Thursday, January 28, 2010

あまりにも残酷な

ただ生きているというだけで、意図せずとも、誰かを傷つけてしまう。

そんなにも、残酷さを背負った存在なのに。

それなのに、それには飽き足らずに、故意に人を傷つける。

欲望や欲求にかられた刹那に、いとも簡単に相手の心を踏みにじる。


なんという、あまりにも残酷な --


そんな自己嫌悪は、自分で自分につけた傷を舐めることはできても、他の誰かの傷を癒すことはできない。


"He that is without sin among you, let him first cast a stone at her." --John 8:7


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原罪」--surrender 2008.02.28


人間は、その本質において不完全であるが故にその存在自体が罪である。

――というのが最近わたしが辿り着いた実感としての「原罪」"the original sin"です。

つまりどういうことかを端的にいうと、人間は全知全能にはなりえない。知らないが故に人を傷つけてしまうことってあると思うのです。

たとえば、苦しみというのは当事者にとっては個別的である。でも、それが第三者にとってみれば一般化されたものにすぎない。
たとえば、「お母さんのいない人」とか、「事故に遭った人」とか。母親がいないということによって起こるさまざまなこと(both good and bad)は、その本人にとってはその本人だけに分かり得るものであって。それを「だから~~な人は・・・」と言って一般化してしまうことで、本人の苦しみへの理解の道は発言者の意図せざるところで閉ざされてしまう。それは時に本人にとっては突き放されたような孤独感を与える。
つまり、意図していなくても気づかないうちに人を傷つけていることがある。これが端的に言う、「知らないが故の罪」だと思うのです。

で、だからといってすべてを知るということが可能かと言うと、人間は時空という制約の中で生きている以上不可能なわけで。だから「すべてを知りえない」ということは、人間が本質的に持つ罪、すなわち原罪だと思うのです。


ところで、言わずもがなだけど、その認識の前提には「神」の存在がある。
なぜなら、完全なる者(=神)との比較においてでなければ、不完全という属性は出て来得ない。

説明というのは必ず他との比較の中でしか成り立たないのではないか。
「人間」という抽象的な概念を説明する時に、ありのままを言葉で描写することなどできない。それは言葉というものの、差異を作り出すという性質による。

--

(ちなみに、大変お恥ずかしいことに、知り合いのカトリック神学生にこの話をしたら、これは「原罪」とは言わないそうです。原罪じゃなくて、なんとかっていう用語がちゃんとあるそうなんだけど、忘れちゃった。そしてこういう議論は神学の中でいろいろとされ尽くしているらしい。。それに読み返してみるとちょっと論理的に弱い点もある気がしますね。でもこれは今日の本題じゃないからまあいいや。ちなみに私はクリスチャンではないですよ、念のため)


Thursday, January 21, 2010

ちょw

「『労働新聞』の国際欄は、世界の人々がいかに金日成や金正日の思想に共鳴しているのか、といった記事が中心に掲載される。
たとえば8月14日付の国際面トップでは『絶世の偉人に対する絶え間ない魅惑と敬慕』というタイトルで、トーゴの故エヤデマ大統領がいかに故金日成主席を尊敬していたかについて書かれた。
記事によると、金日成の偉大さにあまりに感激したエヤデマは彼を師匠として仰ぎ、トーゴで国家的行事が行われるたびに『金日成将軍の歌』を流したという。」
――「北朝鮮がみえてくる なるほど、労働新聞」クーリエ・ジャポン2009年10月号107ページ

ちょwww
エヤデマwwww

この記事の内容が本当だとしたら(本当かどうかは要確認)、、
つい最近まで独裁者として世界最長記録保持者だっただけあると妙に感心せざるを得ないw
これじゃ日本から援助切られても仕方ないよね。。

2月末に迫る次の大統領選挙はどうなるのだろうか。知り合いのトーゴ関係者に聞くと、だいたいが現大統領(エヤデマの息子)が勝つとの見通しみたい。前回みたいに大規模な暴動が起きないといいけど。。

