Sunday, December 27, 2009

他者のことば

最近postが多い気がしますね。なんでだろう。年末とは関係ないはず。

てか今回ほど感慨のないクリスマス、年末、って、今までなかった気がする(去年のトーゴで迎えたのを除く・・・もしくはそれと同じくらいかも)。世界一周の一年を経て、いろんなものに対して淡泊になったような気がしなくもない。ただしbefore-afterみたいに比較できるほど、自分の過去が明確に固定されたものとしてあるわけじゃないからよくわかんないけど。
とにかく今年はクリスマスのわくわく感とか、まったくなかった。日本の大半の人びとは、自分が何について祝っているかを自覚してあんなに浮かれているのだろうか(反語)。クリスマスがカップルの一大イベントなのは、ジーザスが伝えた「愛」を体現するためなのであろうか(反語)。まあ、バレンタインなどに並ぶ、カップルが「とくべつ」を正々堂々と実行できるいい口実、っていうのはわかりますが。でも、自分の実存に無関係のことにあれだけ狂酔できるって逆にすごいことのような気さえしてくる。
私はといえばそんな日本人であることの後ろめたさを少しでも解消したいがために近くの教会のクリスマスミサに行きました。中高時代にあんなに反発していた言葉が、すごく心地よく響くのは何なんだろう。安心感みたいなものさえ抱く。結局わたしがlinger onできるものって、もはや刷り込みによって染み付いてしまったもの以外にないのかもしれないなあ。でもそれは私にとっては信仰みたいな、世界を規定するものというよりは倫理体系に近いものである上、絶望的な響きも持っているから、相変わらずクリスチャンになろうとは思いませんが。

Anyways, 前置きにもならないようなblabbingはこのへんにして。

今日は縁あって在日トーゴ人会のYear-end partyに呼んでいただいて、行ってきました。

日本にトーゴ人なんてひとりもいないと思ってたからそんな会の存在を初めて知った時は衝撃すぎたけど、今日行ってみたら、いたよいたよー、トーゴ人(複数形)!!! しかも日本語ぺらぺーらの人とかもいてびっくり。トーゴ訛りのフランス語が懐かしすぎて愛しすぎた。リスニング面はほとんど衰えていなかったようで嬉しかった一方、スピーキング面は基本フレーズを失念した事態によってかなりの危機感を覚える。てか最近知ったけどわたしが普通のフランス語だと思っている(いた)代物は多分にピジン的なものであるらしい。トーゴ訛りにならないようにとか、文法を正しくしゃべるとか、すっごいすっごい気をつけて頑張ってたつもりなんだけど、、無念でならない。

トーゴ料理も出て、懐かしいメニューを前に感涙にむせいだ反面、トーゴにいた時は見たことも聞いたこともなかったような料理もあって、私はトーゴについてまだまだ全然知らないことを改めて実感(あたりまえだけど)。そしてそういう実感を抱くとまた行きたくなってしまう。

All in all, 今日は日本でのトーゴコネクションを広げられたのでとてもよかった。エヴェ語とか本気で教わりたい。エヴェ語(だけじゃなくてほんとはKabyéとか他の現地語もだけど、とりあえずはエヴェ語)がわかるようになったら、見えてくる世界ががらりと変わるんじゃないかという確信にも似た期待がある。トーゴの公用語はフランス語だからフランス語ができればコミュニケーションには苦労しないけど、結局トーゴでフランス語を介して見える世界って、意図的に取捨選択されたという性格が強いものだから。相手を理解するには相手のことば(比喩的な意味も含めて)を理解することがものすごく重要。本を読む時に原典にあたるのと同じようなものだよね。それはある意味、事実の純化作業でもあると思う。

結局、今でもわたしをこんなにトーゴに惹きつけているものは、わけのわからなさなんだと思う。もっと知りたい、もっとわかりたい、そんな欲求がわたしを衝き動かしてるんだと思う。

そんなことを思う年の暮れである。

(K君、魔法のことばを教えてくれてありがとう)

AVATAR

見てきましたっ キラーン

感想を一言で言うなら、おもしろかった!
しかも六本木ヒルズの映画館で3Dメガネとかかけて見ちゃったので、迫力もあって映画館で見た甲斐がありました。現代のCG技術はんぱない。

もう夜も遅いのでメモ程度に, "while it's still fresh." すごく乱暴なメモなので、後日ちゃんと書きたい。
(内容知りたくない人はこの先読まないでください。思いっきりねたばらしです)

