森の中や山の中でひっそりと生きて死んでいくのもいいかもしれないな、と思ってしまう。
***
彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
でも、結局抜け出せなかった。もっと正確に言うと、抜け出してはみたけれど、抜け出すことで同時に失うものに、打ち克つことができなかった。
完全なんてありえない。完全なんて幻想でしかない。
それなのに人間はその幻想に酔いしれ、それを求める。
99%の幸せと、1%の不幸を見比べて、自分は不幸だと言う。
彼は完全な自由を追い求めた。
でも、本を捨てなかった。自分と他者とのつながりを断ち切れなくて。
「完全な自由」は、幻想だった。
"HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARED"
彼は生きようとしていた。
だけど、他者から自分が生きていることを認められなければ、もはや、「生」と「死」という区別さえ無意味なのだ。
だから彼は書き遺した。死ぬ前に自分の写真を撮った。自分の存在を他者に認めてもらいたくて。
***
"TO CALL EACH THING BY ITS RIGHT NAME"
なまえ。
他者とのつながりなんてなければ、名前なんていらない。
他者が自分の存在を認めていて、合意が存在していなければ、「正しい」名前なんてない。
***
彼は、「自由」を求めて、「真実」を求めて、「完全」を求めて、旅に出た。「社会」という茶番から抜け出すために。
お 金を稼ぐこと、お金を遣うこと、人間関係に翻弄されること、いい成績を取ること、出世すること、おしゃれすること、愛想笑いをすること、満員電車に揺られ ること、デッドラインに追われること、礼儀をわきまえること、空気を読むこと、言語を使うこと、何かを頑張ること、それらすべてが、茶番であっても、茶番 を生きる中でしか、他者と寄り添うことはできない。
茶番が真実なのではないかもしれない。でも、茶番の中でしか、触れることのできないものがある。
「にせもの」と「ほんもの」という二項対立は、現実の世界ではナンセンスだ。
そしてわたしたちが生きる世界は、「社会」という名の現実以外には、ない。
だから、それがいかに茶番であっても、他者と寄り添うために、そうすることでしか生きていけない自分のために、茶番を一生懸命演じていかなきゃいけない。
***
正直なところ、自分の旅と重ね合わせることがとても多かった。
だから、共感もものすごく多かったけど、どこか冷めた目で見ている自分もいた。
大泣き虫のわたしなのに、不思議と涙は出なかった。
自分の求めるもののために、突き進んでいく。
かっこいいかもしれない。
でも、そうすることで、多くの人の心の震えに、鈍感になってしまうことがある。
そして、自分が追い求めていたはずのもの、真実だと思っていたものを手に入れた時、それが「茶番」だったと気づく――。
Thursday, May 28, 2009
Sunday, May 24, 2009
*inentitlable
旅の間は、何もかも自己責任。自分ひとりで考え、決断しなければいけなかった。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。
どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。
日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。
「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。
表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。
でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。
しかしやっぱり!
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。
でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。
そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。
だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。
相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。
言い換えれば、自分のことだけを心配していればそれでよかった。
他人のことを思いやれなくても、「自分の身は自分で守るしかない」とかいう言葉で正当化された。
自分の心の温かで柔らかな部分が冷たく硬くなっていくのを、「強くなった」とかいう言葉で隠蔽した。
それが当たり前で、責める人は誰もいなかった。
自分も、それに気付いたという事実を顕在化させてしまうのが怖くて、いつもどこかで言い訳していた。
どの社会にも属さない、はみ出し者で、時にはそれが寂しくもあり、時には心地よくもあった。
日本に帰ってきて3か月以上経った今になって、急にまたリエントリーショックのようなものが、波のように、じわじわと押し寄せてきている。
「社会の一員」として生きていくという自分自身の生が、いかに自分以外の人々によって影響され、規定されているか。
いかに、他者への配慮が、暗黙のうちに、要求されているか。
そしておそらく、同じように、いかに、自分が、他者からの配慮を食いつぶすことで生かされているか。
つまり、どれほど多くの規範が、わたしたちの社会的な生を支配しているか。
表面的な「社会復帰」はとっくに終えたかもしれない。
満員電車にうきうきしなくなったし、日本米を目の前にして心ときめかすこともなくなったし、信号はいまだに守れないけど、レストランのおしぼりサービスにも驚かなくなったし、店頭の値札をいちいちトーゴの通貨に換算することもなくなった。
でも、たぶん、共存在(という言葉をここで使うことは安直すぎるかもしれないけど――)という存在の一根源的な局面を考えるとき、わたしにはまだ何かが欠損したままだ。
この1年で「失ってしまった」(という言葉で常識的には表現されうる)ものが、ようやくぼんやりと輪郭を顕わにし始めた、ような気がする。
しかしやっぱり!