トーゴ人の友達が言っていた言葉、
「大統領が誰になろうとどうでもいい。ただ、国民皆がちゃんと暮らしていければそれでいい。」
というのが印象的。

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「アフリカの人たちが持続的な発展を享受するには何が必要なのでしょうか。(中略)
教育、教育、また教育です。最低限の教育すら受けていない人は、抽象的な思考ができないので、簡単なコミュニケーションを取ることすらままなりません。アフリカの建設現場にはインドや中国からの作業員がたくさんいますが、すぐそばに仕事にあぶれているアフリカ人がたくさんいます。教育をまったく受けていない人は単純労働にすら従事できないのです。」
By 勝間和代 ――「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」クーリエ・ジャポン2009年10月号43ページ

ちょwww
カツマさんwwww

・勝間さんは「最低限の教育すら受けていない人」つまり旧宗主国の言語(英語やフランス語など)を話さないであろう人々と現地語で会話した上でこのような判断を下したのか
・そもそも学校教育という概念や制度がなく「最低限の教育すら受けていない人」しかいなかったはずのかつてのアフリカでは、「抽象的な思考ができない」ために「簡単なコミュニケーションを取ることすらままならな」かったり「単純労働にすら従事できない」中で、どうやって社会生活を成立させていたのか
・「仕事にあぶれているアフリカ人」が「単純労働にすら従事できない」のは、本当に「教育をまったく受けていない」せいなのか

わたしだってそんなにアフリカのこと知ってるわけじゃないけど、「抽象的思考ができない」はひどすぎでしょう。。これだけ社会に影響力のある人がこんなことを言ってしまうのは、由々しき事態だと思うのだけど。。

ただ、反論(?)としては、「最低限の教育」が、学校教育以前の、ことば(現地語)をしゃべるとか家の手伝いをするとかそういう基本的な社会生活能力を身につける/させることを意味しているという可能性が考えられる。勝間さんが二度訪れたというスーダンはそれがままならないほどひどいとこということを言いたいのかもしれない。
でも、もしそうだとしたらそれは紛争でコミュニティが崩壊したために、本来コミュニティの中で育てば普通に身につくはずの能力が身につかなかった話であって(本当に崩壊したのかどうか詳しくは知らないけど)、恒常的な貧困とは別にするべきじゃないのか。それに、スーダンで見た例を「アフリカ」と括って語るべきじゃないと思う(「アフリカ」と括ってしまうのは、自戒も込めて、だけど)。

あと、この記事のタイトル「なぜ、"遠いアフリカ"に援助をする必要があるのか?」に対しても、Dambisa Moyoの"Dead Aid"という本を読んでいたりすると、まず問うべきはそもそも援助をする必要があるのか、ということなのではないかと思ってしまう。けど詳しくはこの本を読み終えてから書くことにする。だけどとにかくこの本は痛快!

援助をめぐって何かしらひっかかることがある時、文化人類学的な「彼ら」との関わり方ってすごく意義があるんじゃないかと思ったりする。援助も文化人類学も、どっちもほんのちょっぴりかじっただけだけど。
文化人類学だってあくまでも「自分」は「彼ら」の解釈者であって、決して「自分」と「彼ら」が対等になれたり「自分」が「彼ら」の声の代弁者になれるわけではないけれど、(歴史上どうだったかは別として少なくとも今は)「彼ら」との境界線ぎりぎりに立つぐらいまでは「彼ら」の側に踏み込んで行けるんじゃないかって気がちょっぴりする(そうなった時こそ、逆に境界線の存在に意識的になることを忘れてはいけないんだろうけど)。
・・・というかすかな希望に縋りつくように文化人類学の勉強を始めてみた今日この頃。

Monday, January 18, 2010

Senegal's Haitian Repatriation

これってどういうことなんですか? 詳しい人いたら教えてください!


Senegal's president says he will offer free land and "repatriation" to people affected by the earthquake in Haiti.
President Abdoulaye Wade said Haitians were sons and daughters of Africa since Haiti was founded by slaves, including some thought to be from Senegal.
"The president is offering voluntary repatriation to any Haitian that wants to return to their origin," said Mr Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye.
Tuesday's earthquake killed tens of thousands and left many more homeless.
Buildings have been reduced to rubble, the distribution of aid is slow, and people have been flooding out of the devastated capital, Port-au-Prince.
"Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come," Mr Bemba Ndiaye said.
"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."
The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts, the Associated Press news agency reported.