もう、完全に西洋の 文明 vs 野蛮 の構図。ポカホンタスじゃん!みたいな。
主人公たち「いい者」は、「悪者」に対して「彼ら(ナヴィ)は野蛮じゃない!」みたいなこと言ってたけど、ストーリー展開は完全にもうその二項対立の中で進んでいってた。

まずはナヴィ(パンドラ星の住民。青い人たち)の描写。「いかにも」原住民、的な描き方。儀礼のシーンとか、あの「いかにも」エキゾチックな感じ、もう少し何とかならないのか。

「自然」(この言葉の細かいことは今は置いておいて・・・)と「調和」的に暮らしている人びとは、必ずなんか非文明的な要素を本質的に持っている(持たされている)気がする。それは結局、今のような文明と自然とは共存しえないという、現代に生きる私たちへの死刑宣告なのか。

てか、グレースがナヴィたちを擁護する意図で「彼らのやってることは迷信じゃない!」と言ってたんだけど、その英語のセリフが "It's not voodoo." 的な内容だった件について。。Voodooは迷信なのか!?

「文明 vs 野蛮」の二項対立を温存しつつも「文明=善 vs 野蛮=悪」とは信じきれなくなったポストモダンの、近代の呪縛と価値喪失の苦悩。(とまではいかないかな?)

最後に人間が「負け」てパンドラから去っていっても、結局は「文明vs野蛮」の対立は解消されていない。調和、もとい止揚は訪れない。

そしてなによりがっかりしたのは、最後の最後に主人公ジェイクが人間の体を捨てて(失って)完全にナヴィになってしまったこと。ずっと「異質な他者」としてのアイデンティティを保って生きていってほしかった。そういう「異質な他者」が生きうるという希望を私たちに見せてほしかった。結局、「こちら」か「あちら」か、ここでもそういう二項対立しかない。止揚は訪れない。
てか、人間としてパンドラに残った人たちはどうやって生きていくんだろ?

ナヴィの世界観はちょっとナウシカっぽかったかも。ナヴィになりたいー。

てかこの映画が今の環境ブームと相俟ってエコの文脈でもてはやされたりしたらちょっと残念、なんとなく。

いろんな意味で目新しさはなく、ストーリーも「いかにも」ハリウッドってかんじだったものの、それはそれなりに楽しめたし、とにかく映像がすごくって、それを見るだけでも価値があったと思えるくらい。
批判してるように見えるかもしれないけど、見てよかったです。

Tuesday, December 22, 2009

Better Late Than Never

ということで、昔の世界一周ブログにトーゴでのNGOインターンの報告書を載せてみました。

表が途中で切れちゃってるんだけど、重すぎるせいか何なのか編集画面が開けないのでしばらく放っておくことにします。

それでもJournalの部分を見てもらうと、前半いかに仕事がなかったかがよくわかると思います。笑
研修先変えて本当によかったと今でも思う。本当は研修始めて1ヶ月半ぐらいのところでもう変えたいって言ってたんだけど、実際にCILSIDA(後半の研修先)に移れるまでさらに1ヶ月もかかってしまったのはトーゴのアイセックのせいです。これにTIA (= This is Africa.) と言い訳するなら、そこを自ら変えようとしないで発展したいとか言うな!とひとり内心ラディカルにfuriousになっていたのが懐かしい。
ただ、前半暇だったおかげで、フランス語の勉強ができて飛躍的に上達したり、トーゴの文化についていろいろ見識を深めることができたので、研修以外の側面で言えば悪くない時間でした。あの時期の人間関係は本当にストレスフルだったけど、だからこそ学ぶことも多かったし。

・・・と、もうすぐ1年になるのかーとか思いつつ振り返ってみると、生の感覚として残っている部分がどんどん減っていき、コトバによって構築された記憶や意味づけとして残されていく部分がどんどん増えていっていることを実感します。留学の時もかなりそれを感じてた。だからあえて、コトバを与えずにそっとしておきたいな、って思う時もある。逆に、コトバにしないと忘れちゃうことも多々あるんだけど。

生の感覚がなくなっていくのがかなしい時は、あの頃聞いていた音楽を聴くと即座にあの時の感覚が蘇ってくる。今年の夏トーゴに戻ったのも、思えばトーゴの音楽をふとYoutubeで検索してみたのがきっかけでした。