旅に出る前も旅の間も帰ってきた今も、社会的な生というのが茶番以外の何物でもないように思われて仕方ない時がある。
でも、社会的な生が茶番であると考えることこそが茶番であるような気もして。
そして、こうして「茶番だ」だの何だのわめいてること自体が、茶番であるような気がして。
だいたい茶番という言葉を使う裏には、「茶番ではない」=「よい/正しい/本来的/本質的」などなどと称されるものの存在が想定されていて、それすらも確信が持てなくなったらどうしたらいいのですか、って話。
そしてきっと、一度こんなループが生じてしまったからには、誰がどんな解答を持ってこようとも、納得することは難しいだろう。
相対化が自己増殖していった先には、苦しみしかない、のかしらん。
否、苦しみを苦しみとすら言えない「苦しみ」――。
doodles
「おなじ」と「ちがう」のちがいがわからない。
自分の意図するところを他者に伝えるのって、むずかしい。
自虐は自己防衛手段に他ならない。
「いつか失うかもしれない不安」に慄くより、「今ここにある幸せ」に酔いしれよう。
その幸せが、当たり前なんじゃないって、感謝しながら、大切にしながら。
そしたら、きっと、もしも失う時が来ても、幸せだった時を振り返って温かくなれる気がするから。
自分の意図するところを他者に伝えるのって、むずかしい。
自虐は自己防衛手段に他ならない。
「いつか失うかもしれない不安」に慄くより、「今ここにある幸せ」に酔いしれよう。
その幸せが、当たり前なんじゃないって、感謝しながら、大切にしながら。
そしたら、きっと、もしも失う時が来ても、幸せだった時を振り返って温かくなれる気がするから。
Friday, May 22, 2009
リハビリ
頭がよく使えない。
1年間、ロゴスに寄り添うことを放棄して、「思うまま感じるまま」に過ごしていたら。
大学に戻れば、またすぐ元のように思考できるようになるだろう、と思っていた。
でも溶けてどろどろになっちゃった脳みそのリハビリは、思っていたよりも時間がかかるみたい。
ロゴスに頼らない(相対的な問題として)、っていうのは、それはそれで大きな収穫だったんだけど。
でも、ロゴスが支配する社会に戻ってきた今となっては、もどかしさと、ちょっとだけ、焦り。
トレーニングあるのみなのかしら。
1年間、ロゴスに寄り添うことを放棄して、「思うまま感じるまま」に過ごしていたら。
大学に戻れば、またすぐ元のように思考できるようになるだろう、と思っていた。
でも溶けてどろどろになっちゃった脳みそのリハビリは、思っていたよりも時間がかかるみたい。
ロゴスに頼らない(相対的な問題として)、っていうのは、それはそれで大きな収穫だったんだけど。
でも、ロゴスが支配する社会に戻ってきた今となっては、もどかしさと、ちょっとだけ、焦り。
トレーニングあるのみなのかしら。
Tuesday, May 19, 2009
境界線の消失
時々、自分の目の前にいる人が誰なのかがわからなくなる時がある。
それは、大抵の場合、自分に近しい人。例えば、母。妹。彼氏。
「誰なのかわからない」の意味は、それを「客体として見ることができない」、と言い換えてみると、ちょっとしっくりくる。
あまりにも自分に近すぎて、「わたし」と「○○」という距離感ではもう捉えられなくなる。
極端に言ってしまえば、自分と相手の区別がなくなる。とけてなくなる。
ことばによって区切られている世界が、ダリの絵を動画にしたみたいにぐにゃぐにゃになって、「枠」がなくなる。
それは言葉によって、対立という基本概念によって世界を捉えることに慣れてしまった頭にはあまりにも斬新すぎて理解の範疇を超えていて、違和感すらあるけれど、わたしがずっと追い求めている「他者との境界線の消失」というのは、これなんだと、頭で理解するのではなく、体感する瞬間。