The January 12, 2010 earthquake that struck Haiti measured 7.0 on the Richter scale. The presidential palace, Ministry of Justice, and UN mission headquarters were destroyed along with much of the capital city, Port-au-Prince. Deaths are expected to rise over 200,000, with many more injured. Nearly 300,000 people in Port-au-Prince are considered homeless, one-sixth of the city's population. On January 16, 2010 President Abdoulaye Wade of the West African nation of Senegal offered a unique form of humanitarian aid to Haiti: repatriation for any Haitian who wishes to relocate and emigrate to Senegal.

Abdoulaye Wade Offers Haitians Repatriation

President Abdoulaye Wade of Senegal is offering repatriation to any Haitian who emigrates, as reported by BBC News, claiming that all Haitians are descended from slaves and some may have Sengalese roots. His offer comes at a critical time for Haiti, less than one week after the earthquake demolished the capital, destroyed most hospitals, and as water and food shortages threaten to provoke riots and anarchy.

According to President Wade's spokesman, Mamadou Bemba Ndiaye, "Senegal is ready to offer them parcels of land - even an entire region. It all depends on how many Haitians come."

"If it's just a few individuals, then we will likely offer them housing or small pieces of land. If they come en masse we are ready to give them a region."

Haiti Earthquake and Homelessness

With more than 300,000 without homes in Port-au-Prince alone, Haiti's 9 million people face an enormous challenge to rebuild, given the loss of government structures, death of political and civil officials, and the humanitarian crisis in providing simple needs such as food, water, and medical care.

Why Senegal?

Senegal is one of the most stable countries in West Africa. Used as an outpost during the Atlantic slave trade from the 16th through the 19th centuries, Senegal is home to Gorée, an island used in the Atlantic Slave Trade and which is currently a UNESCO World Heritage site.

President Wade has expressly connected his offer to Haiti's slave origins, noting in an interview with French radio reported by the Irish Times that "“[The Haitians’ enslaved ancestors] did not choose to go to that island . . . It is our duty to recognise their right to come back to the land of their ancestors . . . Now the problem is to know how, and who will bear the cost.”

Many Haitians have left Haiti for the Dominican Republic, which shares the island of Hispanola with Haiti, but the Dominican Republic cannot absorb all Haitian refugees.

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他のアフリカの国々の中には資金や人員を提供する国もあった(Haiti: Africa Lends a Hand - News from Africa)ようで、それはもちろん素晴らしいことではあるのだけれど「そんなことして自分の国は大丈夫なの?」とちょっぴり思ってしまったのも正直なところ。お金の出所も気になるし。
そんな中で、他の国々にいい意味で追従せずに、「自分たちにできること」かつ「必要とされている(と思われる)こと」(かつ「他の国がちょっと躊躇してしまいそうなこと」?)を地震発生後間もないこのタイミングで提案したセネガルは、感動的ですらある英断をしたと思う。

でも、なぜあえて "repatriation" という表現を使ったのか。それが気になる。

ただ単に同胞意識を示すためだったのかもしれない。けど、それだけの理由で、一筋縄ではいかない歴史を持つ奴隷貿易の話を出すのは、果たして賢明と言えるんだろうか。
奴隷貿易は西洋人の一方的な搾取ではなくて、アフリカ人の中で権力や武力のある者自ら、他部族の人などを狩って売っていた、というのはわりと有名な話だと思います。だから、西アフリカの多民族国家における政治の世界では、奴隷貿易の話は今でもとてもsensitiveでなかなか触れられない話題だという事情を聞いたことがあります。

もしそれが(セネガルにおいても)本当だとするなら。
セネガルへの移住は、ハイチの人たちが目下の窮状から逃れるにはとてもいい提案だと思う。けど、ゆくゆくハイチの人々がセネガルにintegrateされるとなった時に、repatriationという文脈から奴隷貿易の問題が出てきてしまったらちょっと厄介なんじゃないか。

ただでさえ、土地や雇用を奪われたといってセネガルの人々がハイチから来た人々に反感を持つことも考えられるのに(しかも "The spokesman emphasised that if a region was given, it would be in a fertile part of the country rather than in its parched deserts." ならなおさら)。
(これは、こないだ行われていたUNICEFの「気候変動と子どもたち」という写真展にて、ブルキナファソで、砂漠化が進む北部から肥沃な南部に移民が増えて、もともと南部にいた人たちが土地や仕事を取られたといって不満を言っていて、比較的政情の安定しているブルキナに紛争の火種が!?みたいな話を聞いたのを思い出してふと考えました。)

ただ、そんなに大規模な移民じゃなかったら問題にはならないのかもしれないけど。
でもやっぱり、問題になるかもしれないリスクをわざわざおかす意図がつかめない。

というか、いかんせんわたしのセネガルなどなどに関する知識が足りなさすぎて、こんな疑問はわいてきたけど実際のところどうなのかよくわかりません。もっと勉強しなくちゃ。。
もし心優しい方がいたら、ぜひこのニュースの意味するところ(?)について教えてください、お願いします!