ちなみに2こめの歌のタイトルは「ゼミジョン」って言うんですが、これはバイタク(トーゴではtaxi-motoって言う。Motoの元はおそらくmotorcycle的ワードだから、まさにタクシーバイク)の呼び名です。「ロメ(トーゴの首都)にはゼミジョンがいっぱいだぜ!」みたいな歌で、いろんなローカルネタが出てきておもしろい。最初に「オレイア!」って言ってるのは、ゼミジョンをつかまえる時に運転手にかける言葉。エヴェ語で、Tu vas? (You go?) みたいな意味です。聞いてると懐かしさに体が疼きます。

だから今になって逆にすごく残念に思うのは、世界一周中スペインで他の貴重品とともにミュージックプレーヤーを盗まれてから、音楽と一緒に旅をできなかったこと。トーゴとかヨルダンとか、町中で大音量で四六時中音楽が流れていた場所を除いて、世界一周の時の感覚を蘇らせてくれる音楽を、わたしは持たない。だから、あの時の感覚はきっと二度と蘇らない(他にそんな効果を持つものを、わたしは知らない)。

しかし。
この「蘇る」と表現されたわたしの内の感覚は、果たして本当にあの時の感覚のままであると言えるのだろうか・・・

この「感覚」すら、「感覚」というコトバによってしか他者と共有し(ているという(幻想かもしれない)安堵感を持ち)えないもどかしさ。

もう哲学はいやだよ

しかしそこにもうコトバは生まれてしまっているのだ。

いやだよ

いやだよ

あ、でも、「そこにコトバがあってしまう」となると、もはや哲学じゃないのかな。だって愛してないもん、ロゴスという知を。というか、愛という価値すら置けない。あるいは、愛憎半ばみたいなかんじなのか。
一部の(多くの?)偉大な哲学者が精神を病んでいるってことは、(ある種の、という留保がつくかどうかは眠くてよくわからないけど)知は人を不幸にするかもしれないってことなのかしら。まあロゴスというシステムの不完全性からして当然のことなのかもしれないけど。「知らぬが仏」とはよく言ったもの。

Monday, December 21, 2009

居場所

正直言って、就活、しんどいです。

受かる/受からないとかいう話の以前に、ビジネスという資本主義ガチガチの世界に飛び込むという覚悟が、どうしてもできない。

今までさんざん人のお金を食いつぶしてきて、自分でちゃんと稼いで食べていけるようにならなければいけない、っていう思いはすごくあるんです。人より3年遅れている分、余計にその思いは強いと思う。

でも、逆に言うと、それだけしか「働く」ことに対するモチベーションがない。

大学に入って「ことば」や「ロゴス」といったものへの全面的な依存とシステムの不完全性に気付き、ロゴスを持ってしか考えることすら能わない体系の中で信じることのできる価値を喪失し、相対"主義"なんかも通常言われるようなポジティブな立ち位置なのではなくもっともっと深刻で破壊的なものである、と言いたいけれども言えないような無限のループに陥った。

だけど何もスタンスをとらずに生きていくことってできなくて、じゃあ何を信じるかってなった時に、もはやロゴスを紡いで作り上げたものを選ぶことはどうしてもできなくて、そんな私が立ち返らざるを得なかったのは、「感覚」だった。私が小さいころから刷り込まれてきた価値観、もはや思考を超越し感覚となってしまった価値観、しか、無根拠に信じることのできるものは残されていなかった。

その価値観とは、平たく言ってしまえば資本主義社会の対極にあるようなもの。
正直であること。清くあること。弱者に寄り沿うこと。愛すること。
偽善であるとか、そういう批判は、自分でもさんざん自問してきたし、これからもきっと問い続けなければならない。だけど、この「感覚」は、そうやすやすと「ロゴス」ごときに崩されるようなものではないと思う(、感覚的に)。

「就活は、正直者が馬鹿を見る。」
きっとその先にあるビジネスの世界もそうなのだろうと思う。「勝つ」ことが最高の価値とされるのだから。そのような強者の論理に支配された世界において、私がようやく見つけた、「信じることのできるもの」は否定される。フロムの言葉は、一方で私に大きな安堵をもたらし、一方で決定的な絶望をもたらした。

資本主義に冒された現代の社会には、私の居場所なんてないのかもしれない。

お金なんかなくなっちゃえばいいのにな。

Sunday, November 15, 2009

wanderlust

Am having the onset of wanderlust syndrome again...