それは、大抵の場合、自分に近しい人。例えば、母。妹。彼氏。
「誰なのかわからない」の意味は、それを「客体として見ることができない」、と言い換えてみると、ちょっとしっくりくる。
あまりにも自分に近すぎて、「わたし」と「○○」という距離感ではもう捉えられなくなる。
極端に言ってしまえば、自分と相手の区別がなくなる。とけてなくなる。
ことばによって区切られている世界が、ダリの絵を動画にしたみたいにぐにゃぐにゃになって、「枠」がなくなる。
それは言葉によって、対立という基本概念によって世界を捉えることに慣れてしまった頭にはあまりにも斬新すぎて理解の範疇を超えていて、違和感すらあるけれど、わたしがずっと追い求めている「他者との境界線の消失」というのは、これなんだと、頭で理解するのではなく、体感する瞬間。
Friday, May 15, 2009
スーツ
今日、ものすごく久しぶりに――帰国して初めてだから1年以上ぶりに――スーツを着た。
あんなに嫌で嫌でたまらなかった就活が、ちょっとだけ楽しみになった。
あんなに嫌で嫌でたまらなかった就活が、ちょっとだけ楽しみになった。
Friday, May 8, 2009
雨上がり
雨上がりってすてき。
それは、例えば冬の後にやってくる春にも似た、生命が歓びの叫びをあげるとき。
ただの晴れの日よりも、過ぎ去った雨を思うと一層喜ばしく、残った水滴の輝きに光る世界が一層美しい。
ひとの心が、いかに自然に支配されているか。
というこの言説が、非常に近代的であるのだけど。
人間と自然などという区別なんてなかった。あえて近代的な言い方をすれば、人間も自然の一部だった。
それは人間がどんなに哲学的変化を遂げようとも、その様変わりする世界観に合わせて「身体性」とかいろいろと「ラベル」を変えながらも、真実であり続ける、気がする。
真実がある、のだ、と、すれば。
情状性によって存在を語るのも、頷ける。
夜が明けて、太陽が雨上がりの世界を輝かせて、その世界に向かって「おはよう」と言う瞬間が、待ち遠しい。
それは、例えば冬の後にやってくる春にも似た、生命が歓びの叫びをあげるとき。
ただの晴れの日よりも、過ぎ去った雨を思うと一層喜ばしく、残った水滴の輝きに光る世界が一層美しい。
ひとの心が、いかに自然に支配されているか。
というこの言説が、非常に近代的であるのだけど。
人間と自然などという区別なんてなかった。あえて近代的な言い方をすれば、人間も自然の一部だった。
それは人間がどんなに哲学的変化を遂げようとも、その様変わりする世界観に合わせて「身体性」とかいろいろと「ラベル」を変えながらも、真実であり続ける、気がする。
真実がある、のだ、と、すれば。
情状性によって存在を語るのも、頷ける。
夜が明けて、太陽が雨上がりの世界を輝かせて、その世界に向かって「おはよう」と言う瞬間が、待ち遠しい。
Monday, May 4, 2009
死者の存在
夢で死者と会話したという話。
古今東西、死者が夢の中に現われて、夢を見ている本人に何かしらのメッセージを伝えたという話は珍しくない、気がする。
母も、兄を流産した時に、亡くなった姑(わたしの父方の祖母)が夢の中に現われて、彼女を励ましてくれたらしい。
それを自身で体験していない周囲の人の中は、おそらく、本人の脳の中で特殊な反応が起こったからだとか、意識あるいは無意識の産物だとか、あるいは中沢新一が『カイエ・ソバージュ』で書いていたような仕方で説明する人も多いだろう。
でも、それを体験した本人にとっては、まぎれもない「リアル」であるに違いない。
死者は本当にその人のところに現われたのだろうか?