Friday, January 15, 2010

違和感

ハイチのことを考えていました。

今日は、ネットでハイチに関するニュースや援助情報を見て、ぼーっとハイチのことを考えて、それで1日が終わってしまった。

今までも世界のいろんなところで大きな自然災害が起きているのに、なんで今回はこんなに頭がoccupyされたのかは、よくわからない。
世界一周やトーゴから帰ってきて何かが変わったのかも。Twitter効果かも。ただ単にPMSだからかも。
とにかく理由はわからない。

「心を痛める」と言うのなら、本当に「心を痛め」ているのなら、どうして普段通りの生活ができるだろう。電気もあってネットもある快適な部屋の中でぬくぬくして、それで「ああ、かわいそう」と一瞬胸が締め付けられるような思いになって、1分後には「ご飯何食べようかなあ」なんて、そんなことってしていいんだろうか。
くだらない極論と一蹴されるかもしれないけれど、他者の苦しみに共感するって、究極的にはそういうことだと思う。

じゃあ、今すぐ現地に飛んで行って、「何もできないけど共に苦しみを背負うことならできる」という私の心の支えであるはずだった『深い河』のフレーズを言いながら、彼らと共に傷つき涙を流せばそれでいい、というわけでもないだろう。

結局、私は無力な偽善者なのだ。

寄付をした。
トーゴで半年間過ごしてから、極度に懐疑的になった「あげる」という行為を、他に何もできない私は選択した。もちろん開発と緊急援助は違う。違うけど、じゃあ本当に緊急援助の場合だったらいいのかというと、よくわからない。いいような気もするけど、よくわからない。
本当にいいかわからない、もしかしたら悪いかもしれないというリスクを背負って行動することと、そのリスクを回避するために何も行動しないこと、という選択肢の中で、わたしは前者を選択した。

今まで信じていたものをことごとくぶち壊すことになった、トーゴでの経験。世界が180度回転したと言ってもいいような、あの経験。そこで感じるようになった世界のあらゆるものごとに対する強烈な違和感を忘れずに、しっかりと向き合っていこうとだけは思っている。
何も知らないふりをして「善意」だからと言い訳をして、本当に相手のことを考えられないようになってしまうことだけは、あの半年を過ごした以上、もうできない。
葛藤と向き合うことと行動を起こすことのバランスは、難しい。

やっぱり私は無力だし、偽善者なのだ。
無力なくせにこんな思考をしていること自体、ハイチの人たちの苦しみや悲しみを冒涜的に消費しているに過ぎない。
そんな人間が語ることは、果たしてできるんだろうか。

だから!
私は語れるようになりたい。
他者の苦しみを消費するのではなくて、真に取り除ける人間になりたい。
・・・理想と現実の間には、とてつもない溝があるけれど。。

Monday, January 11, 2010

出す

時々、ただ、「出す」という行為がしたくなる時がある。

伝わらなくていい。むしろはじめから誰に向けられたものでもない。反応もいらない。

それは、時に、涙。
時に、言葉。
時に、言葉にならない叫び声。
時に、壁に思いっきりぶつけてみる拳。
時に、深い深い溜息。

それが言葉のときは、対象は何でもいい。ブログやtwitterやfacebookに書く。誰にも秘密のアナログ日記に書く。ノートの端っこに書く。結露した窓に書く。書けない時は、声に出してつぶやくだけでもいい。
流れる涙も、溢れ出る言葉も、迸るエネルギーも、それが残っても残らなくても、誰が見ても見なくても、問題ではない。(現実には、残らない方が都合がよいことも多い)

ただ、「出す」というそれだけ。

あたかも、感情や衝動などと一般的に称される(けれども本当はうまく言葉にはできない)何物かが、脳内の化学反応だけでなくてれっきとした固体なり液体なりの実体として存在し、それを掬いあげて自分という枠の外に投げ捨てることができるかのように。