旅に出たい病発症。な週末。
周期的に発作が起こるのです。原因不明の発作。決して今の生活が嫌とかではないんだけど。

旅を美化するのはあまりにも一方的で自己満足的な気がして好きではないんだけれど、それでもやっぱり時々日本にはない空気 ("air" here having the literal meaning and not the figurative one as in "KY") に包まれたくなる。

マサダの、太陽と地面との間を隔てるものが何もないあまりに直接的な日差し。「ああ、ここには神が必要なんだな」と、一瞬にして私の身体をもって理解せしめた果てしない真っ赤な荒野。

フュッセンの、心を澄みわたらせるような朝の冷気。滴を浴びて木々があげる歓びの歌声。

ロメの、今にも踊りだしたくなるようなあっけらかんとしたひたすらに青い常夏の空。細かい砂と埃を含んだ潮風。

シーパンドンの、全てを包み込み全てを流し去るようにゆったりと流れるメコンの夕暮れ。ジャック・ジョンソンを聞いているだけでイっちゃいそうな楽園の昼下がり。

ペンシルベニアの、開拓時代から何も変わっていないんじゃないかと信じてしまいそうな程のどかで美しい秋の彩り。

ヴァーラーナシーの、牛の糞にまみれた迷路の先にある命に対する過剰なまでのエネルギー。その横をただ無関心に流れる河。その河の向こうから闇の終わりを告げる朝日。

ギョレメの煙草の煙と匂い。

ハロン湾の神秘的な霧。穏やかな波と心地よい風とバーバーバーに酔いしれる夜。

ホイアン慕情。色とりどりの光が煌めく鏡の水面。

その空気に包まれながら、私の身体が、そこ、に、ある、ということ。

その空気に包まれながら、私が孤立したアウトサイダーであること。

身体がここにはない空気を欲している。
Physicalだからこそ、日本では再現できないもの。
こんな風に言葉にしたって、表現できっこない、伝わりっこない、だけどこのwanderlustの発作をカルテにしたためる。

身体性がlifeに占める大きさ。その先には「わかりあえなさ」が頭を擡げているとしても。

When and where will be next?

Wednesday, November 4, 2009

沈まぬ太陽

寒くなりましたね。
暖房をつけたいのにこんな時に限って壊れてしまって、おんぼろ日本家屋の部屋は今日もしんしんと冷えこみます。母が救援物資を送ってくれたというので、復旧まではそれで命を繋ぐことができそうです。ありがたや。


さて。
「沈まぬ太陽」観てきました。
ひょんなことから2回も観てしまった。原作はまだ読んでいないので、純粋に映画の感想をば。
「社会派」と評されているけれど、それは具体的なトピックがそうっぽいだけで(そもそも「社会」って言葉自体が曖昧で何を指すのかよくわからなかったりするんだけど)、実際にはもっといろんなテーマが織り込まれていていろんな観点からappreciateできる映画だと思う。

わたしのappreciationは、主にふたつの視点から。

ひとつは、御巣鷹山の事故をめぐる遺族の描写を通して考えた、というよりは思い出したこと。あんまり映画そのものとは関係ないかもしれないけれど。遠藤周作の『深い河』を読んだ時に強く強くわたしを打ちのめした感覚。
世間から見たら何の変哲もなかったり軽蔑すらされていたりどんなに取るに足らないような人であっても、ひとりひとり、今までの人生めいっぱい分の、他の誰とも違う、その人固有の経験の中に、喜びがあり、学びがあり、悲しみがあり、苦しみがあり、痛みがあり、それを背負いながら今を生きている。他者の背負っているものの中身を理解することはできなくても、その重みには常にawareでいたい。"Only one" という俄かに流行りの言葉を使うとしたら、それは自分のためではなく、他者と向き合う姿勢として忘れずにいたい。

もうひとつは、就活中の身ということもあって、いわゆるワークライフバランス的なものについて。
家族を犠牲にすることの上に仕事が成立する、って、どういうことなんだろう。なんでそうなっちゃうんだろう。主人公の恩地が象徴しているであろう数十年前 のサラリーマン像(とそれを生んだ社会システム)については、このワークライフバランスに対する考え方次第で評価が二分される気がする。「矜持」を美学 と見ることも、身勝手と見ることも可能。恩地の妻の「わたしだって、いっぱい我慢、してたんですよ」という言葉が沁みた。
何かひとつのものごとを選んで信じて突き進むことができるのってすごいことだと思うけど、バランス感覚を持って生きていくのも至難の業よね。でも、案ずるより産むが易しなのかなあ、もしかして。ううむ。