つまり、死者の霊みたいなものって本当に存在するのだろうか?
それは、わたしにはわからない。
わたしにはそういう経験がないから、どちらかというと脳内現象みたいな前者の説明の方が抵抗なく受け入れられるけれど、でも、今後もしそういうとてつもなく衝撃的なリアルな体験をしたら、霊の存在を信じて疑わなくなる可能性だって十分にある。
とにかく今はわからない。
わからないけれど、でも少なくとも、この「死者が現われる」という事象には、人間がいつまで経っても克服することのできない「死」へのどうしようもない受容不可能性、みたいなものが表れている気がする。
「死」ということは「無」を意味する。
とすれば、「死者」の霊が「存在する」ということはそもそも語義矛盾を孕んでいる。
死者はもう跡形もなく消え去ったもののはずだから。
人間は、きっと、「無」に耐えられない。
だから、「この世」の命あるいは「肉体」が無くなっても、「いのち」そのものとか「魂」は存続するという言説を、いろんな形で生み出してきたんだと思う。
それは世界中の文明を見てもそうだし(祖先祭祀や、霊の存在、永遠の命への信仰などなど)、もっと身近なところでは、死にゆく人が「わたしのこと忘れないでね」と言うことだって、ある意味での自己保存の欲求、無への抵抗と言えると思う。
***
ただ、「死」は「無」であるというのは、もしかしたらそれほど自明のことではないかもしれない。
それが顕著に表れるのは、死体を前にした時。
目の前に横たわっているこの人は死んでいる、でも、ここに存在している。
この体はもはや単なるモノに過ぎないのか、それともそれ以上の何かなのか。
そもそも「なくなる」ってどういうことなのか?
もしかしたら、生と死の境目は、思うよりももっとグラデーション的で曖昧なものなのかもしれない。
***
生き残った者が死に意味づけを与えることは容易い。
いろんな意味づけのための言説に対して、死者に敬意を払っているとか、死者を冒涜しているだとか、そういった意味づけの意味づけをすることも容易い。
だけど、それは、決して死者のための意味づけなんかではない。
遺された者たちが、喪失の痛みや死への恐怖を隠蔽するために作りだした言説にすぎない。
のではないかしら。
だって、どんな意味づけを与えてみたところで、その対象の「死者」はいないんだもの。
アリエスは死への対峙の仕方をいろいろに分類したけれど、それでもやっぱりいつの時代も、根源的な死への恐怖や圧倒的な無力感は拭えていないのだと思う。
帰納的に理解された生においては、生と死は表裏一体で、どちらももう一方のraison d'êtreみたいな部分がある。
でもそれは一方向的で、一度死んでしまったら後戻りはできない。
だから、死を語ることはちょっと変な営為だ。
誰も自分の死を体験することはできない。他人の死を通してなんとなく死を疑似体験した気になったり、死をどう解釈しようかと悶々とすることしかできない。
わたしは「体験していないことは実感を持って語れない」と常々思うのだけれど、じゃあ、この死に対するわたしのポストだって、きっとどこか浮ついた、リアルさの欠けたものに過ぎないに違いない。
でも、やっぱりそういう形でしか、死への言説は成り立ちえない。
他者の死を自身の生に照らし、生を考えることしか、死への言説は成り立ちえない。
古今東西、死者が夢の中に現われて、夢を見ている本人に何かしらのメッセージを伝えたという話は珍しくない、気がする。
母も、兄を流産した時に、亡くなった姑(わたしの父方の祖母)が夢の中に現われて、彼女を励ましてくれたらしい。
それを自身で体験していない周囲の人の中は、おそらく、本人の脳の中で特殊な反応が起こったからだとか、意識あるいは無意識の産物だとか、あるいは中沢新一が『カイエ・ソバージュ』で書いていたような仕方で説明する人も多いだろう。
でも、それを体験した本人にとっては、まぎれもない「リアル」であるに違いない。
死者は本当にその人のところに現われたのだろうか?