出すことによって自分の外部には何の変化も起こらない(もちろん、自分の周りの空気が振動したとか、目に見えない微生物が死んでしまったとか、ペンのインクが減ったとか、そういう意味では変化は起こりうるけれども)。

それなのに、ただ「出す」というそれだけのことで、自分の中の気持ちがすごく、ものすごく、楽になる時がある。

こんな時(だけ)は、「ことば」があってよかったと心から思う。
ことばが他者と共に生きるためにあるものだとしたら、結局のところ自分こそが他者なのかもしれない(もちろん、ことばの存在意義の方を疑うことも可能ではあるけれど)。

このポストだって、こうして言葉にした時点である意味目的は達成されていて、もはやpublishボタンを押しても押さなくても変わりはない。実際そうやって消えていった言葉たちは今までに数知れない。今回は単なる手続きとしてpublishすることにするけれど。(注:このブログの全てのポストがこういう系なわけじゃありませんっ ちゃんと読み手に伝えたくて書いてる時が殆どなので、今後ともよろしくお願いします笑)

Wednesday, January 6, 2010

Bon appétit !!

うふふ。

とうとう。

作っちゃいました♪

じゃじゃーん!!


トーゴ(というか西アフリカ?)料理、foufou☆

こないだ在日トーゴ人(でももう日本に帰化したそうだから正確には日本人だけど・・)の人のお家に遊びに行かせてもらって、作り方を教えてもらったのです。その日の帰り道に早速材料を買って、とうとう今日作ってみた。念願の「日本でトーゴ料理」!! 嬉しすぎる~♪♪

・・・しかしなぜかソースはakoumé(っていう別の料理)用。。だってfoufouのソース、難しいんだもん :'( トーゴ人が見たら怒られちゃいそうだけど、初めてだから仕方ないってことで。。えへ。

Foufouは、簡単に言えばお芋のお餅みたいなかんじ。トーゴでは主にヤムイモとかキャッサバを使って(ガーナではプランテン(でかくて甘くないバナナ)とかも使うみたい)、本当に日本の臼と杵みたいのでついて作るの。
日本ではそれはできないってことで今回教えてもらったのが、じゃがいものパウダー+片栗粉を使って普通の鍋で作るやり方。じゃがいもと片栗粉で作れるなんて、目からウロコすぎる!!
基本的には、市販のじゃがいもパウダーとお湯と水に溶かした片栗粉を火にかけてひたすら混ぜる。が、この「混ぜる」が超大変!! Akouméを作る時もそうだけど、だんだん固くなってくるとすっごい重くなってきて、腕が痛くなる。。イメージとしては、ホイップクリームを手動で泡立てるんだけどそのクリームがクッキー生地ってかんじ。笑 それでもトーゴ人は毎食普通に作っちゃうからすごい。なんでトーゴ人はあんなに力持ちなんだろう、というかむしろ、なんで日本人はこんなに弱っちいんだろう。。
とにかくがんばって混ぜて混ぜて、できあがりがこんなかんじ↓

見た目はなかなかちゃんとfoufouっぽくできました◎ 味、というか食感の方は、あんなに一生懸命混ぜたけど、それでも混ぜ足りなかったみたいでちょっとまだ柔らかかった。悔しい。。

で、ソース。先に書いた通りこれはakouméのソースなんですが。。汗
私がトーゴにいる時に教えてもらって、たぶんソースの中でも一番簡単なもので、トマトの缶詰と玉ねぎと鰯の缶詰と塩コショウとコンソメを混ぜただけ。それだけ。なので失敗するわけもなく。こんなかんじにできあがりました↓


全体的には、それなりにそれっぽく美味しかったのでまあ及第点かなあ。でもやっぱりfoufouをもっとしっかり混ぜる(こねる)べきだったわ。精進あるのみ。

と、改善の余地は大アリなわけだけど、とにかく、日本の自分の家でトーゴ料理を作って食べれるなんて大感激!!! もっとちゃんと上手に作れるようになったら、トーゴ料理パーティーとかしたいなあ。るんるん♪

Friday, January 1, 2010

HAPPY NEW YEAR 2010

明けましておめでとうございます。

年末年始が何だ、just another ordinary dayじゃないの、と思っていた(る)けれど、透き通るようなまっさらな気持ちで(根拠もなく)希望に満ち溢れることができるのは、元旦のいいところかもしれない。