(余談:でもでもっ 恩地の置かれた時代や文脈を無視することが許されるならば、僻地勤務は羨ましすぎる! カラチ・・・は今危なそうだから置いとくとしても、テヘラン(・・・も危ない?)とかナイロビとか行きたすぎる。)


*** R.I.P. Claude Lévi-Strauss ***

Friday, October 2, 2009

魔法のチョコレート

10月ですね。就活ですね。


・・・ハイ。






心が折れそうな時にはチョコレート


というのは古代から伝わる金言ですが、トーゴやガーナの暑さはチョコレートの大敵です。
冷房のがんがん効いたスペールマルシェで調子に乗ってスニッカーズを買おうものなら、お店から出た1分後にはどろどろぐちゃぐちゃ、見るも無残な姿になってしまいます。一般家庭には冷房も冷蔵庫もないのが普通なので、フェアトレード云々以前に、環境的に、トーゴやガーナではチョコレートは無理。

の、はずなのに。

ガーナの首都アクラの道端ではよく板チョコを売っているんです。売り子が歩いて売っていて、冷却装置もあるわけがなく。それも箱入りで大量に。
そんなの買う人の気が知れないわっ と思ってわたしは一度も買ったことなかったんだけど、それを今回友達がお土産で大量買い。。。
その後ドバイで、ラマダンの飢えに耐えきれず、40℃はゆうに超えているであろうとてつもない暑さの中おそるおそるガーナで買ったチョコを開けてみる。すると・・・

と  け  て  い  な  い  !  !  !

とけそうな気配すら微塵も漂わせていない!!!

・ ・ ・ ・ ・ ・ 。


どうやらその理由は"No cocoa butter" というところにあるみたい。
口の中でもとろけて喉に絡みつく感があまりなく、サクサクした食感で美味。

暑さにもとけないチョコレートだなんて、Willy Wonkaもびっくりのパラダイムシフト!!! このチョコならタージマハルも消えずに済んだろうに。。

・・・といたく感動したことを今日まですっかり忘れていました。






新学期が始まりました。

久しぶりのキャンパスは刺激に満ち溢れていました。
初日の授業では、バチカン市国が本郷キャンパスよりも小さいことを学びました。
2日目の今日は、夏学期には4人だったヒンディ語の授業が、今学期はわたし1人に減っているという事実を目の当たりにしました。

。。。



過ぎゆく季節の美しさと切なさには、胸が締め付けられそうになります。

Wednesday, September 23, 2009

トーゴに恋して

2度目のトーゴから帰って来ました。
2日経つのに時差ぼけがなおらない。なおそうという努力をあんまりしてないからかな。今夜徹夜して明日の夜まで頑張って起きていられたらなおるんじゃないかという期待を胸にパソコンと向かい合っています。

今回のトーゴ行き、最大の収穫は、トーゴを好きになれたこと。

同 じ場所、同じこと、同じ人でも、前回とは受ける印象が全然違ってすごくびっくりした。結果として、前回も今回も、トーゴにいるとわけがわからなくて謎が深 まるばかり、という点では同じ。違うのは、前回はそのわけのわからなさがそのままつらさになっていたのに対して、今回はそれがクセになってまた来たくなる んだよねって思ったこと。
理由はよくわからないけど・・・前回に比べて短期間で表面的な関わり方しかしていないからかもしれない。あるいは逆に、前回はNGOとか開発とかいう一側面からの見方が強かったのに対して、今回はもう少し広い視点でトーゴを見ることができたからかもしれない。
とにかく、自分の中のイメージとして、トーゴに対してポジティブな気持ちを抱くことができたのは、とってもとっても嬉しいことです。どのぐらい嬉しいかというと、長年の片思いの末に告白した相手がOKしてくれた時ぐらい。やったーーーーって叫びながら両手を挙げて町内を全力疾走したいぐらい。