つまり、死者の霊みたいなものって本当に存在するのだろうか?
それは、わたしにはわからない。
わたしにはそういう経験がないから、どちらかというと脳内現象みたいな前者の説明の方が抵抗なく受け入れられるけれど、でも、今後もしそういうとてつもなく衝撃的なリアルな体験をしたら、霊の存在を信じて疑わなくなる可能性だって十分にある。
とにかく今はわからない。
わからないけれど、でも少なくとも、この「死者が現われる」という事象には、人間がいつまで経っても克服することのできない「死」へのどうしようもない受容不可能性、みたいなものが表れている気がする。
「死」ということは「無」を意味する。
とすれば、「死者」の霊が「存在する」ということはそもそも語義矛盾を孕んでいる。
死者はもう跡形もなく消え去ったもののはずだから。
人間は、きっと、「無」に耐えられない。
だから、「この世」の命あるいは「肉体」が無くなっても、「いのち」そのものとか「魂」は存続するという言説を、いろんな形で生み出してきたんだと思う。
それは世界中の文明を見てもそうだし(祖先祭祀や、霊の存在、永遠の命への信仰などなど)、もっと身近なところでは、死にゆく人が「わたしのこと忘れないでね」と言うことだって、ある意味での自己保存の欲求、無への抵抗と言えると思う。
***
ただ、「死」は「無」であるというのは、もしかしたらそれほど自明のことではないかもしれない。
それが顕著に表れるのは、死体を前にした時。
目の前に横たわっているこの人は死んでいる、でも、ここに存在している。
この体はもはや単なるモノに過ぎないのか、それともそれ以上の何かなのか。
そもそも「なくなる」ってどういうことなのか?
もしかしたら、生と死の境目は、思うよりももっとグラデーション的で曖昧なものなのかもしれない。
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生き残った者が死に意味づけを与えることは容易い。
いろんな意味づけのための言説に対して、死者に敬意を払っているとか、死者を冒涜しているだとか、そういった意味づけの意味づけをすることも容易い。
だけど、それは、決して死者のための意味づけなんかではない。
遺された者たちが、喪失の痛みや死への恐怖を隠蔽するために作りだした言説にすぎない。
のではないかしら。
だって、どんな意味づけを与えてみたところで、その対象の「死者」はいないんだもの。
アリエスは死への対峙の仕方をいろいろに分類したけれど、それでもやっぱりいつの時代も、根源的な死への恐怖や圧倒的な無力感は拭えていないのだと思う。
帰納的に理解された生においては、生と死は表裏一体で、どちらももう一方のraison d'êtreみたいな部分がある。
でもそれは一方向的で、一度死んでしまったら後戻りはできない。
だから、死を語ることはちょっと変な営為だ。
誰も自分の死を体験することはできない。他人の死を通してなんとなく死を疑似体験した気になったり、死をどう解釈しようかと悶々とすることしかできない。
わたしは「体験していないことは実感を持って語れない」と常々思うのだけれど、じゃあ、この死に対するわたしのポストだって、きっとどこか浮ついた、リアルさの欠けたものに過ぎないに違いない。
でも、やっぱりそういう形でしか、死への言説は成り立ちえない。
他者の死を自身の生に照らし、生を考えることしか、死への言説は成り立ちえない。
春
春は1年でいちばん好きな季節。
存在の歓びと希望に満ち溢れる季節。
春があるから、他の季節を行き忍んでいけると言ってもいいくらい。
そして4月から始まった新学期、新生活。
平和に幸福に過ぎていく日々を噛みしめながら、
大切な人のことを想いながら、
笑顔を絶やさずに生きていこう。
存在の歓びと希望に満ち溢れる季節。
春があるから、他の季節を行き忍んでいけると言ってもいいくらい。
そして4月から始まった新学期、新生活。
平和に幸福に過ぎていく日々を噛みしめながら、
大切な人のことを想いながら、
笑顔を絶やさずに生きていこう。
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