思い返せば2009年の年明けはトーゴで(眠りながら)迎えました。ホストファミリーは皆、教会のオールナイトミサに出かけちゃってて(この頃私は頑なに教会に行くことを拒んでいた)。私はこの日も23時寝5時起きの生活リズムを崩すことなく、ぐっすり寝入っておりました。ていうか暑かったんだよなー去年の元旦は。季節の変化がないと、時間の経過にも鈍感になる、みたいなことを当時の日記に書いてた。
元旦は、ホストファミリーが教会のバンドをわざわざ私のために家に呼んでくれて皆で踊ったり、お隣さんちでご馳走(って言ってもメニューはいつもと同じだけど)食べたり、ビーチに散歩しに行ったりした。懐かしい。その3日後にトーゴを去って、また旅路についた。

帰国したのは2月10日。そう考えるとまだ1年経ってないなんて、変な感じ。もうすごく遠い気がする。
世界一周の1年は、自分がいかに人とのつながりによって生かされているかを実感した1年だった。帰国してからの時間は、"Things are never the same." ということのrealizationとその中でのstruggleというかんじで過ぎていったように思う。結構へこんでる時間も多かったような気もする。

でも、この間素晴らしい動画に出会って、気持ちが塞いだ時には必ずこれを見てます。見ればたちまち元気120%!!! こんなに幸せな気持ちにしてくれる動画をわたしは他に知りません。大好き☆☆☆
もうね、本当にいいの。ぜひ見てください!!!


もちろん彼の才能もすごいんだけど、何よりこの自由さと底抜けの明るさに、暗い気持ちなんて吹っ飛んで、何度見ても自然と笑顔がこぼれてきちゃう。こんな天真爛漫さをいつまでも持ち続けて生きていきたい!!!

2010年。

苦悩することは時に心地よく、絶望の淵に佇むことは実に容易いので、今年はこんなimperfectな世界を愛し、(PMSにも負けずに)笑顔で生き抜けるようにしたいと思います。

2010年が、愛に満ちた温かな1年になりますように・・☆
みなさま、今年もよろしくお願いします。

Sunday, December 27, 2009

他者のことば

最近postが多い気がしますね。なんでだろう。年末とは関係ないはず。

てか今回ほど感慨のないクリスマス、年末、って、今までなかった気がする(去年のトーゴで迎えたのを除く・・・もしくはそれと同じくらいかも)。世界一周の一年を経て、いろんなものに対して淡泊になったような気がしなくもない。ただしbefore-afterみたいに比較できるほど、自分の過去が明確に固定されたものとしてあるわけじゃないからよくわかんないけど。
とにかく今年はクリスマスのわくわく感とか、まったくなかった。日本の大半の人びとは、自分が何について祝っているかを自覚してあんなに浮かれているのだろうか(反語)。クリスマスがカップルの一大イベントなのは、ジーザスが伝えた「愛」を体現するためなのであろうか(反語)。まあ、バレンタインなどに並ぶ、カップルが「とくべつ」を正々堂々と実行できるいい口実、っていうのはわかりますが。でも、自分の実存に無関係のことにあれだけ狂酔できるって逆にすごいことのような気さえしてくる。
私はといえばそんな日本人であることの後ろめたさを少しでも解消したいがために近くの教会のクリスマスミサに行きました。中高時代にあんなに反発していた言葉が、すごく心地よく響くのは何なんだろう。安心感みたいなものさえ抱く。結局わたしがlinger onできるものって、もはや刷り込みによって染み付いてしまったもの以外にないのかもしれないなあ。でもそれは私にとっては信仰みたいな、世界を規定するものというよりは倫理体系に近いものである上、絶望的な響きも持っているから、相変わらずクリスチャンになろうとは思いませんが。

Anyways, 前置きにもならないようなblabbingはこのへんにして。

今日は縁あって在日トーゴ人会のYear-end partyに呼んでいただいて、行ってきました。

日本にトーゴ人なんてひとりもいないと思ってたからそんな会の存在を初めて知った時は衝撃すぎたけど、今日行ってみたら、いたよいたよー、トーゴ人(複数形)!!! しかも日本語ぺらぺーらの人とかもいてびっくり。トーゴ訛りのフランス語が懐かしすぎて愛しすぎた。リスニング面はほとんど衰えていなかったようで嬉しかった一方、スピーキング面は基本フレーズを失念した事態によってかなりの危機感を覚える。てか最近知ったけどわたしが普通のフランス語だと思っている(いた)代物は多分にピジン的なものであるらしい。トーゴ訛りにならないようにとか、文法を正しくしゃべるとか、すっごいすっごい気をつけて頑張ってたつもりなんだけど、、無念でならない。