最大の収穫はそれで、その他は思いつくままに箇条書き。

・ガーナの首都アクラはオバマ一色だった。
・半年ぶりのトーゴは意外と変化していてびっくりした。いろんなところ工事してたり、タクシーの定員変わってたり。あとあんまりP-Squareが流れてなかった。
・語学ってやっぱり大事。トーゴではフラ語ができないとお話にならない。フラ語ができるのが大前提で、あとはEwé語(トーゴ南部の現地語)がどれぐらいできるか。Ewéわかんないと彼らの本音とか絶対わかりっこない。
・宗教人類学の研究をしているMさんに会った。知識にも経験にも圧倒された。この出会いは私の中でかなり大きくて、上にもちょっと書いたけど前までNGOだとか開発だとかそういう文脈でトーゴと向き合っていたのに対して、Mさんのお話を聞いてトーゴの見方の幅、つまりトーゴとの関わり方の可能性の幅が広がった気がする。
・スタツアのメンバー2人がマラリアで入院した。最終的にみんな無事でほんとよかった。
・前回のインターン先のCILSIDAはやっぱりすごい団体だわ。プロジェクトの企画書見せてもらって話したけど、細かいところまではっきりしてるし、できてないところも意味不明な言い訳とかしない。
・帰りの機内で見た映画The Proposalに胸キュン。どきどきしたい。
・トランジットのドバイは街の全てがフェイクな感じがしてものすごく不思議だった。街全体がディズニーシーみたいな。
・一夫多妻って今の日本では受け入れがたい制度だけど、彼ら(トーゴ人)の話聞いてたらそれはそれで一理あるような気にさせられた。自分の夫が他の女の人と結婚するとか絶対嫌だけど。
・アメリカのPeace CorpsのOBでトーゴを再訪してる人に会って、トーゴではpoliticsとsaving faceって大事だよね、という話をした。

次は写真。

トーゴの道はこんなのが多い。

農村のプロジェクトで学校を建てているところ。
彼らは黒板の土台を作っています。

学校全体図
首都Loméの海岸沿いの通り

あああ、早くもトーゴが恋しいです。次戻るのはいつだろう。

Sunday, August 30, 2009

retour au togo

また戻るなんて、よっぽど好きなんだね~

といろんな人に言われますが、そんなつもりは全然ありませんでした。
ある日YouTubeでトーゴの曲を聞いていたら突然何かが私に憑依して、正気に戻った時にはチケットも何もかも手配されてて後には引けない状態になっていました。ひょっとしたら、今学期ユングについての授業を取っていた影響かもしれません。

まあ、半分冗談で半分本気などうでもいい話はさておき。
あれよあれよという間に今日30日が出発です。

夏休みの中でいちばん予定が少なくなりそうなところを狙って立てたスケジュールなのに、なぜか出発直前に怒涛のように予定が入っててんやわんやでレポートもそっちのけという、結局いつものお決まりのパターンになってしまいました。でも今回は出発の24時間以上前に荷造りの90%を終わらせたから大進歩。

今回は、YDP Togoが運営している農村ワークキャンプに計9人で参加してきます。
・・・というのが目的の半分ぐらいで、残りの半分は前回の時の友達に会いに行くっていう。仲の良かった友達が婚約・妊娠したらしいし。最近わたしの周りはドン引きするぐらいグローバルで結婚ラッシュです。みんな結婚しすぎ。ご祝儀貧乏万歳。

というわけで行ってきます。帰りは9月20日です。
何かあればgmailに英語かローマ字でメールしてください。あんまりメール見られないと思うけど。

Ciao

Friday, August 21, 2009

werewolf

わたしは狼人間。
月がわたしを支配する。

狼になった夜は、大切なものも、人も、何もかもわからなくなる。
不安がわたしの牙を立たせ、わたしを破壊へと駆り立てる。

無限の破壊の刹那に、わたしはふと、立ち止まる。
目を凝らすと、今までそこにあったはずのものが、
闇のなかに消えてなくなっていることに気づく。

自分すら見えない暗闇のなかで、わたしは仲間を求めて遠吠える。
その声は、虚空に響いて夜のしじまをいっそう際立たせる。
漆黒の湖が、幾重にも波紋を広げながら、深みを増してゆく。

暗黒の夜がもつ強力な魔力に怯え慄きながら、
今にも消え入りそうなわたしの中の「ひと」のかけらは、
わたし自身をそっと、深い深い孤独の中にうずめる。

これ以上、誰も傷つかないように。
これ以上、わたしが傷つかないように。