トーゴ料理も出て、懐かしいメニューを前に感涙にむせいだ反面、トーゴにいた時は見たことも聞いたこともなかったような料理もあって、私はトーゴについてまだまだ全然知らないことを改めて実感(あたりまえだけど)。そしてそういう実感を抱くとまた行きたくなってしまう。

All in all, 今日は日本でのトーゴコネクションを広げられたのでとてもよかった。エヴェ語とか本気で教わりたい。エヴェ語(だけじゃなくてほんとはKabyéとか他の現地語もだけど、とりあえずはエヴェ語)がわかるようになったら、見えてくる世界ががらりと変わるんじゃないかという確信にも似た期待がある。トーゴの公用語はフランス語だからフランス語ができればコミュニケーションには苦労しないけど、結局トーゴでフランス語を介して見える世界って、意図的に取捨選択されたという性格が強いものだから。相手を理解するには相手のことば(比喩的な意味も含めて)を理解することがものすごく重要。本を読む時に原典にあたるのと同じようなものだよね。それはある意味、事実の純化作業でもあると思う。

結局、今でもわたしをこんなにトーゴに惹きつけているものは、わけのわからなさなんだと思う。もっと知りたい、もっとわかりたい、そんな欲求がわたしを衝き動かしてるんだと思う。

そんなことを思う年の暮れである。

(K君、魔法のことばを教えてくれてありがとう)

AVATAR

見てきましたっ キラーン

感想を一言で言うなら、おもしろかった!
しかも六本木ヒルズの映画館で3Dメガネとかかけて見ちゃったので、迫力もあって映画館で見た甲斐がありました。現代のCG技術はんぱない。

もう夜も遅いのでメモ程度に, "while it's still fresh." すごく乱暴なメモなので、後日ちゃんと書きたい。
(内容知りたくない人はこの先読まないでください。思いっきりねたばらしです)

もう、完全に西洋の 文明 vs 野蛮 の構図。ポカホンタスじゃん!みたいな。
主人公たち「いい者」は、「悪者」に対して「彼ら(ナヴィ)は野蛮じゃない!」みたいなこと言ってたけど、ストーリー展開は完全にもうその二項対立の中で進んでいってた。

まずはナヴィ(パンドラ星の住民。青い人たち)の描写。「いかにも」原住民、的な描き方。儀礼のシーンとか、あの「いかにも」エキゾチックな感じ、もう少し何とかならないのか。

「自然」(この言葉の細かいことは今は置いておいて・・・)と「調和」的に暮らしている人びとは、必ずなんか非文明的な要素を本質的に持っている(持たされている)気がする。それは結局、今のような文明と自然とは共存しえないという、現代に生きる私たちへの死刑宣告なのか。

てか、グレースがナヴィたちを擁護する意図で「彼らのやってることは迷信じゃない!」と言ってたんだけど、その英語のセリフが "It's not voodoo." 的な内容だった件について。。Voodooは迷信なのか!?

「文明 vs 野蛮」の二項対立を温存しつつも「文明=善 vs 野蛮=悪」とは信じきれなくなったポストモダンの、近代の呪縛と価値喪失の苦悩。(とまではいかないかな?)

最後に人間が「負け」てパンドラから去っていっても、結局は「文明vs野蛮」の対立は解消されていない。調和、もとい止揚は訪れない。

そしてなによりがっかりしたのは、最後の最後に主人公ジェイクが人間の体を捨てて(失って)完全にナヴィになってしまったこと。ずっと「異質な他者」としてのアイデンティティを保って生きていってほしかった。そういう「異質な他者」が生きうるという希望を私たちに見せてほしかった。結局、「こちら」か「あちら」か、ここでもそういう二項対立しかない。止揚は訪れない。
てか、人間としてパンドラに残った人たちはどうやって生きていくんだろ?

ナヴィの世界観はちょっとナウシカっぽかったかも。ナヴィになりたいー。

てかこの映画が今の環境ブームと相俟ってエコの文脈でもてはやされたりしたらちょっと残念、なんとなく。

いろんな意味で目新しさはなく、ストーリーも「いかにも」ハリウッドってかんじだったものの、それはそれなりに楽しめたし、とにかく映像がすごくって、それを見るだけでも価値があったと思えるくらい。
批判してるように見えるかもしれないけど、見てよかったです。

Tuesday, December 22, 2009

Better Late Than Never

ということで、昔の世界一周ブログにトーゴでのNGOインターンの報告書を載せてみました。

表が途中で切れちゃってるんだけど、重すぎるせいか何なのか編集画面が開けないのでしばらく放っておくことにします。

それでもJournalの部分を見てもらうと、前半いかに仕事がなかったかがよくわかると思います。笑
研修先変えて本当によかったと今でも思う。本当は研修始めて1ヶ月半ぐらいのところでもう変えたいって言ってたんだけど、実際にCILSIDA(後半の研修先)に移れるまでさらに1ヶ月もかかってしまったのはトーゴのアイセックのせいです。これにTIA (= This is Africa.) と言い訳するなら、そこを自ら変えようとしないで発展したいとか言うな!とひとり内心ラディカルにfuriousになっていたのが懐かしい。
ただ、前半暇だったおかげで、フランス語の勉強ができて飛躍的に上達したり、トーゴの文化についていろいろ見識を深めることができたので、研修以外の側面で言えば悪くない時間でした。あの時期の人間関係は本当にストレスフルだったけど、だからこそ学ぶことも多かったし。

・・・と、もうすぐ1年になるのかーとか思いつつ振り返ってみると、生の感覚として残っている部分がどんどん減っていき、コトバによって構築された記憶や意味づけとして残されていく部分がどんどん増えていっていることを実感します。留学の時もかなりそれを感じてた。だからあえて、コトバを与えずにそっとしておきたいな、って思う時もある。逆に、コトバにしないと忘れちゃうことも多々あるんだけど。

生の感覚がなくなっていくのがかなしい時は、あの頃聞いていた音楽を聴くと即座にあの時の感覚が蘇ってくる。今年の夏トーゴに戻ったのも、思えばトーゴの音楽をふとYoutubeで検索してみたのがきっかけでした。



ちなみに2こめの歌のタイトルは「ゼミジョン」って言うんですが、これはバイタク(トーゴではtaxi-motoって言う。Motoの元はおそらくmotorcycle的ワードだから、まさにタクシーバイク)の呼び名です。「ロメ(トーゴの首都)にはゼミジョンがいっぱいだぜ!」みたいな歌で、いろんなローカルネタが出てきておもしろい。最初に「オレイア!」って言ってるのは、ゼミジョンをつかまえる時に運転手にかける言葉。エヴェ語で、Tu vas? (You go?) みたいな意味です。聞いてると懐かしさに体が疼きます。

だから今になって逆にすごく残念に思うのは、世界一周中スペインで他の貴重品とともにミュージックプレーヤーを盗まれてから、音楽と一緒に旅をできなかったこと。トーゴとかヨルダンとか、町中で大音量で四六時中音楽が流れていた場所を除いて、世界一周の時の感覚を蘇らせてくれる音楽を、わたしは持たない。だから、あの時の感覚はきっと二度と蘇らない(他にそんな効果を持つものを、わたしは知らない)。

しかし。
この「蘇る」と表現されたわたしの内の感覚は、果たして本当にあの時の感覚のままであると言えるのだろうか・・・

この「感覚」すら、「感覚」というコトバによってしか他者と共有し(ているという(幻想かもしれない)安堵感を持ち)えないもどかしさ。

もう哲学はいやだよ

しかしそこにもうコトバは生まれてしまっているのだ。

いやだよ

いやだよ

あ、でも、「そこにコトバがあってしまう」となると、もはや哲学じゃないのかな。だって愛してないもん、ロゴスという知を。というか、愛という価値すら置けない。あるいは、愛憎半ばみたいなかんじなのか。
一部の(多くの?)偉大な哲学者が精神を病んでいるってことは、(ある種の、という留保がつくかどうかは眠くてよくわからないけど)知は人を不幸にするかもしれないってことなのかしら。まあロゴスというシステムの不完全性からして当然のことなのかもしれないけど。「知らぬが仏」とはよく言ったもの。